追悼

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天才と呼ばれる人がいる。
天から与えられたかのような常人離れしたすばらしい才能を持ち
そして発揮する人のことなのだろう。


2,3年前にマイケル・ジャクソンのインタビュー番組を見た時
「どうやったらそんなすごい曲が作れるの?」と聞かれると、
マイケルは「天からメロディーが降ってくるんだよ」
というようなことを言っていた。
かなり悪意のあるインタビューだったので
こうした発言で彼を胡散臭い人間に演出しようとしていたのだが…
ある人間にとってはこれは真実なのかもしないと思う時がある。



学生時代の知人で、超難関大学の学生だった人がいる。
その人は大学の試験の時にこんな体験をしたそうだ。
理工学系の学部であったのだが、
もともと得意な理数系の科目はばっちり手ごたえがあった。
しかし最後の英語の試験のとき、
5分後に英語をなめていた自分を深く後悔した。
自力で書けそうなのは1割程度、あとは本当にチンプンカンプン。
鉛筆を倒すか、いや解答の番号を1つに統一したほうがいい…
それなら何番がいいだろうか…真剣にそんなことを考えていた時のことであった。

解答用紙にピンク色の何かがチカチカと点滅している。
ピンク色の文字や数字が解答用紙に浮き上がり、点滅していたのだそうだ。
記述のところは文章で。

知人には昔から不思議な力があった。
学校の帰りに今日誰が家にお客さんで来るかわかったのだそうだ。
物心ついた頃から、はずれることがなく当たったそうである。

そんなことから、今回も自分に見えているピンクの文字通りに解答を記入することにした。
(考えてもどうせわからないから、でもあった)
試験の後、解答が出て答えを検証するとあの不思議な文字のとおり、
なんと全問正解だったのである。当然大学にも合格した。

また一度だけ競馬にいって馬券を買ったときのこと。
馬券を買うときにある数字があのときのように点滅し
(どこに数字が点滅していたのか記憶が定かではない)
競馬になんの知識もなかったが、その数字の馬券を買ってみた。
それは大穴の万馬券で一日にして結構な金額を手にしてしまったそうである。
どちらかと言えば気味が悪いので、
みんなで飲みにいってぱーっと使ってしまったそうである。
それ以来競馬には近づかなかったそうである。

知人はたいそうプライドが高く、努力家であり、
そんなことで世の中を渡っていくことをよしとしない人間であった。
その後は決してそんな力を利用しなかったに違いない。
利用していたらもう少しうまく生きていたはずだ。

こうして天から何かを預けらている人間というのは
本人が黙っているだけでこの世には存在するのかもしれない。
(一体それが何のためなのかはわからないけれど)
時にはそういう人が人を感動たり、
時には世の中を進化させたり、そういうことも実はあるのかも知れない。
その時には天も相手は選ぶだろうとは思う。
不相応な人間にそんな能力を与えたら
自分の身勝手な欲を満たすためだけに使い、
世界はめちゃくちゃになってしまうだろうから。

しかしそんな知人にも予測できないことがあった。
それは自身の寿命であった。
今年の3月に自宅でたった一人で急逝してしまった。
まだ51歳という年齢だったのに。
私は知人とはもう音信がとだえて久しい。
知っているのは華々しかった人生の前半期だけである。
すでに病気は重篤な状態だったのになぜ病院にいなかったのだろうか。
人生の最後に知人を支えていたのは1匹の小さなポメラニアンのようであった。
気遣う人間はそばにいなかったのだろうか。
そう思うと本当にかわいそうで、とても悲しい。

人の記憶や存在はだんだんと遠くなっていくものだけれど
そういう知人がいたことを私は忘れない。


12年目の夏 3

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5月のある晩少し疲れて横になっていた。

夢を見た。

飛行場のような場所で、今飛行機から降りてきた人たちが数名いる。

(別に飛行機が見えた訳ではないのだがそう感じた)



亡くなった彼女が来て私に話しかける。

顔の表情がとてもよく見えて、瞬きしているのまでわかった。

「今日ここに来るのにこの体を借りてきたんだよ、すごいよー、これ。心臓の鼓動までするんだから」

私の手をつかんで胸に当てると、本当に鼓動を感じる。

「ね、すごいでしょ」と笑う。



少し離れたところで、数名の初老の女性たちが私達のやりとりを見ている。

スラックスにブラウス、日よけの帽子をかぶって、

植物園に花でも見に行くような格好をしている。

そのうちの1人は、私と目があうとにっこり笑った。



(この人たちももう亡くなっている人たちだ)

咄嗟にそう思った。



そこで私は少し調子に乗った。「じゃあこれは?痛い?」

彼女の腕をつねってみる。

「それは痛くない」笑っていた顔が曇った。

(何をいってるんだろう。この人はもう亡くなっているのに。)

無性に彼女がかわいそうになり、顔を覆って私は泣き出した。
 



そのとき、かごめかごめのように私の頭上を取り囲む

色々な声が聞こえてきた。

(これはさっきこちらを見ていた女性たちの声だ。)



「もういいのよ、死んだ人のことでいつまでもくよくよしなくても」

「そうよそうよ、どんどん思い出にしてくれればいいのよ」

「楽しかったことだけ覚えていてくれればいいんだから」

口々に慰めてくれる。優しく、明るい声だった。

彼女の声がする。

「まだ行かなきゃいけないところがあるから、もう行くね。」

私の周りから人の気配がなくなった。



そのとき目が覚めた。

リビングからテレビの音がする。

外からギャアギャアという奇声が聞こえる。

リビングに行くと、夫と息子が2人でテレビを見ていた。

夜中の12時。

君起きたの、家の上で少し前からカラスが鳴いてるんだよ、凄いだろ、

地震の前触れかな、不気味だね、と夫が言った。

今、夢枕に知人が出てきた話をすると、

そうか、じゃあ本当に来てたんだろう、カラスには姿が見えたんだね、と言った。

カラスの声はそれからすぐに止んだ。



もちろんいつまでも後悔している自分の心が

こんな自分に都合の良い夢を見せたのかも知れないし、

実際人からそう言われもした。

しかし、あの夢の中の声に納得し、救われたのは事実である。

相手は亡くなっているのだから、

どんなに考えてみても仕方がない。

ああすればよかった、と思いつつも自分のことも許そう、

そう思うようになれるまで、7年間が必要だったのだ。




それでも彼女は本当に私のところに来たのではないかと、今でも思う時がある。




生前、私が住んでいた社宅近くの路上で突然彼女に会った。

(当時音信不通だったのだけれど)

会社の総務に私の住所を聞きに行き、来るところだったそうだ。

会社で番地と地図を書いてもらい、手にはその紙を握りしめていた。




最後に私が住所を書いたアドレス帳は棺に納めたそうだ。

そうだとしたら、アドレス帳をたよりに死んだ後も突然訪ねて来るなんて

いかにも彼女らしいと思う。


今年で彼女が亡くなって、もう12年になる。

また暑い夏が来るけれど、彼女のことは忘れない。

私と過ごした楽しかったことだけ覚えていて、と言ったから。

これが彼女の遺言だと私は思っている。




12年目の夏 2

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亡くなる時にお見舞に呼ばれて訪れた人がもう一人いた。

彼女の娘さんの同級生のお母さんである。

お見舞のときに、これからもみんなで仲良くしていって、

そして私のことを忘れないでね、と言っていたそうだ。



ずい分前になるが、彼女が家に遊びに来た時に

もし自分が不治の病にかかったら延命治療なんかはしないの、と言った。

痛みはとってもらうけど、そんな事にお金を使うくらいなら

子供たちの将来のために使ってもらいたいからね

それから最後に友達を呼んで

きちんとお別れをしてから死にたい、と言っていた。

(これは嘘でもなんでもない。本当の話である。)

なぜあんなに若くて健康な時にそんな話をしたのだろうか。

今でも不思議である。



実は病室に行ったときにも、この時の話を忘れていたわけではない。

アルバムを私に見せた時に話を切り出し

お別れを言いたかったのだと思う。

でも私が話をさえぎってしまったのだ。

その時彼女が落胆したように横をむいてしまったのを覚えている。

きちんと話をするために、ぎりぎりまでモルヒネを飲まずにいたのだろうと思う。



死ぬ心づもりができていると言っても

実際に他者から認められてしまったらどうだろう。

そんなに人の心は強いのだろうか



以前癌の末期だった父が私の手を握って

自分は癌だよな?と詰め寄ってきた事がある。

父の場合は最後の最後まで否定して欲しい人間だった。

だから、違うよ、歳とってからの病気は

思い通りには行かないのよ、と即答出来た。



でもこの時は果たしてどうだったのだろう。

相手を思いやってのことだったのだろうか?

私自身死と向き合っている人間を怖くて受け止め切れなかっただけではないのか…



彼女だって死ぬのは怖かったと思う。

だからこそ知人にお別れを言ったり

お葬式の時にみんなに見せるアルバムを作ったり

気持ちを整理をしてこの世を去っていくプロセスが必要だったのだ。




死んでいく者はたぶんもっともっと無念に違いない。

ちゃんと聞いてあげれば良かったのだ。



私はずっと彼女の思いをかなえてやらなかった事を後悔した。

7年間後悔し続けてきた。






12年目の夏1

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同い年の友人が亡くなって、今年でもう12年経つ。

彼女は年を取らない。いつまでも若いままだ。



5月に咳が出はじめ、6月になっても一向におさまらない。

そのうちに血痰が出たので結核をまず疑ったそうである。

けれども病名は肺癌だった。

時を移さずに手術に踏み切ったが、手の施しようがないといわれたらしい。

タイのバンコクでの事だった。

医療の進んだ日本であればもしかして手段もあるのではと

手術の傷をおしてすぐに帰国したが

医師の診断はバンコクと同じだった。




彼女は主人と同じ会社の人の家族である。

マニラに駐在していた頃の知人であり、わたしと同じ年だった。

彼女のご主人から連絡があり

意識のあるうちにお見舞に来て欲しい、と言われた。



病室に着くと、思ったよりも元気そうに見えた。

綺麗な服に着替え顔色も悪くはなかったが、表情はけわしかった気がする。

「今ね、アルバムを作ってるの。みんなに見せようと思って。」

彼女は1年中あちこあちこちを飛び回っていた。

見せてくれたのは、半年前に行ったロンドンの写真だ。

「それでね」何か話し出そうとするのを私はさえぎって言った。

「今は一番つらい時期だけど、これを越えると楽になるから頑張ろう」

口からでまかせに過ぎない。本当になんの気休めにもならない嘘だ。

それを聞くと、彼女は横を向いて、ごめん、その薬全部取って、と言った。

小さなカップに入った薬をカプセルから出し、

水を渡すと一気に飲んだ。



「下の子はいくつになるんだっけ?」

ーさっきも同じことを聞いたのに。

モルヒネが効いてきたのだろう。

かみ合わない話をいくつかしているうちに

彼女は眠くなったらしかった。

これ以上疲れさせてはいけないので帰ることにした。



初めて会った時もっとおしとやかなのかと思ったけど

わかってくると、結構間抜だったんだねえ、と私に言った。

そして、退院したらお礼状でも出すからここに住所を書いて

そう言って小さなアドレスを差し出した。

さっきよりははっきりした声だった。  

帰るとき病室のドアのところまで来てくれた。

ドアに寄りかかるようにしてこちらを見ていたけれど、

顔は笑っていなかった。



それから10日ほどして、お盆に彼女は亡くなった。

いつも慌しく世界中を飛び回っていた人が

やはり慌しくくこの世から去って行った。

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