Acoustic Troubadour

日々の窮地を脱するために

Bob Dylan

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Bringing It All Back Home

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意味不明、支離滅裂、錯乱(笑)。
ただ、間違いなくディランが最もカッコよかった頃の代表的作品。このアルバムリリース期の英国ツアーをドキュメントした『Don’t Look Back』も必見です。

歌詞に散りばめられたイメージ、言葉のシンコペーションとリズム、ガシっとステディなリズムをキープし続けるバンドサウンド。
このアルバムは、歌詞なんか分からなくても、ヒリヒリするような感情と情熱が伝わってくるという点で“NYパンクの最高傑作”だとも言えますね。
勿論、歌詞のインパクトも強烈です。


そういえば、ジョニ・ミッチェルがディランから受けた影響について、どこかでこんなこと語ってました。
「日常のどんな事でも歌の題材に出来るんだ、ってことをボブから学んだ」


64年という時代のポップ・マーケットを考えた場合、このアルバムの聴く者に一斉砲撃を浴びせかけるようなブッ飛んだ歌詞は、そりゃもう先鋭的で身震いするものがあります。
やっぱ、すごいっすよ、ほんと。
蜂の巣状態ですよ(笑)。
あの灰野敬二氏、曰く「文系ロックの最高峰」。
いや、こういう手法ってのは、もちろん詩人ならいろんな人がいたでしょうが、サブカルのロックでやっちゃってるってとこが先駆者ですよね。
あ、それがやれるからサブカルか(笑)。
30年代、ロバート・ジョンソンの深く深く魂を封じ込めたようなブルースの短い歌詞、50年代に類稀な観察眼と感性を日常の平易なストーリーに落としこんだチャック・ベリーの素敵な歌詞。。。そして60年代、際限なく溢れ出すイメージを聴く者の脳内にコラージュするようにバシバシッと貼り付けていくかの如きディランの歌詞。

資本主義というシステムに人間本来が持つ欲望をコントロールさせながら、四苦八苦して必死に合わせていかなきゃいけないという「喜劇」、人間が作った法律や権力に逆に怯えなければいけないという「悲劇」。。。。そして、それらを冷静に客観的に(暴力的に)見つめ、抜け道(≒人間らしさの問いかけ)を模索する地下生活者の観察視点。

まずは何といっても「Subterranean Homesick Blues」ですよ、やっぱ。

ジョニーは地下室で
クスリを調合している
俺はといえば、舗道の上で
政府について考えている
(〜「Subterranean Homesick Blues」)

気をつけな
新しい友達が欲しいんなら
路地裏は避けなよ
・・・
・・・
気をつけな
何をやってもいいんだが
音を立てずに歩け
“No Doz”(睡眠剤の一種)には手を出すな
・・・
風向きを知るのに 気象予報士なんていらない

しくじったら 軍隊入り
気をつけろよ 
やられるぞ
映画館にたむろする ヤク中野郎に詐欺師ども 6度目の失敗者 渦巻きのそばの少女 
新たな阿呆を探しても
リーダーには従うな
パーキング・メ−ターを監視しろ


英語の元の歌詞では執拗なまでに単語の韻を踏ませている技巧、一見分裂気味のイメージをまさに渦巻きのように1つのストーリーにまで持っていくというセンス。。。なんちゅうか、ストリートそのものが伝わってきますね。
いやもう、ほんと、同じような時期で君の手を握りたい(I Wanna Hold Your Hand)なんて言ってるのと全然違う世界です。
どっちがいいとか悪いとかではなく、こういう手法を大胆にほぼ全曲!で展開しているってのがこのアルバムの、ディランの凄さとしか言いようが無いですね。
例えば、ジャクソン・ポロックなんかの絵、ああいう感じそのものなのかもしれません。

しかし、このアルバム、“歌詞(意味とリズム)と不可分なサウンド”という点が何と言っても魅力的です。
「Subterranean Homesick Blues」の場合、よく聴くと右チャネルで非常に電気的にディストーションの歪みが効きまくったエレクトリック・ギターのフレーズが入ってたりして、サウンドの隠し味的な部分を見つける楽しみもあります。
ディランの初期サウンドとして、ある意味執拗なくらいミニマルに一定のリズムキープを継続していくバックのサウンドが最大の特徴だと思うんですが、こうしたバックのサウンドって言ってみればディランにとってのキャンバスのようなもんですね。
フォークロックへのまさに過渡期ど真ん中みたいな見方もされるアルバムなわけですが、エレクトリックになればなるほど、ディランのヴォーカルが電気的な磁場を切り裂くようにトレブリーに聴こえてくるのがたまんないです。
その最たるものが「Outlaw Blues」で、これはめちゃくちゃカッコいいですね。
以前当ブログでも採り上げたロスコー・ホルコム、スリーピー・ジョン・エステス、そこにリトル・リチャードとか。。。あのへん全部を凝縮し電気的に増幅させた偏執狂的ブルースですよ、これ。
“Ain’t〜”なんていうどちらかと言うとストリート寄りの下世話な表現がいきなりハイトーンで脳天を直撃するという。

「Bob Dylan's 115th Dream」、これも恐ろしいまでのクールな“ブルース”だと言えます。
左チャネルのギターが途中でリズムを変えていく瞬間、右チャネルのピアノが不気味に一定フレーズを弾き始める瞬間。。。これなんかも一発録りですしね。

A面がエレクトリックで、B面がアコースティックというアナログでの曲構成・流れも素晴らしいです。
B面のアコギの音の深さ、素晴らしいサスティンなどテクニカルなプレイなど無くてもずっと浸っていたい素晴らしいサウンドです。
特に不滅の名曲「Mr. Tambourine Man」の美しい完璧なメロディと“ねぇ、歌ってよ”と繰り返すある種不気味な歌詞の魅力、そしてラストの決定版「It's All Over Now, Baby Blue」。
例えば、フィーリーズもライヴでやってましたし、ホールの(カートを想ったであろう)コートニー・ラヴの痛く切ないヴァージョンなど、昔から不思議とニューウェーヴ、パンク以降のアーティストからも支持が高い曲です。

通りからやって来た素手の絵描きが
君のシーツに狂気の模様を塗りまくる
この空も 君の下に折り畳まれていく
もう何もかもが終わりなんだよ、ベイビー・ブルー
・・・
・・・
別れた死者のことなんて忘れることだ もう君を追いかけてはこないだろう
ドアを叩く宿無しが
昔君が着ていた服を着て立っている
別のマッチを擦ろう また新しく始めるんだ
もう何もかもが終わりなんだよ、ベイビー・ブルー
(〜「It's All Over Now, Baby Blue」)

狂気の模様って部分にジャクソン・ポロックのアートを連想させたり、別のマッチを擦ろうってあたりには、ブラインド・レモンの「マッチ・ボックス」までも連想させます(「マッチ・ボックス」自体が比喩でしたしね)。
聴く者の発想、連想も自由なんですよ、ディランの場合。
だから、成長して歳とって聴いても色褪せないんですよね。

このアルバム、当然ながらその他の曲も魅力的です。
ブルースっぽさとフォークっぽさが共存するようなブレンド加減が素敵な「She Belongs To Me」、ブルースを意識させるハードな「Maggie's Farm」(※『Hard Rain』収録ヴァージョンも素晴らしいですね)、渋く美しい「Love Minus Zero/No Limit」、ハーモニカも味わい深い「On The Road Again」、お馴染みトーキン・ブルーズタイプの「Gates Of Eden」、「It's Alright,Ma(I'm Only Bleeding)」など。


大江健三郎が「30歳になってもう一度読むドストエフスキーの『罪と罰』は違う味わいがある」というようなこと語ってました。

たしかに、「Subterranean Homesick Blues」を聴くと、いつも何となく『罪と罰』のラスコーリニコフのこと思い出しますね、私の場合。
60年代のディランは良くも悪くも、尖っていて傲慢で、でもルックスも抜群で魅力的ですね。

Oh Mercy

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コンプレッサーを使用するとギターストローク音の粒立ちが均一化され、そこにリヴァーブやちょっとしたディレイなどをかけたサウンドというのが80年代の1つのパターンとしてありました。
U2のエッジのギターしかり。凄まじいカッティングのセンスがありますが、先述したようなエフェクツを効果的に使ったサウンド作りは強烈な個性だったと思います。。。勿論、好みはあると思いますけど。

そうしたU2やネヴィル・ブラザーズなんかを手掛けたダニエル・ラノワのプロデュースによる80年代最後を飾る名品。
いろんなところで絶賛されているように、名盤には違いありません。
「Ring Them Bell」なんかを筆頭にどの曲も粒ぞろいで、アルバムトータル40分足らずの絶妙な収録時間となっているこのアルバム、ディランの生涯最高の作品という評価もたまに見かけます。


私は、冒頭の「Political World」、3曲目の「Everything Is Broken」(※元々この曲はアルバムタイトルの予定だった)、6曲目の「Most Of Time」あたりが特にお気に入りです。
ウィリー・グリーンやトニー・ホール、シリル・ネヴィルといったネヴィルズのメンバーが参加しており、“メカニズム上は”ニューオーリンズの陣容と言ってもおかしくないと言えます。
実際、ニューオーリンズ録音ですし。
それでも、ディランのフィルターがかかっているので丁度良い具合にバランスが取れている気がします。

現在、『モダン・タイムズ』までリリースしたディランの作品を振り返ると、『Oh Mercy』といったこのあたりのアルバムでは既にディランが「歌っている」という点に改めて気付かされますね。
勿論、昔から歌っているわけですが(笑)、小節にきちんと乗ったリズムとメロディで「歌っている」ということです。
かつてのディランの小節をまたいでいく変幻自在の言葉を駆使したシンコペーションはそこにはありません。
その代わり、ブライアン・ストルツとダニエル・ラノワによるギターフレーズがめちゃくちゃカッコいいフレーズを弾いていると思います。
彼らのギターはものすごくいいですね。

ステディで表主体のリズムギターが主体だった60年代のディランサウンドと比較すると、『Oh Mercy』で彼らの奏でるギターっていうのはビートの裏と絶妙なシンコペーションを感じさせる素晴らしいフレーズになっていると思います。
そういう意味で先に挙げた「Political World」、「Everything Is Broken」、「Most Of Time」の左右のチャネルから聴こえてくるギターは非常に味わい深いと思います。
ただ、いつの時代のディランが最もカッコいいのか、というのは人それぞれでいろんな感想があると思いますけど。


ちなみに、ディランが自ら発見して、同アルバムジャケに採用したトロツキーのストリートのアートは確かに美しい。

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Real Live

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台風が首都圏を襲うということで、早めに帰宅したかったが、やはりそれなりに残業だった。
雨の渋谷はいつもより人が少ないようにも感じた。

帰りの電車で明日の仕事のスケジュール確認をした後、カバンから文庫を取り出して読もうとしたが、どうにも傘が邪魔で落ち着かない(苦笑)。
仕方ないので、ディランの『Real Live』を聴きながら帰った。

私にとって、この作品は80年代にリアルタイム買ったディランのアルバムとして思い入れが深い作品の一つだ。
でも、このアルバムが最高傑作だという声はあまり聴かない。
丁度この頃話題となったライヴエイドで、キース・リチャーズとロン・ウッドを従えて「When The Ship Comes In」をアコギで演るシーンを見たとき、路上に寝そべってたホームレスのおっさんを煌びやかなステージに無理やり引っ張り出してきたかのような“貧乏感”が少し悲しかった。

80年代のディランは格闘しているようだ。
時代の寵児だった60年代、パフォーマーとしての真価を発揮し音楽性をさらなる高みに持っていった70年代。
そうした過去に比べると80年代のディランはやはり分が悪いように思えた。

でも、今日『Real Live』を聴いて、非常に頑張っているなぁと改めて感じた。
このアルバムのアコギの音はあまり好きでない。
でも、必死のストロークが胸を打つ。
唄あってのギターという真髄を見せつけてくれる。

クラプトンを目指してソロへ挑戦するも、やや失敗の感が漂い始めた当時のミック・テイラーが真摯にギターを弾いている。
モッズのヒーローの一人だったイアン・マクレガンの軽快な鍵盤の音と、醜く太ったイギリス人ギタリストのリフが、貧乏臭いアメリカ人のおっさんを必死に守り立てている。

「Higway 61 Revisited」はミディアムテンポのフラットなロックンロールに形を変え、テイラーはかつてキースが弾いていたようなステディな3コードを黙々と弾いている。
バック・ビートを効かせた「Maggie's Farm」ではスライドも弾いている。
かつてのような、情熱とセンス迸る自己主張ではなく、あくまでもリズムを意識したプレイだ。
このアルバムでは隠し味のように、ディランのセンス良いエレキのギターストロークが時折聴こえてくるのが魅力だ。

20年近く前と同じように変わらぬ観客の合唱を誘う「It Ain't Me,Babe」。
ディランのアコースティック1本の熱唱。
そして、以前どこかで書いたことがあるが、この『Real Live』の中で「Tangled Up In Blue」が最高に私の胸を打つ。
スタジオヴァージョンを崩したサビのメロディがとにかく切なく美しい。
この「Tangled Up In Blue」はやはり最高だ。

風が強まり雨が打ちつけられる電車の窓から外を見ながら、ライトニン・ホプキンスのサングラスに落ちたカリフォルニアの雨の滴やディランの雨だか汗だかに濡れた貧乏顔を交互に思い浮かべたりしていた。

80年代のディランは黙々とただひたすら仕事をしていたような気がする。
やっぱ男は働かなきゃ生きていけないし(笑)。

『Real Live』というタイトルはシンプルで何の飾り気も無い。
でも、本当にリアルなディランを感じ取ることができるライヴだ。

三島由紀夫は太宰治が嫌いらしい。
三島は太宰のことを浮世離れしたキザな野郎と思っていたフシがある。
太宰の才能は認めつつも、三島は「文章は筋肉だ」と豪語していたし。
ディランの80年代初期は肉体労働を黙々とこなす寡黙で筋肉質の男のようだ。
66年、クスリでイメージ渦巻く別世界でマッドな王様だった一人の美青年が、狂気が潜行する80年代という時代にリアルな情けなさ、男らしさをそのまま曝け出しているようにも思える。

でも、結局、男は社会でも家庭でも本質的には単なるインフラなんだから。
筋肉質にならなければいけない。

Hard Rain

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ローリング・サンダー・レヴューを捉えた『Bootleg Series Vol.5』の2枚組CDがリリースされた今となっても、この『Hard Rain』のライヴアルバムとしての魅力は少しも色褪せていないように思う。ツアーのセットリストから曲をセレクションした編集ライヴではあるが、アルバム1枚がまるごと壮大な1曲分と感じられるほど、心に深く刻まれる名盤。ディランという一人のアーティスト(パフォーマー)の声や動き、息遣い、それに連動する旅芸人達の放つUp⇔Downの激しい演奏が波状攻撃の如く聴く者を圧倒していく。

白人が黒人の顔を真似て黒塗りする19世紀の大衆芸能ミンストレル・ショウというモチーフがディランの頭にあったのかどうか。。。それにスカーレット・リヴェラとの出会いもこうしたアイディアに結びつけたのかどうか。。。ただ、そんなことよりもこの『Hard Rain』は電気的に増幅された巨大な音楽の渦になっている。飲み込まれそうだ。

Up⇔Downの激しいバンドのアンサンブルはギリギリの美しさと危うさを孕んでいる。「Lay Lady Lay」や「You're a Big Girl Now」その他いくつかの曲に見られるように、昇り詰めて一気に吐き出すような展開、一旦ブレイクし再び力強くなるというメロディ構成上の意味でのUp⇔Downの激しさがある。そのUp⇔Downの度にディランを中心にした凄まじい求心力が働き、全く“別次元”の感動をもたらしている。演奏の巧みさ、歌唱の素晴らしさなどと簡単に言ってしまいたくない、神懸りのような“力”が宿っているように思えるのだ。

このアルバムは皆さんの中にもお好きな方も多いのではと思う。ハードでヘヴィな「Maggie's Farm」、スタジオ・ヴァージョン以上の力強さとポップ性が加わりつつも、あの酩酊感が失われていない「Stuck Inside of Mobile With the Memphis Blues Again」。これらの曲も確かに素晴らしい。そんな中で私は、まずは「Shelter from the Storm」の“ボ・ディドリー”を推したい。あの繊細なスタジオ・ヴァージョンがボ・ビートを下地にした最高のアレンジで生まれ変わっている。このアルバム中でも演奏面でのまとまり、ダイナミズムは抜群なのではと感じる。バンドとの一体感も最高だ。そして、スタジオ・ヴァージョンの大胆なアレンジという意味では、「One Too Many Mornings」のドラマチックなアレンジ、叙情性あたりにも惹かれる。このメロディは何度聞いても感動的だ。

ラストの「Idiot Wind」は、これこそただもうディランの唄に飲み込まれるしかないだろう。これぞパフォーマー、これぞまさに“唄うたい”の姿だろう。『Hard Rain』を聴き終わると、深いため息(深呼吸?)が出てしまう。こんなライヴやり続けたら絶対死ぬと思う(笑)。

John Wesley Harding

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このアルバムは今なお朽ちない魅力を湛えている。60年代末に登場した...いや、地下室から地上に這い上がってきたカントリー・ブルースだと思っている。サイケデリックの放射能から逃れ、ケミカルな垢にまみれていないサウンドだ。レヴュー読みすぎの人が、カントリー・ブルースじゃなくってカントリーへの接近やろう?と言うかもしれない。そりゃそうかもしれんが、そんな感想は全く面白くない。シンプルでアコースティックで味わい深い。。。それも凝縮し過ぎのレヴューだ。このアルバムの楽曲群はイマジネーションを掻き立てる。もっと言うと、「電気を通したくなる衝動」に駆られる。つまり、カントリー・ブルーズが持っているような極上の素材だと感じる。

ディランのハーモニカとアコースティック・ギター、チャーリー・マッコイのベース、あとはドラムとせいぜいスティール・ギターが2曲に加わるだけという、超シンプルな編成である。ディラン特有のシンコペーションが少なく、メロディに乗って割りときちんと歌っているのも特徴だ。ステレオで聴くと、右チャンネルからドラムが独立して聴こえてくる。ディランのアコギと完全に分離されている。これが非常に不思議な感覚を与えている。機関銃のようなディランの言葉が無く、ギターはほぼ100%アコギに近く、しかもストロークプレイに徹している。チャーリーのベースは躍動感があって楽しいが、全く贅肉というものが無い削ぎ落とされたサウンドが、極めてクールだ。逆に未来を感じさせるというか、アーバンでサイバーな(笑)フィーリングを生み出している。

例えば、「I Am a Lonsome Hobo」なんかも実にクールでカッコいい(タイトルもいいしね!)。このディランのヴォーカルメロディ、ギター、音の隙間が何ともいえぬ空間を生み出している。この曲は誰か20代若手バンドが早く、ガレージロックでカヴァーすべき逸品だ(日本の若手でも構わん)。ディランの『John Wesley Harding』というアルバムが、彼のモーターバイク事故後、地下潜行を経て(バンドとのベイスメントテープス等)、結果的にトレンドとしてのサイケデリックムーヴメントに終止符を打つ役目を担ったことは皆さんも御存知だと思う。もっと、直球で言えば、このアルバムが無ければ、ストーンズの『Beggars Banquet』が生まれたかどうか少し怪しい。「I Am a Lonsome Hobo」はじめ、このアルバムのいくつかの曲を聴いていると、ディランの弾むアコースティックギターのカッティングが実に大きな役目を担っているように思うのだ。少し跳ねるこのカッティングはストーンズの「Stray Cat Blues」やキンクスの「Big Sky」あるいは、VUの「Beggining To See The Light」なんかに与えた影響はあると思う。このアルバムを聴くと、むしょうに“電気処理”を施したくなる欲望に駆られるのだ。それは、この作品群が極上の素材で聴くもののアイディアを思いっきり刺激するからだと思う。実際に同時代的にこの『John Wesley Harding』をサウンド面でのモチーフにして新たなロックを作った連中は相当に多いだろう。サイケデリックからロックをまた一つ次ぎのフェーズへ移行させた功績は大きい。

なんか長々と書いてしまったが、『John Wesley Harding』は各曲が実に瑞々しく、そしてメロディアスなのだ。ジミヘンやニール・ヤングの「ウォッチタワー」のカヴァーは勿論、パティ・スミスやロッド・ステュアートの「ウィックド・メッセンジャーズ」、最近だとノラ・ジョーンズの「アイル・ベイビー・ユア・トゥナイト」など。。。他のアーティストにカヴァーされる名曲も実に多いアルバムでもある。

私は、いわゆる“アコースティックでのグルーヴ”をどうしても実感したくて、写真のUS・2EYEラベルMONO盤(CL2804)※プロモーションラベル付き…を入手してステレオとの違いを確かめたかった。アコギとドラムが一体となったモノラルサウンドは素晴らしい。やはり、ディランのカッティングが弾んでいるだけにドラムとのコンビネーションと相俟って立体的なグルーヴが中央から感じられる快感が最高だ。ただ、冒頭に述べたようにこのアルバムはステレオ盤も摩訶不思議な魅力があると思う。要するに、引退間近のおっさんがやるアンプラグドなどでは断じてないのだ。『ナッシュヴィル・スカイライン』とも違うのだ。

このアルバムは、今も相当なヘビーローテーションで聴いている。

未来に向かって飛び立った、60年代末のカントリー・ブルーズだ。

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