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”「ピンクトライアングルの下で」
HIVによる伝染病へのノロノロした取り組みは1000年に渡るキリスト教の背任行為と
性に対する教会の子供じみた態度の結果だ。
もし誰かひとりだけが責めを負うのだとしたら、自分の生殖器にある罪を述べ立て、
聖人への道を台無しにしたヒッポのアウグスティヌスだ。
彼とは違って、性欲は祝福されるべきものと考えていた人々は処刑されるか
身を隠すしか道は無かった。その災難は品の悪いタブロイド新聞がアウグスティヌスの
仲間を魔女狩りのように捜し求めることで今でも続いている。
そして頭のおかしい聖人たちが次々にアウグステゥヌスの列に加わってきた。
ーー肉体が病によって傷つくよりも魂が罪のよって傷つき貶められるのだから肉欲はまさに
恥ずべきものだ。真の喜びとは自然とともにのみあるものだ。
神が人を見捨てるとき、すべてが逆さまになる。だからこそ、このような淫らな行いをする人々は
殺人者よりも罪深い。殺人者は魂を肉体から引き離すだけだが、このような人々は魂を肉体に
留めたまま破壊するのだ。あなたがたが罪をたとえどのようなものだと定義しても
このような淫らな行いを罪と同じものだと呼ぶことは出来ない。
淫らな行いをする者が自分に対して何をしているかを本当に理解したらむしろ
1000回死ぬ方を選ぶだろう。−−聖ジョン・クリゾストム
このような歴史が教会の中だけに留められておかれなかったのは大きな問題だ。
神学者はこれらの醜悪な心を持つ連中をラテン語やギリシャ語の砦に隠しておくべきだったのだ。
彼らの遺産が社会に広まったおかげで我々は文句も言えずにガス室送りにされたのだし、
連合国側は強制収容所を「解放」したあと、我々をオカマという「罪」で社会の中の監獄に連れ戻したのだ。
強制収容所はもともと異端審判の考え方から創案されたものでそれがキリスト教伝統の中心をなすもの
だとみなされない限り、正しく理解されることは決してないだろう。
我々HIV感染者も、別の種類の強制収容所に閉じ込められているのだ。”
<コメント>
デレクジャーマンはゲイの芸術家だがいいことを言っているので載せます。
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