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”不眠を理由に宿で深酒をし、朝、撮影現場に連絡も無しに来なかったり来ても酒のにおいを
させていることが増える。ダリル、エルモの目が無くなったことでタガがハズレ、黒澤は自分を抑えて
周りとうまくやる、という意識がなくなったような行状である。
彼はひとり空回りし、スタッフは右往左往して彼からますます離反していく。
ある朝、心身ともに疲れきった黒澤は倒れ、京都大学付属病院に緊急入院。北海道にいた第二班監督の
佐藤純爾が現場を心配して急遽京都入りする。撮影は遅れ始め、ハワイで米側撮影準備に奔走するエルモと
南仏にいるダリルは、京都からラッシュフィルムが届かずやきもきする。
68年当時、東映京都撮影所では、プログラムピクチャーとして仁侠映画が数多く製作されていた。
そのため着流し姿の役者や本物と思われるヤクザが所内を闊歩。黒澤はそれを嫌い、また同時に自分が襲われるかも
しれないという恐怖を覚える。その不安が高じた結果「ヘルメット・ガ−ドマン要求事件」が起こる。”
<コメント>
照明器具落下などは、陰謀めいたものを感じますし、ヤクザの件もじつは集団ストーカーではないかと考えられる。
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