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”ユスターシュは、映画批評の機能不全、産業、大衆、搾取への消極的抵抗しかない現状に深い失望を表明している。
「この十数年来、ぼくがひどく失望し続けてきたことを君に隠そうとは思わない。
この失望感と共にぼくは生き続けることになるんだ」。
1980年、ギリシャに旅行中、ホテルの部屋のテラスから落下し、以後片足が不自由に。
自殺未遂かと思われるが、死の数週間前に会いに行ったコトレルに対しユスターシュは、夕日を見ようと
思ったが手すりがなかったので落ちたと言っている。
1981年、パリの自室でピストル自殺。自殺の模様は廻しっぱなしのビデオカメラに撮られていた。
晩年は部屋に閉じこもり、ビデオで巨匠の作品を見、頻繁に電話をかけ会話を録音。
髪の毛もヒゲも伸ばし放題でベケットを読んでいた。
部屋の戸には「死者を起こすには強くノックすること」とか、
「もし返事がなかったらそれは死んでいるからです」などと記されたカードが貼ってあったという。
映画高等学院の特別講師として彼を招聘していたジャン=アンドレ・フィエスキが車で迎えに来て遺体を発見した。”
「ジャン・ユスターシュ」より
<コメント>
映画監督として有名なジャン・ユスターシュは自殺しました。
彼の性格、作風、末路から鑑みて、諜報機関に人生を干渉されていたと考えることも出来る。
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