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ルソーさんの「孤独な散歩者の夢想」からの抜粋を紹介。ルソーさんは集団ストーカーを迫害者と呼びますが
分かりやすいようにぼくが独断で迫害者を集団ストーカーに変えています。 ちなみに、ルソーさんは18世紀後半の知識人でこのときの舞台はスイスです。 以下抜粋......................................... 人なき里に新しい植物を求めに行く喜びは集団ストーカーから逃れる歓びをもたらす。そして、人跡を見ない場所にでも来るとぼくはもはや彼らの憎悪が追跡してこない隠れ家にでもいるように心ゆくばかり呼吸する。 苔の枕に座るとぼくはここにこうして全世界から知られていない、集団ストーカーもぼくを探し出し得ない隠れ場にいるのだと考えながらいよいよ心ゆくまま夢想し始めた。ほどなくある誇らかな感激がこの夢想に混じってきた。 無人島を発見したあの大旅行家にぼくは自分を比較したりした。そしてここに分け入ったのはおそらく自分が最初の人間だろうと、ひとり悦に入ったことだった。ぼくは自分をコロンブスと思いかねないほどだった。 ぼくがこの考えにいい気持ちになっていた折りしも、ほど遠からぬところから聞き覚えのあるような、はっきりとカチカチと鳴る音がした。ぼくは耳を傾けた。するとその同じ音が繰り返され、増加していく。 ぼくは驚き怪しんで立ち上がり、音のする方へと密生した草むらを押し分けていく。すると、ぼくが最初に来たのだと自負していたその場所から20歩ばかりの小さな谷間に靴下製造所があったのである。 ぼくはコレを発見した時の、心に感じた、妙な、こんがらがった動揺をどう表現していいか分からない。もうこうなっては、アルプスの洞穴に入ってもぼくを虐待しようと躍起になっている彼ら集団ストーカーの残酷な手から逃れ得ないように思われてきたのである。 なぜなら、プロテスタント司教のモンモランが首領となって、なるべく僻遠から同士を駆り集めたあの陰謀に加わらなかった者は、恐らくこの工場に2人とはいまいと思われるからだ。 .................................................. 18世紀の集団ストーカーの被害者であるルソーさんは、現代のぼくと同じように自然に触れて安堵しています。 おれも散歩をするようになってから潮騒とか、鳥たちとか彼らに操作されていない物に触れて安堵します。 集団ストーカー被害者の気持ちというのは今も昔も変わらないんだな、ということです。 |

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