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ボードレールの散文詩「パリの憂愁」より抜粋
”わたしがとある酒場に入ろうとした時のことだが、ひとりのコジキが帽子を私の前に差し出した。
それと同時に、わたしは耳もとに囁くひとつの声、私の良く知っている「ある声」を聞いた。
これこそ、どこにでも私について廻る守護の「天使」、あるいは「悪魔」の声だった。
ところで、その声は私にこう囁いた。「平等であることを証明し得る者のみがよく他人と平等なのである。
自由を征服し得る者のみがよく自由に値するのである」と。
さっそく私はコジキに飛びかかった。拳固の一撃をお見舞いしたのでヤツの片目はたちまちにボールのように
ふくれあがった。歯を2本折ってやったが、おかげで自分の生爪を一枚剥がしてしまった。
それにわたしは生まれつきか細い方で拳闘を習ったといえるガラでもないし
たちどころにこの老人を撲殺できるほど頑丈だとは考えられなかったから、片手でヤツの着物の襟首をとらえ、
もう一方の手で喉首をつかんでヤツの首を力任せに壁にぶっつけ始めた。
白状しなければならないが、私はあらかじめ周囲を横目でうかがって、ひとけの無いこの場末のあたりでは
かなりの長い間、警官たちの巡視の目に触れないでいられることを確かめておいた。
その次に肩甲骨も折れよとばかり、相当猛烈な勢いで背中をひと蹴りしてふらふらになった60爺さんを
一気に打ち倒すと地面に落ちていた太い丸太坊を拾い上げてビフテキをやわらかくしようとする
料理人の執拗な根気強さを真似しながらヤツを殴りつけた。
たちまちにして爺さんの身体はよもやと思われるほどの生気をみなぎらせて向き直り起き上がるのを私は見た。
そして、わたしがこいつはうまい兆候だと思ったほどの怨めしげな目つきになると
この老いぼれ凶漢は私に飛びかかり私の両目をふくれあがらせ歯を四枚折り、同じ丸太棒で
わたしを漆喰のように叩きのめした。”
<コメント>
アントナン・アルトーによればシャルル・ボードレールも集団ストーカーされていた。
それを検証するためにぼくは「パリの憂愁」を中古で買いました。
パラパラ見るとまずこのタイトルが目を惹き、一読したところ、集団ストーカーぽいと感じました。
この頃は骨伝導音声送信(1930年代)の技術が無いので、標的に「幻聴」を聞かせるには
そばにいる集団ストーカーが直接聞えるか聞こえないかの距離でほのめかしを囁いていたものと考えられます。
ボードレールのいう「どこにでも私について廻る守護の『天使』、あるいは『悪魔』の声だった」とは
そういうことではなかったのか。夏目漱石もそういう声について言及していますが。
ということで、骨伝導音声送信技術が存在しない当時は、加害者が標的から暴力を受けるということも
多々あったのではないでしょうか。今ではそういうことは少なくなっているとは思いますが。
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