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三島は川端と文通していました。最後から2つ前の手紙から
「川端康成 三島由紀夫 往復書簡」より抜粋
”ここ下田に16日までいて、17日にはまた自衛隊へ戻り、23日まで自衛隊にいて
新入会員学生の一ヶ月の訓練の成果に立ち会う予定であります。
ここ4年ばかり、人から笑われながら小生はひたすら1970年に向かって少しずつ準備を整えてまいりました。
あんまり悲壮に思われるのはイヤですからマンガのネタで結構なのですが、小生としては
こんなに真剣に実際運動に身体と頭と金をつぎ込んで来たことは初めてです。
1970年はつまらぬ幻想に過ぎぬかもしれません。しかし、100万分の1でも幻想でないものに
賭けているつもりではじめたのです。
ますますバカなことを言うとお笑いでしょうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。
小生にもしものことがあったら早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラを拾い出し
不名誉でメチャクチャにしてしまうように思われるのです。
生きている自分が笑われるのは平気ですが、死後、子供たちが笑われるのは耐えられません。
それを護ってくださるのは川端さんだけだと、今からひたすらたよりにさせていただいております。
また一方、すべてが徒労に終わりあらゆる汗の努力は泡沫に帰し、けだるい倦怠の裡にすべてが
納まってしまうということも充分考えられ、常識的判断ではその可能性の方がずっと多いのに
小生はどうしてもその事実に目を向けるのがイヤなのです。
ですからワガママから来た現実逃避だと言われても仕方のない面もありますが、現実家のメガネをかけた
太った顔というのは、私のこの世でいちばんキライな顔です。”
<コメント>
三島も集団ストーカーされていました。日記かなんかがあればもっと確実なはずなんですがないのでしようがない。
去年、NHKで三島の古いインタビューを見たが、政治的なことを語りだすと近所の犬が吠え出し、
三島がギクッとした表情をしたのを見たのです。
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