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前の記事から続き…
”私たちに与えられた旅程は、東京、モスクワ直行便が満員だったため、はじめから東京、カラチ、モスクワという
変わったコースであったがこのカルカッタでも思わざるアクシデントはカラチでの乗換便を失わせ、さらに
イスタンブール、ソフィア、モスクワという「より変わった」経路を私たちに与えることになったのである。
そして、まずヨーロッパの入り口に達してからヨーロッパアジアへ戻るといった、いわば東半球大圏コースとでも
呼ぶべきこの長い経路の採用によって私たちのモスクワ行きは一日遅れたのであった。
カルカッタでの思わざる飛行機事故がひき起こしたモスクワ到着の一日遅れが社会主義国で私たちにもたらした
出来事を先ず記すことにする。
ところで、高い大きなガラス張りの建物であるモスクワ空港の一隅にあったインツーリストの部署はいってみれば
旅行客が到着した時だけの臨時出張所といったかっこうで僅か2つのテーブルを横につなぎ合わせ、その向こう側に
3人の若い係員が腰掛けているといった簡素なものであった。私とT君がそのテーブルの端に腰掛けている
もみあげの長いメガネをかけた若い男の前にゆき、カルカッタでアクシデントがあったので遅れたと述べながら
パスポートを差し出すと、すぐ備え付けのリストを出して調べながら書類を整え即座に私たちのホテルを指定するかの
ごとく見えた。
そのとき、彼の隣にいたやや年配の小太りの男が彼に何か注意すると、注意されたもみあげの若い男は急に仕事を中止
してしまい、不審に思った私たちの注視の中で小太りの男が2つのパスポートを手に持って立ち上がると
100mくらいある大きなロビイをはずれまでゆっくり横切りそのつきあたりの一番奥にある部屋の扉をあけて
中へ入ってしまった。そして、それからの事態こそ、私とT君が、その後、あまりにもしばしば顔を見合わせながら
繰り返すことになった「カフカ的状況」のはじまり、なんら説明もないため、どうしてそこにそしていつまでも
長く打ち捨てられたままになっているのか、かいもく見当もつかぬ不思議な状況のはじまりなのであった。
10数分立つと映画のロングショットの場面ように遠い広間の隈の扉を開いて小太りの男が出てき、こちらへゆっくりと
歩いてくる姿が目に止まった。長い時間をかけて近付いてくるこのやや年配の男の黒い上着の下は襟なしの赤シャツで
ネクタイをしていないことに私は気づいた。そして待ちくたびれている私たちの前へ近付いてきた彼は
普通の口調で「ちょっと待っていてくれ」と言ったのであった。
それ以後、幾度もその中に置かれた否応無く納得せしめられることになった、この「待っている」事態こそ
知ってみれば官僚主義を支える最後の柱に他ならなかったのである。”
「姿無き司祭」より
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