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単行本「文鳥(変な音)」より抜粋:
”うとうとしたと思ううちに目が覚めた。すると隣の部屋で妙な音がする。
始めは何の音とも、またどこから来るともはっきりした見当が付かなかったが聞いているうちにだんだん耳の中へ
まとまった観念が出てきた。
何でもワザビおろしで大根か何かをごそごそ擦っているに違いない。
自分は確かにそうだと思った。それにしても今頃何の必要があって隣の部屋で大根おろしをこしらえているのだか
想像が付かない。
言い忘れたがここは病院である。
自分はわからないなりにしてもう少し意味のあることに自分の頭を使おうと試みた。
けれども一度耳に付いたこの不可思議な音はそれが続いて自分の鼓膜に訴える限り妙に神経にたたって
どうしても忘れるわけにいかなかった。あたりはシンとして静かである。
この棟に不自由な身をを託した患者は申し合わせたように黙っている。
寝ているのか、考えているのか、話をする者はひとりもいない。
廊下を歩く看護婦の上草履の音さえ聞えない。その中にこのゴシゴシと物をすり減らすような異な
響きだけが気になった。
この音はその後もよく繰り返された。ある時は5、6分続いて自分の聴神経を刺激することもあったし、
またある時はその半ばにもいたらないでパタリとやんでしまう折もあった。
そのうち、自分は退院した。そうしてかの音に対する好奇の念はそれぎり消えてしまった。
三ヶ月ばかりして自分はまた同じ病院に入った。
水道の栓をねじっていると看護婦が受け持ちの部屋の茶器を洗いに来て、やがてその目を自分の横顔に移して
この前ご入院の時よりもうずっとお顔色が好くなりましたね、と三ヶ月前の自分と今の自分を比較したような批評をした。
「この前ってあの時分君もやっぱり付き添いでここに来ていたのかい」
「ええ、ついお隣でした。しばらく○○さんの所におりましたがご存知はなかったかもしれません」
○○さんと云うと例の変な音をさせた方の東隣である。けれどもその頃自分の神経をあの位刺激した音の原因については
別に聞く気も起こらなかった。
すると女が突然少し改まった調子でこんなことを言った。
「あの頃あなたの御室で時々変な音がしましたが…」
自分は不意に逆襲を受けた人のように看護婦を見た。看護婦は続けて云った。
「毎朝6時になるときっとするように思いましたが」
「うん、あれか」と自分は思い出したようについ大きな声を出した。
「あれはね、オートストロップの音だ。毎朝ヒゲを剃るんでね、安全カミソリを革砥へかけて磨くのだよ。今でも遣ってる。
ウソだと思うなら来て御覧」
看護婦はただへえへえと云った。だんだん聞いてみると○○さんという患者は、ひどくその革砥の音を気にして
アレは何の音だ何の音だと看護婦に質問したそうなのである。
「そりゃ好いが御前の方の音は何だい」
「御前の方の音って?」
「そら、よく大根をおろすような妙な音がしたじゃないか」
「ええあれですか。アレはキュウリを擦ったんです。患者さんが足がほてって仕方がない、キュウリの汁で冷やして
くれって仰るもんですから私が始終擦ってあげてました」
「じゃやっぱり大根おろしの音なんだね」
「ええ」
<コメント>
ということですが、これはよく集団ストーカーがやるヤツですね。
ぼくも病院にいた頃はよくやられました。毎日です。毎日というか毎分というか…
「変な音」の看護婦のいいわけもしごくもっともなようでどこか矛盾しています。というか、もとより大ウソなのでしょう。
彼らは「遠慮する」ということを知らないのです。てか、意図的に遠慮しないのです。
遠慮しないということは別に法律には触れないし犯罪とは認識されないのだ…!
あいつらはこの点を最大限に利用しています。
この漱石の短編を見て分かるように、大正・昭和初期の頃から現在に至るまで集団ストーカーと言うヤツラは
まったく遠慮するということを知らないのです。
「遠慮しない」という気持ち。それは近代になって欧州で発明された見えない兵器なのです。
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