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ジャンポールサルトルの小説「猶予」より
「君は地下鉄とか劇場の休憩室とか汽車の中とかで、うしろから目を付けられているという
我慢のならない感じを経験したことがあるはずだ。
そう、それはぼくが初めて9月26日午後3時にホテルの庭で感じたことなのだ。
ぼくは一段と密になり凝集した。ぼくは透明でも不透明でもあった。
ぼくはまなざしを前にして存在していた。ああ、マチウ、なんという発見だろう。ぼくは見られているのだ。
ぼくは自分を知ろうともがいた。そしてそのあいだじゅうぼくは見られていた。
まなざしは少しも変わらずつきつけられていた。まるで目に見えぬ刃といったところだ。
まったくのところ、はじめはこの絶えず犯されることにはイヤでたまらぬ思いがした。
そのまなざしがぼくの逃れられぬ普遍的環境だと言うことが急に分かった時にはなんという苦しみだったろう。
だがまたなんという安らぎでもあったろう。
いまにしてついにぼくは自分の存在することを知っている。
ぼくは君たちの預言者のばかばかしくも誤りの多い言葉、『我思うゆえに我あり』を
こう言い直すのだ。『我見らる、故に我あり』と。
ぼくはもはや自分がねばねばしながら流れていくことに責任を負わなくても良いのだ。
ぼくを見るものがぼくを存在させる。ぼくはそれが見るとおりに存在するのだ…」
<コメント>
サルトルは頭の良い人だし、世界初(?)の集団ストーカー被害者、ルソーと同じ
フランスに住んでいたので集団ストーカーされていた可能性もある。その経験をもとにしたと考えても不思議ではない。
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