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原題: − 製作年度: 1949年
監督: 小津安二郎 上映時間: 108分
製作総指揮 − 原作 広津和郎
音楽 伊藤宣二 脚本 野田高梧 、小津安二郎
笠智衆(曽宮周吉)
原節子(曽宮紀子)
月丘夢路(北川アヤ)
杉村春子(田口まさ)
青木放屁(田口勝義)
宇佐美淳(服部昌一)
三宅邦子(三輪秋子)
三島雅夫(小野寺譲)
坪内美子(小野寺きく)
桂木洋子(小野寺美佐子)
谷崎純(林清造)
高橋豊子(林しげ)
紅沢葉子(茶場の先生)
◎採点:★★★★★(5/5点)
◎レビュー:自らの記憶に照らして身体で感じるもの。
3年前、小津監督の『東京物語』の良さがよくわからず。
☆4つを付けました。
けれど、最近、再び、TVでおなじ『東京物語』を観たところ。
意外にも、しみじみ泣いてしまいました。
それ以降、以前に☆4つ付けた自分を悔しく思いつつ。
また、小津監督の作品をもっと観てみたいと思っていました。
このたび、小津映画についての評論文(*小津安二郎の反映画)を授業しなければならなくなり。
しかし、どう教えたものかと、考えあぐねて。
とりあえず、まずは小津監督の作品をもっと観ようと、この『晩春』を借りたのです。
母親を亡くし、父親と二人暮らしをしている娘が。
親族や父親に説得されて、とうとうお嫁にいく、というお話。
現代でも、結婚しない女性は、周りからおせっかいを焼かれ。
家族からは真剣にせがまれ、上司からは酒の席で説教され(=からまれ)て。
はなはだ迷惑で生きづらかろうと思われますが。
この映画の舞台は戦後も間もない“昭和”時代ですから。
それはもう、なおいっそう、未婚のままではずいぶん居心地悪い時代だったでしょう。
にもかかわらず、じぶんの心に正直に、しあわせって何なのだろうかと思えば。
結婚をただの「墓場」ととらえる人が居たとしても、理解のできるところです。
いやむしろ、古き良き男権主義の時代に、「妻」や「嫁」や「母」の立場になることは。
「娘」である自由や「自分自身」である自由を喪うことであり。
「夫」や「姑」や「子」に従属する生活に堕ちることだと感じても不思議ないでしょう。
まして、自由だとか平等だとかいう進歩的な思想を、教育や読書から得ていればなおさら。
恋愛や新婚生活などという名の、架空のファンタジーのあとに連なる、現実の結婚生活が。
未婚時代よりもしあわせになる確率の低さを、思わずにはいられないはずです。
ニヒリズム? いや、リアリズムでしょう。
しかし、それでもなお。
多くの人は結婚せずにはいられません。
それはなにぶんにも、人は、孤独だからでしょう。
ひとりで居つづけることをつらいと思わぬならば、きっと。
ひとりで居つづけることの自由は、何にも替えがたいと感じるやもしれません。
しかし、人は、ひとりで居つづけることをつらいと思うものなのでしょう。
主人公の娘さんは、母を亡くし、父親とのふたり暮らし。
父のそばに居られることに、しあわせを感じています。
彼女はいま、孤独ではないのです。
あいにく、恋愛は、どうやらうまくいかなかったと思われます。
ですからこそ、なおさら、いまの生活を。
喪いたくないのかもしれません。
結婚などという、あらたな人生の展開など、ただ強い不安を感じるだけです。
いまの生活のしあわせに替わるだけのものが、確約されるわけではないのですもの。
もちろん、いつか、孤独は、やってきます。
老いた父は、いつか、娘さんの元を去るのですから。
ですから、老いた父は、娘のことを心配し、娘の結婚を願います。
お父さんの気持ちも、よくわかります。
どちらの気持ちもわかるから、観ている者は、痛い、つらい、板ばさみです。
私も結婚式の1週間前、婚約者(妻)とひどい喧嘩をして。
こんなことで、結婚しても果たしてやっていけるのだろうかと。
互いに心中、考えたものです。
その後も、新婚旅行中も喧嘩、新婚生活中も喧嘩に、喧嘩に、喧嘩を重ねて。
ようやく今があるわけで。
もしかしたら、右に振れたか、左に振れたか、場合によっては、いまとは逆の方向に。
進んでしまった可能性もあっただろうと思います。
でもそうやって乗り越えてきて、偶然か必然か、今のしあわせが在るわけで。
ですから、娘さんの不安な気持ちも、お父さんの台詞の意味も。
どちらの考えもよくわかるから、観ている者は、切なく、そして、頑張ってね、と。
ふたりにエールを送らずにはいられない。
これはそういう映画だと、思われました。
* 吉田喜重『小津安二郎の反映画』(平成17年大学入試センター試験国語第1問「評論」)
小津映画を観たことのない生徒たちに、小津映画の評論文を解説することの難しさ。
正解の選択肢がどれであるかを理解させることは、決して難しくないけれど。
しかし、文章を「わかる」ということが。
自己の“経験(記憶)”に照らして、その内容の意味するところを“身体”で感じることであるならば。
それは決して、たやすくはないと思う今日この頃。
で、肝心の授業は・・・まあ、何とか、なったのではないかと思う今日。
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授業は無事に終わったようで・お疲れ様でした!
それにしても、小津作品を見た事のない生徒に解説って・・・
映画好きを名乗ってても、
小津作品をちゃんと見てる人はあまり居ないのでは?私みたいな(笑)
この晩秋も東京物語も見た記憶はあるけど、しっかり見てないと思います。
CGに慣れた現代っ子に、小津作品はただただ眠いかも?
足元の監督、例えば新籐兼人作品なんかも
殆ど見ていない、と今更ながら気づかされてます。
人生いろいろ・ですよね・・
結婚生活も長くなると諦めというのか・感心も薄れてきますし(笑)
何でも適当にやる術が自然と身に付くようですよ。
2011/10/1(土) 午後 5:16
大変そうな授業ですね。。。そもそも
ある程度の映画好きでないと伝わりにくそう
国語の授業では自分の意見を貫いては
不正解をもらっていました(今でも不服・・・)
蓮實重彦先生の重厚な小津評論本は読みでありました
なんにせよ、お疲れ様です<(_ _)>
2011/10/1(土) 午後 9:58
お疲れ様でした〜♪
先日の台風で被害に遭われた方・・・東北地震の事・・・
今の子供達は 以外にも私の頃よりも命に対して敏感じゃないかと思うのですが〜^^;
(スピノザさんとこに被害がなくてホッとしました^^奥様は子供さんを抱えて心細かったでしょうね〜)
つまり なにが幸せなのか・・・ただ生きるだけでいいのかどうか
家族とバラバラになっていった同世代の子供達の状況をTVや雑誌でみているから 考える葦になってるんじゃないかな?って思う。
こんな 淡々と毎日を過ごそうとする小津監督作品にも 結構興味をもってくれるんじゃないかなぁ〜^^;
リリーさんの「東京タワーとおかんと・・・」のように 素朴な人生のなかにでも 個々の幸せへの葛藤を共感しようとしているように
思われるんだけど・・・
昔 私も国語の答えにはかなり苦労しました。
私の世界感が正解につながらなくて^^;後に 国語の正解の導き方を知った時には 愕然としたものです^^;
結婚24年・・・離婚して2年が過ぎてしまいましたが
今さらながら また人生とか友人とか家族とかのあり方を考えたりしてます(汗)
2011/10/2(日) 午前 8:25
ん〜なんか大変そうですね
とにもかくにもお疲れさまでした^^
はずかしながら小津監督作品は
全く観たことがありません(汗)
新藤兼人監督は「鬼婆」を観て
その力強さに圧倒され少しづつ観ていきたいと
思っているんですが、近くのツタヤや品揃えが悪い;;
スコセッシ監督が小津監督を尊敬されており
影響を受けた監督さんだとなにかで言っておりました
先日母が高熱を出し突然入院したんですが
その時母がいなくなったらどーしようと
考えただけで眩暈がしました
母は半身不随で施設にはいっており
いつどうなってもおかしくない状態なんです
今は生きていてくれているだけで感謝ですよ^^
仕事がらいろんな方の介護をさせていただいて
おりますが、末期癌で痛みに苦しんでいるかたや
寝たきりでただ天井だけを見て毎日過ごされている方
「なぜ私は生きているの?」と聞かれると
答えに困ってしまう。 生きているのか、生かされているのか
小津監督作品の中に答えが見つかりますか?
2011/10/2(日) 午後 2:58 [ ごや ]
こんにちは☆
映画もそうですが、その人の立場やその人の身になってみないと、見えてこないもの
感じられないものがあるな〜と思っています。
そういうのって、説明して頭でわかりきれるものでもなくてですね……
評価がわかれる、と言うのもよくあることですが、絶対的な評価でなくて、それぞれの相対的な評価の違いですよね。
自分の悩みや言いたかったことを代弁してくれる作品には、共感しますね。
「東京物語」もですが、娘・妻・母〜私など、それぞれの自分の立場にうったえかけてくる作品には
じ〜んとしますよ。
では☆お仕事お疲れさまです。
2011/10/2(日) 午後 4:03 [ yutake☆イヴ ]
sanaeさん、こんにちは☆
コメありがとうございます。
絵画や音楽についての評論文は、美術や音楽の授業である程度体験しているため、すこしばかりサンプル(絵のコピーなど)を見せて思い出させてやれば、伝わるのですが。
映画は、学校では扱われませんので、そして、彼らにとっては『ターミネーター』や『ダイ・ハード』(これも古い?)の世界でしょうから、なかなか伝えるのが難しいと感じました。
新籐兼人・・・恥ずかしながら、お名前すら存じません・・・。私とて、小津監督の作品に感動するようになったのは、ここ1年ほどでして。それまでは、すこし退屈でした。(苦笑)もっともっと自分の感性の幅を広げられるように、色んな監督の映画に挑戦してみたいです。
2011/10/3(月) 午前 10:41
ヒノキオさん、こんにちは☆
コメありがとうございます。
蓮實重彦先生の重厚な小津評論本! さすが、すごいモン読んでらっしゃる・・。私はまだまだ小津映画を観始めたばかりですので、もうすこし観てから、しかし、ぜひ読んでみたいものです。
国語の授業で、自分の意見を貫いたら、不正解(笑)。たしかに私も、中学生のころまでは、本文を読んで、自分がどう考えたかを答えるのだと思っていました。でも、実は、本文に筆者が何を書いているのか、本文から答えの箇所を探すだけ、という教科だと知った時(中3)、衝撃でした。要するに、自分の主観と他人の意見とを分ける訓練だったと。
ただ、本当は、他人の意見を正確に読み取る力だけでは、自ら主体的に考える人間、自分の意見をもつ人間は生まれないので。
本当は、自分の意見を持つ訓練も必要なのですが。学校ではなかなかそこまで訓練することが困難です。
ただただマーク式の選択肢問題を解く技術ばかり教えるのが精一杯の現状です。う〜ん、お恥ずかしい。
2011/10/3(月) 午前 10:52
ころころさん、こんにちは☆
コメありがとうございます。
「国語の正解の導き方」、愕然とされましたか(笑)。
私も中3までは国語が大の苦手で、答えが1つなんておかしい、人それぞれ感じ方は違っていいなどと思っていましたが。中3の時に、国語の正解の導き方を知り、驚き、かつ、しかし、ゲームみたいで面白いと感じたものです。しかし、教員になってから、案外、「国語の正解の導き方」を教えただけでは、生徒が「わかる」にたどり着かないということに気づきました。
たしかに、おっしゃるとおり、いまの子供たちは、TVを通じてではあるにしろ、世界の、そして日本の大惨事について知る機会に恵まれているので、命について感じる心も、育っているかもしれませんね。なので、小津映画も、見せたら伝わることも多いかもしれません。
授業中に、小津映画をすこし見せてやれると良かったのでしょうね。10代でも、私以上に感じる心をもつ子もいるでしょうし、そうじゃない子もいるでしょうが。入試目前なので、私にもその余裕がありませんでした。反省。
2011/10/3(月) 午前 11:13
おさるのかごやさん、こんにちは☆
コメありがとうございます。
恥ずかしながら私は、新藤監督を存じ上げません・・。いま『鬼婆』のあらすじを読んで、震撼したところでございます。(怖)エロそうなので、いつか一人の時を狙って鑑賞します!
お母様のお話、たいへんなことで、私には何も申し上げることなどできようもなく。「親の入院」、祖父母はこの世にいませんが、祖父母の際に、父も母もそれを体験してきたわけで、今度は、私がそれをいつか体験する番だとは頭では知っていますが。その実、まだ先のことだと思って、考えないようにして生きているのが、いまの自分です。ただ、おさるさんのお母様がすこしでも元気でいらっしゃれるようお祈りします。
末期癌のかたへの答え、どこかにあるのでしょうか・・。それは、小津映画ではなく、宗教の仕事かもしれません。救いを宗教に限定しないなら、せめても耳を傾ける介護士のかたが、救いでもあるのでしょうか。病気で苦しんでまで生きる意味など、私はわかりませんが。人は人とのつながりを幾ばくでも感じられたら、幸せなのだろうと認識しています。
2011/10/3(月) 午前 11:46
yutakeさん、こんにちは☆
コメありがとうございます。
「それぞれの相対的な評価の違い」、おっしゃるとおりですよね。おなじ映画でも、日によって、また、年齢によって、感じ方がずいぶんちがったりしますし。私も、そういう体験のなかで、他人の評価がいい映画は、じぶんがつまらなく思ったとしても、それは必ずしも映画がつまらないわけではない、ということもわかるようになってきました。
若くても独身でも、小津映画に感動する人もいるのは、ちょっと尊敬します。私には、わからなかったです。頭でストーリーは理解できますが、感動はしませんでした。わからなかったものが、わかるようになったのは、嬉しいです。また逆に、若い頃好きだった映画が、いま観るとそれほどでもない、そういう寂しさもあり。年齢とか経験とか、また芸術という存在って、おもしろいなあと思います。
2011/10/3(月) 午後 0:01