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『アウトレイジ』

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原題: − 製作年度: 2010年
監督: 北野武 上映時間: 109分
製作総指揮 − 原作 −
音楽 鈴木慶一 脚本 北野武
ビートたけし(山王会大友組組長 大友)
椎名桔平(山王会大友組若頭 水野)
加瀬亮(山王会大友組組員 石原)
小日向文世(刑事 片岡)
北村総一朗(山王会本家会長 関内)
塚本高史(村瀬組組員 飯塚)
板谷由夏(−)
中野英雄(村瀬組若頭 木村)
杉本哲太(山王会池元組若頭 小沢)
石橋蓮司(村瀬組組長 村瀬)
國村隼(山王会池元組組長 池元)
三浦友和(山王会本家若頭 加藤)
坂田聡(−)
森永健司(−)
三浦誠己(−)
柄本時生(−)
新田純一(−)
渡来敏之(−)
岩寺真志(−)
小村裕次郎(−)
大原研二(−)
田崎敏路(−)
野中隆光(−)
小須田康人(−)
塚本幸男(−)
島津健太郎(−)
岸端正浩(−)
清水ヨシト(−)
藤原慎祐(−)
藤井貴規(−)
平塚真介(−)
真田幹也(−)
上田勝臣(−)
奥原邦彦(−)
山本将利(−)
菊池康弘(−)
西田隆維(−)
大野慶太(−)
外川貴博(−)
江藤純(−)
戯武尊(−)
内田恵司(−)
川又シュウキ(−)
飛田敦史(−)
芹沢礼多(−)
内野智(−)
瀧川英次(−)
井澤崇行(−)
金原泰成(−)
鈴木雄一郎(−)
柴崎真人(−)
辻つとむ(−)
貴山侑哉(−)
樋渡真司(−)
太田浩介(−)
マキタスポーツ(−)
ケンタエリザベス3世(−)
黒田大輔(−)
藤田正則(−)
鷲津秀人(−)
しいなえいひ(−)
こばやしあきこ(−)
渡辺奈緒子(−)
三原伊織奈(−)
中村純子(−)
棚橋幸代(−)
星野美穂(−)
水上莉枝子(−)


◎採点:★★★★☆(4/5点)


◎レビュー:私にもわかる、北野監督映画。これ面白い!


これは、面白かったです!

無茶苦茶こわかったし、無茶苦茶わらいました。



これまで、北野武監督の映画って、苦手で。

「世界の北野」と呼ばれることに、おなじ日本人としてすごい誇りに思っているわりに。

じつは、世界的に評価の高い『HANABI』や『座頭市』も「??」でした。

権威に弱いので、映画賞なんて取っているから、絶対すごいもんだという色眼鏡を掛けて観ているにもかかわらず。

好きになりたいのに、あんまりよくわからない。

北野映画不感症とでも言うべきでしょうか、これは、あまり人に知られたくない、恥ずべき事実です。

とはいえ、北野映画のなかでも『キッズ・リターン』だけは特別です。

『キッズ・リターン』は、私が、北野監督の映画に初めて触れた作品でした。

その時の感動が未だに忘れられず、他の作品には不感症だったくせに、いつも北野作品が気になっていました。



そんな私でも、こりゃ面白い! と思えた、ありがたい映画が『アウトレイジ』。

これは、もうまったくわかりやすくて、「わかる/わからない」などという二項対立なんて、完全超越。

ただひたすら、バカなヤクザが、バカな殺し合いを、本気でやっている映画。

ヤクザ映画って、暴力を賛美するようなものだとゲンナリしてしまいますが。

暴力が、まさに暴力としてしか描かれていない、このシンプルさが、爽快です。

ふつう、そういうやり方、躊躇するでしょ・・・という痛めつけ方、殺し方を立て続けに見せられて、笑うしかない。

こういう暴力映画、斬新です。

また、出てくるヤクザも、単細胞バカばっかり。

アホな台詞の応酬に、もう笑うしかありませんでした。

そしてまた、ワルいんだな〜、この人たち。

ワルにも人情、みたいなのが全く無くて、ひたすら欲望に忠実。

そこもまた、ものすごくシンプルで、まるで整然とした組体操の演目を、1つ1つ観るかのようでした。

殺しあっているはずなのに、なんだか、お互いにちゃんと役割分担して、協力し合って、“ワル組体操”?を演じている感じ。

みんな、きちんと役割果たしてるね〜! って、その無駄のなさに、感心しそうでした。



けれど、これって、こわいです。

人がこういうふうに殺しあえちゃうことは、かなりこわいです。

異常者なら、わかります。

異常者が、殺しに快楽を求めて、連続殺人を起こす。

これは、異常者なのだから、異常なことをするのが、普通です。

けれど、この映画に出てくるヤクザたちは、異常というよりむしろ、アホだから、残酷なやり方で、人を殺せちゃう。

異常者は、相手の痛みがわかっていて、それを楽しむのでしょうが。

このヤクザたちは、単にアホだから、相手の痛みに対して、けっこう想像力が働いていない気がします。

痛いのは頭ではわかっているけれど、「自分がやられたら、嫌だから」なんて発想自体がそもそも無い感じです。

やっていることは異常者とおなじだけれど、異常者は相手の痛みに対する想像力が、もっと発達しているのではないかと思うのです。

これ、こわいなあ、と、しみじみ思いました。

子供が蟻んこを殺す程度の優越感を味わうためだけに、人を殺せるのは、こわいです。

異常者が性的快楽を求めて人を殺すのとは、また趣の異なる怖さでした。

異常者は、同情心が麻痺している、または故障しているイメージですが、このヤクザたちは、同情心がただ単に育っていないだけに見えます。

アホすぎるということが、こんなにこわいことだとは知りませんでした。



そして、さらにこわいのは、現実、日本には、多数のヤクザさんがいらっしゃるってこと。(涙)

日本のリアル・ヤクザさんたちが、ほんまに、こんなことを平気で出来る、てゆーか、してるのだとしたら・・・。

もう、マジこわいから、こんなとこで、ヤクザさんって「さん」付けしちゃってるよ、わたしゃ、ちびりそうだよ・・・。

歯、ガタガタ言わせながら、笑うしかありません。



[追記]

この映画は、豪華俳優陣も、大きな魅力だと感じました。

みなさん、誰もがすごかったのですが、特に、椎名桔平さんと加瀬亮さんの凄さは、わかりやすくて良かったです。

個性的な役柄を演じていらっしゃって、このお2人の出ている場面は、そのつどドキドキしました。

『八日目の蝉』

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原題: − 製作年度: 2011年
監督: 成島出 上映時間: 147分
製作総指揮 佐藤直樹 原作 角田光代
音楽 安川午朗 脚本 奥寺佐渡子
井上真央(秋山恵理菜=薫)
永作博美(野々宮希和子)
小池栄子(安藤千草)
森口瑤子(秋山恵津子)
田中哲司(秋山丈博)
渡邉このみ(秋山恵理菜=薫(少女時代))
市川実和子(沢田久美(エステル))
吉本菜穂子(−)
相築あきこ(−)
別府あゆみ(−)
安藤玉恵(−)
安澤千草(−)
蜂谷真紀(−)
松浦羽伽子(−)
ぼくもとさきこ(−)
深谷美歩(−)
畠山彩奈(−)
余貴美子(エンゼル)
平田満(沢田雄三)
風吹ジュン(沢田昌江)
井上肇(−)
宮田早苗(−)
徳井優(−)
広澤草(−)
野中隆光(−)
管勇毅(−)
荒谷清水(−)
日向とめ吉(−)
瀬木一将(−)
吉田羊(−)
日比大介(−)
劇団ひとり(岸田孝史)
田中泯(タキ写真館・滝)


◎採点:★★★★★(5/5点)


◎レビュー:“同情”と“愚かさ”と“犯罪”について。


「こんな映画、観たくない」と思っていました。

幼い子を誘拐する人間になど、同情の余地はありません。

もしも我が子を誘拐されたなら、私は、その相手をめった刺しにして、殺してやりたいと思うでしょう。

それなのに、この映画を観たならきっと、にっくき誘拐犯に、同情してしまうにちがいありません。

わずかであれ、じぶんにそんな感情が湧いてしまうであろうことを、ひどく不快に感じていました。

でも、私は、永作博美さんが好きです。(照)

しかも、小池栄子様まで出演なさっているではありませんか!

映画『接吻』以来、私の頭の中では、演技派名女優として確固たる位置を占めていらっしゃるゆえ。

栄子ねえさんが出演されているのなら、ちょっと観る価値あるかも、と思ったわけです。



まんまと、やられました。

だだ泣き、ぼろ泣き、さみだれ泣き!(そんな言葉、ね〜か。)

私、勘違いをしておりました。

誘拐犯が主人公だと思っていましたが、ちがうのですね。

観るひとが、誘拐犯を断罪しようが、同情しようが、この映画の価値は変わらないと知りました。

この映画は、誘拐された娘の、井上真央さんが主人公だったとわかり。

「誘拐犯には死を!」と息巻く私にも、受け入れやすい設定でした。



娘を奪われた、実母の苦悩。

その苦悩は、娘が戻ってからの方がむしろ酷いくらいに描かれていました。

確かに、彼女はもとから愚かな女性かもしれません。

しかし、彼女程度の愚かな人間も、あんな不幸な境遇に置かれなければ、もっと幸せな人生を歩めたはずです。

何よりも、夫の不倫が、彼女を愚かな人間に貶(おとし)めました。

夫の子を堕胎した永作さんに、厭味を言いにいくシーン。

永作さんに同情して観ていたなら、この実母、ほんと最低な女だなと思えます。

こんな酷い厭味を言いにいかなければ、永作さんも、赤ん坊を誘拐しなかっただろうと思います。

でも、それは結果論でしょう。

夫の心を奪った女から、自分の“家庭”を取り返すために、彼女は必死なのです。

彼女にとって、これは「闘い」だったのです。

夫を自分の家庭に呼び戻し、生まれてくる我が子に、幸せな家庭を与えてあげるために。

夫の不倫相手、永作さんに、最後の、とどめの一撃を、その心にグサリと打ち込む必要があったのです。

ただ、たしかに彼女は愚かでした。

たとえ相手が悪女であろうとも、ひとのこころを、一線を越え、徹底的に踏みにじれば、その反撃は、常軌を逸したものになると。

この実母は、計算できなかったのですから。

しかし、その愚かさに比して、彼女に与えられた罰は、何という不当な罰でありましょうか。



では、誰が悪かったのか。

その罪を、男たちに着せるのが、もっとも分かりやすい正義でしょう。

たしかに、男たちは、反省すらしているのかどうかあいまいな、ひどい愚か者として描かれています。

でも、私は、劇団ひとりさんを「きもい」とも「きしょい」とも思いません。

彼の愚かさに対して、ただただ親近感をおぼえただけです。

おなじ“弱い男性”として、彼に憐れみをおぼえこそすれ、蔑(さげす)むことまでは出来ませんでした。

たしかに、私は、不倫をしたことがありません。

けれど、不倫をしないのは、有り難い事に、不倫した結果うしなう物の重みを理解するだけの脳ミソがあるからにすぎません。

どんなに妻と子を愛していようとも、「かわいこちゃんは、みんな大好き! うひ」という本能は、消えてなくなりはしません。

単に不倫願望がないから不倫しないよという男性がいたなら、その男は、ぜったい不倫しています。(決めつけ)



男女に関わらず、我々はみな、じぶんのなかに“愚かさ”を抱えて生きているのです。

その“愚かさ”と、危ういバランスを保ちながら、我々は、「正常」という名の細い線上を歩いています。

もしも、こころのバランスを失うような出来事に遭ったならば、我々は、この細い線上から、安易に足を踏み外してしまうでしょう。

果たしてだれに、人の“愚かさ”を裁く権利があるでしょうか。

我々はただ、人の“愚かさ”を「他山の石」にするだけです。

おのれのなかにある“愚かさ”を、いかにコントロールするか、それを早めに学習できたことを感謝するだけです。

もしもそれを学習する前に、コントロールの利かない事態に巻き込まれたとしたら。

罪を犯したのは、私かもしれない、そう思うのです。

私たちが罰することのできるのは、ひとの“愚かさ”ではなく。

ただ、ひとの犯した“犯罪”だけであると感じています。

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原題: POETRY 製作年度: 2010年
監督: イ・チャンドン 上映時間: 139分
製作総指揮 − 原作 −
音楽 − 脚本 イ・チャンドン
ユン・ジョンヒ[女優](ミジャ)
イ・デヴィッド(ジョンウク)
キム・ヒラ(カン老人)
アン・ネサン(ギボムの父)
パク・ミョンシン(ヒジンの母)


◎採点:★★★★★(5/5点)


◎レビュー:韓国映画。カンヌ映画祭脚本賞受賞。秀逸。


中学生の孫と二人暮らしをしている、初老の女性。

ある日、ふと思いつき、カルチャーセンターで、詩作を習い始める。

詩人先生から、身近な世界をよく見つめて、そこに美しさを見いだすようにと言われ。

女性は、りんごや樹木やきれいな花々、小鳥のさえずりなどに心を傾け、詩を書こうとする。

けれど、なかなか良い文句が思い浮かばず、途方に暮れていた。

そんな時、彼女の人生に、大きな災難が降りかかる。

それは、中学生の孫が犯した、重大な事件。

そのために、女の子(洗礼名、アグネス)が自ら命を断ったのである。



孫の犯した罪の重さをつくづく想い、悩んだ末に、祖母の取った行動は……。

そして、彼女が映画のラストに作り上げた「アグネスの詩」とは……。


〜・〜・〜・〜


年に1度だけ、東京に行きます。

子どもがまだ幼いので、ほとんど映画を観られない生活。

久しぶりに、1人で、都会に出る機会ですから。

年に1度の、このチャンスに、必ず、映画館で映画を観ます。

でも、あまりに映画から遠ざかっているため、今、どんな映画が公開されているのかもわかりません。

そこで役立つのが、このヤフー映画。

お気に入りレビュアーさんのレビューを参考に、「あ、これだな」と感じたのが、この映画でした。

もともと韓国映画好きであり、しかも、権威に弱いため、カンヌ国際映画祭脚本賞受賞とあれば、もう、外せません。

ただ、選んだ理由は、それだけではありませんでした。

もうひとつの理由。

それは、私も昔、詩(ポエトリー)を書いていた時期があったからです。



ああ・・・、思い出すだけで、むっちゃ、恥ずかしいっ!!(照)

高校から大学にかけて“詩を書いていた”など、今では全く消し去りたいほど、恥ずかしい思い出です。

当時はいい気になって、友人や先輩、恋人たちに読ませていたけれど・・・。

ああ・・・、友よ、先輩よ、私を捨てた恋人たちよ! みんな、忘れておくれ〜っ!!



すいません、少し取り乱しました。

とにかく、詩が好きなので、この映画『ボエトリー アグネスの詩』に魅かれたわけです。

とはいえ、実は、私には、詩を読解する力がありません。

国語教員の端くれとして、これまた、恥ずかしくて人には言えないことです。

そのくせ、現在、生徒には詩を書かせたり、短歌や俳句を詠ませたりしております。

まあ、一応、擬人法が何だとか、メタファーがどうだとか、説明はするものの。

しかし、面白いのは、自分が手本でまず創作して見せたものより、生徒のほうが余程良い詩を書くことです。

すなわち、書ける子には大した指導が要らないのです。

ただ有名な詩をたくさんプリントで刷って読ませれば、書ける子は書けるようになるのです。

逆に、書けない子には、幾ら詩をたくさん読ませ、技法の説明をしたところで。

書けるようにはなりません。



そして、実は、私ももう、下手な詩すら書けません。

生徒に示す手本は、あくまで技法の基本を説明するための創作に過ぎず。

その詩に、中身はありません。

自分がなぜ、下手くそな詩すら書けなくなったのか。

それは、わかっています。

それは、私にはもう、自分で言語化のできない、こころの苦しみや悩み、哀しみが無くなってしまったからです。

「苦しみや悩み、哀しみが無くなってしまった」のではありません。

あくまで、若かりし頃の、どうしようもなく、やる瀬ない、日常の言葉では捉え切れぬ、あの想いが。

私の中から、無くなってしまったのです。

喜びは、ただ「うれしい」と言えば、足り。

おいしいものを食べた時は、ただ「おいしい」と言えば、足り。

悲しく、つらい時は、ただ涙を流し、妻を抱きしめれば、足ります。

詩は、日常のことばでは足りない、言語化できないと感じる時に、必要とされる行為ではないか、と思っています。



だから、主人公のおばあさんが、最後になってようやく、詩を紡げたのも、理解ができます。

それは、彼女のこころのなかに、日常言語ではとても表現しきれないような想いが、生まれたからです。

詩とは、言語ではありません。

詩とは、言語化された血であり、涙であり、嗚咽であり、叫びであると、私は思っています。



ラストの詩。

私には、意味がわかりませんでした。

それは、ラスト、私が、ただただ、涙が出てしかたがなく、きちんと字幕を読めなかったせいでもあります。

けれども、意味のわからないあの、おばあさんの詩が。

私のこころをひどく揺さぶり、ラスト、私はもう、ただただ、涙を流しておりました。

この映画は、そんな映画です。

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原題: REAL STEEL 製作年度: 2011年
監督: ショーン・レヴィ 上映時間: 128分
製作総指揮 ジャック・ラプケ 、ロバート・ゼメキス 、スティーヴ・スターキー 、スティーヴン・スピルバーグ 、ジョシュ・マクラグレン 、メアリー・マクラグレン 原作 −
音楽 ダニー・エルフマン 脚本 ジョン・ゲイティンズ
ヒュー・ジャックマン(チャーリー・ケントン)
ダコタ・ゴヨ(マックス・ケントン)
エヴァンジェリン・リリー(ベイリー)
アンソニー・マッキー(フィン)
ケヴィン・デュランド(リッキー)
カール・ユーン(タク・マシド)
オルガ・フォンダ(ファラ・レンコヴァ)
ホープ・デイヴィス(デブラ)
ジェームズ・レブホーン(−)
ジョン・ゲイティンズ(−)
グレゴリー・シムズ(−)


◎採点:★★★★★(5/5点)


◎レビュー:かっちょい〜ロボットが、ベコ、バコ!


近未来。

人間対人間のボクシングは廃れ、格闘技ロボットにボクシングをさせる時代。

主人公は、かつて活躍したボクサーだが、いまはロボットの操縦士。

けれど、ロボット・ボクシングの試合には負けてばかり。

人柄も、ちょっと尊敬できない、てきとーな性格。

そんな彼が、お金欲しさに、離れて暮らしていた息子を預かることにしたのだが。

わが子と接するうちに、彼のなかの父性が目覚め、自分の生き方を見つめ直す。

そうして、息子が拾ってきたオンボロ・ロボットを操縦して。

ふたたび、ボクシング界の頂点を目指すのだ!


〜・〜・〜・〜


映画館で観たのですが、このところ、ひまがなく、レビューせずにいました。

さて、この映画は、単純です。

でも、こういう映画こそ、王道です。

つまり、生きる元気を与えてくれる映画です。

「よ〜し! 私も負けずに、今日からまた、がんばるぞ!!」と、熱く思います。



CGロボットですから、どうしたって、マイケル・ベイ監督のトランスフォーマー・シリーズと比べてしまいます。

もちろん、どちらも好きだという人もいらっしゃるでしょうが。

私は、完全に、この『リアル・スティール』に軍配を挙げます。

まず第1は、その質量感。

トランスフォーマーは、スピード感はあるものの、重さを感じさせないので。

やはり、画面上で、コンピューターグラフィックスが闘っているようにしか見えません。

てゆーか、動きが速すぎて、おじさんの目では、何がなんだか、よくわからないまま、闘いが終わっています。

けれども、このリアルスティールは、ロボットが、グワ〜ン、グワッシャン! ゴン! ボコ! ベコ! となります。

金属の重さと硬さが、その動きと音から、ずっしり伝わってきます。

本物の金属が激しくぶつかり合っているかのような、リアル感がたまりません。



第2に、主人公の成長譚であること。

ボインのアホな美女をゲットする話だとか、アメリカ人がエイリアンから地球を救う話だとか。

そのての、うんこストーリーと。

ダメ人間だったオッサンが、こころを入れ替えてがんばる、スポ根ストーリーと。

マンネリ度合はおんなじかもしれませんが。

個人的には、ボインの賢い美女をゲットしたいし。

地球を救うのが日本人なら、まあ楽しめますが。

そうでなければ、興味なし。

逆に、自らがそろそろ、オジサンの域に足を踏み入れ。

かつて思い描いた“夢”などどこへやら。

哀愁漂う、疲れたサラリーマン(しかも安月給。せめて公務員になりたかった)生活を送っていると。

「おじさんだって、まだまだ、がんばれるんだぞぃ!」という映画が、こころに深く染みいるものです。

いまさら、美女には相手にされないものと存じておりますし(妻を除く)。

地球を救うのは私だ、なんて大役が回ってくるわけもありませんが(最初にやられるのは私だ)。

ささやかでもいいから、この人生を、自分の信条に従って、納得いくように生き抜きたいという願いは、失っていません。

平凡なおじさんにとっての、輝かしい人生とは、“金と女を手に入れる”ことでもなければ、“出世競争に勝つ”ことでもなく。

“人との絆を感じる”ことであったり、“自然とのつながりを感じる”ことであったり。

“全力で戦えることを楽しむ”ことであったり、“人に勝つことではなく、自分が成長することを目指す”ことであったり。

それは例えば、“性別の別なく、賢いひとの話を聞ける”ことであったり。

“他人の素晴らしさと、じぶんの過ちとに気づける”ことであったりします。



真実は、つねに単純だけれど、小さな宝石のように、輝きます。

ただ単純なだけの物語と、単純に思えるだけの物語とは、異なります。



ん? なんだか話がずれた気がします。

『リアル・スティール』が、そんな難しい映画かどうかは、実に、どうでもいいことで。

結局、やっぱり、最大の魅力は、「リアルな、金属」だって、こと。

かっちょい〜ロボットが。

グワッシャン! ゴン! ベコ、バコ、ガシャガシャ〜ン!

これが、一番の醍醐味です。

『晩春』

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原題: − 製作年度: 1949年
監督: 小津安二郎 上映時間: 108分
製作総指揮 − 原作 広津和郎
音楽 伊藤宣二 脚本 野田高梧 、小津安二郎
笠智衆(曽宮周吉)
原節子(曽宮紀子)
月丘夢路(北川アヤ)
杉村春子(田口まさ)
青木放屁(田口勝義)
宇佐美淳(服部昌一)
三宅邦子(三輪秋子)
三島雅夫(小野寺譲)
坪内美子(小野寺きく)
桂木洋子(小野寺美佐子)
谷崎純(林清造)
高橋豊子(林しげ)
紅沢葉子(茶場の先生)


◎採点:★★★★★(5/5点)


◎レビュー:自らの記憶に照らして身体で感じるもの。


3年前、小津監督の『東京物語』の良さがよくわからず。

☆4つを付けました。

けれど、最近、再び、TVでおなじ『東京物語』を観たところ。

意外にも、しみじみ泣いてしまいました。

それ以降、以前に☆4つ付けた自分を悔しく思いつつ。

また、小津監督の作品をもっと観てみたいと思っていました。



このたび、小津映画についての評論文(*小津安二郎の反映画)を授業しなければならなくなり。

しかし、どう教えたものかと、考えあぐねて。

とりあえず、まずは小津監督の作品をもっと観ようと、この『晩春』を借りたのです。



母親を亡くし、父親と二人暮らしをしている娘が。

親族や父親に説得されて、とうとうお嫁にいく、というお話。



現代でも、結婚しない女性は、周りからおせっかいを焼かれ。

家族からは真剣にせがまれ、上司からは酒の席で説教され(=からまれ)て。

はなはだ迷惑で生きづらかろうと思われますが。

この映画の舞台は戦後も間もない“昭和”時代ですから。

それはもう、なおいっそう、未婚のままではずいぶん居心地悪い時代だったでしょう。



にもかかわらず、じぶんの心に正直に、しあわせって何なのだろうかと思えば。

結婚をただの「墓場」ととらえる人が居たとしても、理解のできるところです。

いやむしろ、古き良き男権主義の時代に、「妻」や「嫁」や「母」の立場になることは。

「娘」である自由や「自分自身」である自由を喪うことであり。

「夫」や「姑」や「子」に従属する生活に堕ちることだと感じても不思議ないでしょう。

まして、自由だとか平等だとかいう進歩的な思想を、教育や読書から得ていればなおさら。

恋愛や新婚生活などという名の、架空のファンタジーのあとに連なる、現実の結婚生活が。

未婚時代よりもしあわせになる確率の低さを、思わずにはいられないはずです。

ニヒリズム? いや、リアリズムでしょう。



しかし、それでもなお。

多くの人は結婚せずにはいられません。

それはなにぶんにも、人は、孤独だからでしょう。

ひとりで居つづけることをつらいと思わぬならば、きっと。

ひとりで居つづけることの自由は、何にも替えがたいと感じるやもしれません。

しかし、人は、ひとりで居つづけることをつらいと思うものなのでしょう。



主人公の娘さんは、母を亡くし、父親とのふたり暮らし。

父のそばに居られることに、しあわせを感じています。

彼女はいま、孤独ではないのです。

あいにく、恋愛は、どうやらうまくいかなかったと思われます。

ですからこそ、なおさら、いまの生活を。

喪いたくないのかもしれません。

結婚などという、あらたな人生の展開など、ただ強い不安を感じるだけです。

いまの生活のしあわせに替わるだけのものが、確約されるわけではないのですもの。



もちろん、いつか、孤独は、やってきます。

老いた父は、いつか、娘さんの元を去るのですから。

ですから、老いた父は、娘のことを心配し、娘の結婚を願います。

お父さんの気持ちも、よくわかります。

どちらの気持ちもわかるから、観ている者は、痛い、つらい、板ばさみです。



私も結婚式の1週間前、婚約者(妻)とひどい喧嘩をして。

こんなことで、結婚しても果たしてやっていけるのだろうかと。

互いに心中、考えたものです。

その後も、新婚旅行中も喧嘩、新婚生活中も喧嘩に、喧嘩に、喧嘩を重ねて。

ようやく今があるわけで。

もしかしたら、右に振れたか、左に振れたか、場合によっては、いまとは逆の方向に。

進んでしまった可能性もあっただろうと思います。

でもそうやって乗り越えてきて、偶然か必然か、今のしあわせが在るわけで。

ですから、娘さんの不安な気持ちも、お父さんの台詞の意味も。

どちらの考えもよくわかるから、観ている者は、切なく、そして、頑張ってね、と。

ふたりにエールを送らずにはいられない。



これはそういう映画だと、思われました。



* 吉田喜重『小津安二郎の反映画』(平成17年大学入試センター試験国語第1問「評論」)

小津映画を観たことのない生徒たちに、小津映画の評論文を解説することの難しさ。

正解の選択肢がどれであるかを理解させることは、決して難しくないけれど。

しかし、文章を「わかる」ということが。

自己の“経験(記憶)”に照らして、その内容の意味するところを“身体”で感じることであるならば。

それは決して、たやすくはないと思う今日この頃。



で、肝心の授業は・・・まあ、何とか、なったのではないかと思う今日。

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