Ashley事件から生命倫理を考える

世の中は想像していたより、はるかにコワイ・・・

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マサチューセッツ大学医学部のGrand Rounds(学内研修?)で
11月10日にRobert Truogが行った“治療の無益性”をめぐる講演。

タイトルは “Medical Futility: When is Enough Enough?”

私なりの勝手な解釈で和訳すると、
治療の無益性:どこまでいけば「もうそこでやめていい」になるのか?

講演では、冒頭のタイトルの紹介時に
一枚の絵が提示されて会場が爆笑する。

情けない顔で墓石に聴診器を当て(させられ)ている医師が
背後に立っている黒衣の未亡人に向かって
「私にできることはほとんどないように思われますが」と言っている図。

こちらのアーカイブから ⇒ http://www.umassmed.edu/Content.aspx?id=142016

約1時間ですが、冒頭7分間は開始前の雑音が無駄に続きます。
また最初に女性医師による症例報告がありますが、
一応この症例報告を受けてTruogがしゃべる形式になってはいるらしいものの
実際の彼の講演にはほとんど無関係。

これまで、この手のビデオはスピーカーとスライドを交互に映すので
メモをとるのも聞きとるのもおぼつかない私にとっては不自由だったのだけれど、
これは映像はずっとスライド。その上に音声をかぶせてくれる。
ただ、それはそれで、つい読むことに集中してしまう。
私レベルだと、相変わらず両方とも不自由なのに変わりはなかった。

(なので、例によって、以下の内容には
細部の誤りが含まれている可能性があります)


Truogの講演は大きく分けて前後半の2つのパートで、
前半は無益性概念をめぐる議論の概観。

その中で特に興味深いと思ったのは、

70年代、80年代に議論されたのは望まない治療を拒否する患者の権利だったが
90年代から2000年代にかけては治療を要求する患者の権利にシフトしてきた、との指摘。

それからJohn Lantosがいずれかの論文で提示した図で
無益性判断に関与している5ファクターとして、
真ん中に Money(費用)、左上に Power (権力)、右上に Trust (信頼)
左下に Hope (希望) 、右下に Integrity(ここではケアする側の道徳的苦悩のこと)。

Truogはこれら5つの要素ごとに無益性概念で問題となる問いを検討していく。

例えば moneyでは
「費用だけの問題なのか」
「無益性概念に費用削減効果があるのか」など。
ちなみに「削減効果は大したことはない」という話もあるらしい。

権力で言えば
権力のある医師の側が、権力のない患者側に対して圧倒的に優位だという問題。などなど。

そうした点から、これまでに試みられた無益性の定義をいくつかの論文で紹介。
Truogがまずまずだと評価するのは、無益性を以下の2つと定義した93年のMurphy論文。

過去100例で効果がなければ、その治療は無益。
永続的に意識不明状態またはICU依存を長引かせるだけなら無益。

ただ、実際にはそうすっきりと定義できるものではなく、
「無益性はポルノと同じ。定義はできないが見ればそれだと分かる」というものだとして、

定義によるアプローチではなく、
AMAのガイドラインなど手続き重視のアプローチを提唱する。

そこからが、いよいよ後半の、この講演の核心部分。

(次のエントリーに続く)

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