Ashley事件から生命倫理を考える

世の中は想像していたより、はるかにコワイ・・・

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その後、報告書中盤で書かれているのは
障害当事者らによる専門家委員会について
これら無用な医療介入による人権侵害に関する考察

NDRNとDRWとは、この報告書のために
2012年春に5つのそれぞれ別の専門家委員会を開催している。

開催地は4つの委員会がシアトルとワシントンDCで、
一つは会議電話によるもの。

だいたいの会議は2時間半で行った。

メンバーの障害像は
コミュニケーションに障害のある人や重症障害者を含め、多様。

議論されたのは、A療法のほか、より広く、
障害のある人への医療、医療職や医療の意志決定と障害者など。

ここでのA事件についての批判は
おおむねこれまでに出てきたものと同じですが、
いくつか特に目を引かれた点を挙げておくと、

・車いすやその他の自助具があれば障害者も社会に貢献する生活が送れることを
両親も学ぶべき。

・将来的にアシュリーが自分にはどうして乳房がないのか悩んだ時に
親は何と説明するのか。

(このあたり、アシュリーの障害像について発言者自身が十分な理解に至らないまま
自分の障害を基準に考えていると感じられる点がちょっと気になるところ)

・テクノロジーが進めば、アシュリーだって意志疎通ができたり動けるようになったり
子どもを産み育てることだって可能になるかもしれない。

(報告書を通じて、
支援テクノロジーへの過剰な期待が感じられる点も、ちょっと気になりました)

・医師は日頃から障害のある患者のいうことに耳を傾けようとしない。

・医師はこちらの理解力の程度を勝手に決め付ける。

・医師は障害者を実験に使う。

・医師は自分では障害者のことを分かっていると考えているが
実際には障害者が生活するナマの姿を見たこともない。

・医学教育の中に、障害について学ぶ内容が必要。


¬詰僂憤緡轍霪による人権侵害に関する考察

ここでも概ね07年のWPASの分析と同じく、
米国の憲法、リハビリテーション法やADAなどの連邦法、州法などの制限によれば
これらの介入は違法であるとし、

それにも関わらず、医療機関や倫理委、審査委員会、裁判所までが
最善の利益論で認めてしまっている実態を非難するとともに、

差別撤廃に向けた、これらの法の精神を尊重する重要性を説き、

連邦法が定めているのはあくまでも最小限の保護だとして、
州法や市の条例によって障害者への保護強化のために法的措置を訴えている。

ただ、具体的に求めているのが
意志決定プロセスに障害者による代理と敵対的審理を義務付けるセーフガードの保障なのか
A療法、強制不妊や一方的な治療の差し控えと中止への直接的な法規制なのかについては、ちょっと曖昧。

私には前者のように読めるのですが、それならその主張は
07年段階の「裁判所の命令なしには違法。これは乳房芽切除でも成長抑制でも同じ」という立場とは
どのように整合するのか

(もっとも07年の報告書にも
「実際に裁判所の判断を仰いだとしたら却下されたかどうかは分からない」とも書かれていました)

それとも本来は違法であるはずのA療法が
まともな手続きなしに一般化されている現実を後追いせざるを得ないために
こういう書き方になっているということなのか?

全体の構成を含め、どうも、あちこちで、
イマイチ論理的にすっきり判然とせぬ報告書ではあります。



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