Ashley事件から生命倫理を考える

世の中は想像していたより、はるかにコワイ・・・

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09年にターミナルな患者へのPASを禁じた法律は違憲だとの判断が出たモンタナ州の議会には
現在、PASを明確に違法とする法案が提出されていますが、

それを受けて、地元紙に元外科医の妻から投書。

ALSの夫を本人の意思に反するモルヒネ投与で失った体験を語り、
その法案に賛成するよう各選挙区の議員に呼びかけを求めている。

Carol E. Mungasさんの夫は
モンタナ州の元外科医。

ALSを発症して妻が自宅で介護していて、
意思疎通は文字盤としゃべる機能付きのiPadで可能だった。

頭ははっきりしており思考も損なわれておらず、
安楽死や自殺幇助には反対していた。

妻が所用で1日半、町を離れなければならなくなり、
夫はその間、地元の介護施設に入ることになった。

ところが、彼の状態について何らかの情報の混乱があったのか、
看護師らがモルヒネを投与し始めた。

数回の投与を受けて、何が起こっているか(オーバードースになっていること)に本人が気付き、
呼吸セラピストを呼んでくれとメッセージを打ったが
誰も来なかった。

その後の数日間、夫は呼吸苦と闘いながら
妻子とコミュニケートするために意識を失わないように必死になったが、
看護師はモルヒネを送るボタンを押し続け、
子どもたちにも15分おきにボタンを押すよう指示した。

その時には妻も子も、
モルヒネで呼吸が抑制されることなど知らなかったが、
夫はちゃんと分かっていたのだ。

こんなものは緩和ケアでもペイン・コントロールでもありません。死を早めただけです。夫は事実上、本人の意思に反して安楽死させられたのです。夫は選択を許されませんでした。彼の最後のコミュニケーションが、助けを呼ぼうとするものだったとわかり、今なおトラウマになるほどの苦しさです。

夫のケースでわかるように、医師と看護師は現行法のもとで有している力を既に誤用・濫用しています。ことは命にかかわる問題です。自殺幇助の合法化によって、彼らの力を拡大することには熟慮が必要です。




結局、以下の直前エントリーと同じ―― ↓




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hijijikikiさん、田中美津さんは、私、大好き!! です。上野千鶴子さんのは「頭の言葉」、田中美津さんのは「身体の言葉」という感じがします。それはそのままハイ・セオリーとロー・セオリーにも当てはまるんでしょうね。そして、田中美津がすごいと思うのは、身体の言葉と言うのは普通、頭の言葉をツールにしている世界の人たちには相手にされないんだけど、痛む身体のその痛みを自分のものとして全面的に引き受けて居直った(これ、立岩先生のおっしゃっている立場に通じますね)言葉の力によって、「頭の言葉」の世界に殴り込みをかけることができた、ということにあるような気がします。頭の言葉の世界の人だって、「仕事」では頭の言葉を武器にしているかもしれないけど、自分だって生身の体で生きている「一人の人」であることに立ち返れば、決して弾き返して終わってはならないはずだと思うんですけど。あらゆる『学』の権威性みたいなものについて、そう思います。

2013/3/31(日) 午後 6:47 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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hijijikikiさん、上で書いたこと、いま私が考えている植物状態とされる人を含め重症障害者の「意識のあり方」についても当てはまるような気がします。植物状態と診断されている人の家族は、英語圏の「無益な治療」訴訟でも、回復事例でも、日本でそういう方のご家族のブログでも、「家族の声掛けには反応がある」と言っているんです。それを医師らは「ただの反射だ」とか「家族が現実否認しているだけ」と弾き返す。でも、医師らは家族の言っていることを確認するだけ、一定の時間、その人の側にいるのか。その人に触れて、本当に確かめたのか、そう思うんです。その人と「共にある」という事空間を共有することによってしか、その共有を通じて身体で体験する以外に「分かりようがないこと」というのが世の中にはある。教科書の知識と権威だけで(つまり「頭の言葉」だけで)分かったことにされてしまっているだけではないのか。そのことを、ずっと考えているところです。

2013/3/31(日) 午後 6:53 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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『痛む身体のその痛みを自分のものとして全面的に引き受けて居直った(これ、立岩先生のおっしゃっている立場に通じますね)言葉の力によって、「頭の言葉」の世界に殴り込み』>はい。「頭の言葉」とは、論理的で整合的で、一見価値中立的で、妥当に見え、反対しづらいもののことですね。

それはご紹介した、ハイ・セオリーと重なるものだと思います。

しかしどんなに価値中立的に見える高踏的な理論・理屈=「頭の言葉」、ハイ・セオリーでも、遡ってゆけば、必ずそれ以上遡れない仮定や原理があるはずです。

これを明らかにして、弱い立場が強い立場のハイ・セオリーに異議を述べるために、
ロー・セオリーという発想が生まれたのだと思います。

『頭の言葉の世界の人だって‥生身の体で生きている「一人の人」であることに立ち返れば』>ここのところですね、ポイントは。 削除

2013/4/1(月) 午前 2:20 [ @hijijikiki ] 返信する

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学者とか専門家とかいわれる人は、科学的といわれている原理、実際には学会などの権威に承認された原理や出発点から、論理的整合的に、つまり「頭の言葉」で結論を導くことが得意な人たちで、この特性や傾向で積み上げられた理論がハイ・セオリーかと。

そのような「頭の言葉」=ハイ・セオリーにどっぷり浸かった学者や専門家の多くは、自分たちがよって立つ基盤であるはずの、原理や出発点について十分考えて、知っているかというと、たいていの場合、学界などの権威に依拠するだけで、それらを検証したり疑ったりする視点がない人が多いと思います。

そのような、自分の基盤を検証したり疑ったりしない“半端な”学者や専門家は、『生身の体で生きている「一人の人」である』ことに立ち返ることによって、自分の築き上げてきたものが壊れることを恐れて、または自分(たち)のこれまで作ってきた構築物を守るために、「生身の体」や「生の現実」を見ようとしない、否認・否定・無視することがあるのでしょう。

いわゆる「専門バカ」とか「猟師、木を見て森を見ず」もこの一形態でしょう。この場合には、「現実をよく学んでもらう」で対処可能かもしれ 削除

2013/4/1(月) 午前 2:22 [ @hijijikiki ] 返信する

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ません。

しかし、価値の問題や、価値観の争いや、ある価値による支配の意図の問題が絡むと、話はこの程度では済まないでしょう。

むしろ、このやり取りの最初の「緩和ケア」を巡る問題や、その前の「認知症、終末期医療」の問題と同様に、差別の問題として扱う方がよいのでは。

学者や専門家の問題について続けると、spitzibaraさんのブログエントリー「Spitzibaraからパーソン論へのクレーム」での
『具体的なイメージが必要な文脈では最重度ケースのイメージが用いられ、
そのくせ全体の文脈では最重度者のイメージに乗っかって導かれた論理に
「知的障害者」「認知症患者」全般がいつのまにか乗せられていく』

というのも、学者や専門家が自分の築き上げた理論や業績を守るために、現実を見ない、否認・否定・無視することに加え、価値観の争いや、ある価値による支配の意図も、これには含まれているかもしれない、と思えます。

その場合には、前述したように、単に「現実をよく学んでもらう」では不十分で、差別問題として扱った方がよいのかもしれません。 削除

2013/4/1(月) 午前 2:25 [ @hijijikiki ] 返信する

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『「家族の声掛けには反応がある」‥それを医師らは「ただの反射だ」とか「家族が現実否認しているだけ」と弾き返す。でも、医師らは‥その人に触れて、本当に確かめたのか』>これも、先の専門家による否認・否定・無視の例だと思います。

ここに、価値観の争いや、ある価値による支配の意図が、含まれているか否かは、各々のケースによって違ってくると思います。

しかし、昨今の尊厳死や脳死を導入しようとする動き、ある価値観による支配の意図が明確な事態が進行しているので、ある特定の価値(優生思想)による支配が含まれている恐れや、そちらに誘導される恐れがとても大きいと思われます。

このような差別と呼ぶのが適切と思われるような場合には、spitzibaraさんの上記のような批判や反論はとても重要なものだと思います。
学者や専門家の不適切なハイ・セオリーに対する批判や異議=ロー・セオリーとして、価値観や規範や差別に踏み込んだ働きかけとして。 削除

2013/4/1(月) 午前 2:27 [ @hijijikiki ] 返信する

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hijijikikiさん、おはようございます。このところあれこれ考えている重症意識・認知・知的障害者の「意識」への捉え方の問題で、今いちばん考えているのは、そうした権威者による否認・否定・無視の中に、実は論理に精査された「頭の言葉」でも何でもない「どうせ」という彼または彼女の生身の人間としての差別意識が作用していて、またその専門家の否認・否定・無視が社会一般にも共有され広がっていくことの中に、今度はそうした専門家の発言に、それらを受け止める側の「どうせ」という差別意識が呼応していくからでは……そこで起こっていることが「頭の言葉」のやり取りではなく、実は無意識の差別意識の共鳴・共有であるからこそ、人間の選別の線引きは議論が繰り返されることによってじりじりと前倒しされていくのでは、ということなんです。

2013/4/1(月) 午前 8:55 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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例えば昨日のカナダの「無益な治療」事件でも、「昏睡」としか報道されていないのに、受け止める世間の側が「脳死なんだから」と飛躍させていく。でも実は、この人への治療を「無益」とする医療職の判断の中に、それは「どうせ脳死と同様に不可逆」だという線引きの前倒しとして、既に織り込まれてもいるような……。

まだ上手くまとまりきれていないのですが、hijijikikiさんとのやり取りから多くのヒントをいただきました。考え続けてみようと思います。長いこと密度の濃いやりとりをいただいて、ありがとうございました。

2013/4/1(月) 午前 8:56 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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hijijikikiさん、自分で締めくくっておいてナンですが、その後また上記の問題を考えていたら、08年に【認知能力はあるのに表出能力が限られているために「どうせ何も分からない」と勝手に決め付けられてしまう重症障害児・者の疑似体験】というのを考えついていたエントリーに行き当たったので、話のついでにTBしてみました。具体的には以下です。

車椅子に乗って拘束衣が見えないように毛布でくるみ、そのまま誰かが押して街中に出る、レストランで全介助で水を飲ませてもらい(必ずこぼれます)、全介助で食事をする(食べこぼしが散らばります。顔も汚れます。きっと満足感もありません)。もちろん絶対に口を利いてはいけないのがルールで。

2013/4/1(月) 午前 10:31 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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ツイッターをやっていた頃に重症障害者をめぐる問題を扱う学者の方々を実際の重症障害者の介助に引っ張り込んでもらえませんか、と支援の世界の人たちにお願いしてみたことがありましたが、こういう疑似体験企画も、例えば例のバリバラ辺りから、やってみてもらえませんかね。

外見だけは重症障害者となった非障害者に、はたして周囲がどんな目を向けるものか──。

2013/4/1(月) 午前 10:33 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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hijijikikiさんが、大きな問題意識に拡げて論じようとしてくださるものを、毎度毎度spitzibaraの方は、自分が今とりあえず考えている特定の問題に引き戻して、スミマセン。どうも、そういう繰り返しになってきたので、この辺りで自分の「ぐるぐる」に戻ります。ありがとうございました。

2013/4/1(月) 午前 10:36 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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『大きな問題意識に拡げて論じよう‥毎度毎度spitzibaraの方は、自分が今とりあえず考えている特定の問題に引き戻して』>いえいえ、この辺のところがこれまでのやり取りで良かったと感じるものの一つです。

spitzibaraさんの私と異なった視点や立ち位置からの具体的な問題提起やご指摘などのおかげで、私の、つぎはぎだらけ、穴だらけの雑多な議論や仮説などなどが、自分なりにですが、ある程度明確になり、相互関係が少しははっきりしてきたかと。

このようなやり取りにお付き合いいただき、ありがとうございました。 削除

2013/4/2(火) 午前 1:29 [ @hijijikiki ] 返信する

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『こういう疑似体験企画も、例えば例のバリバラ辺りから、やってみてもらえませんかね』>賛成です。というか、バリバラで前にそれと似たような企画を見ました。

中途障害の車椅子ユーザーの方が、「車椅子で移動すると、一々『すいません』と何回も言わないとならず大変だ」との発言に、健常者の人が反論し、では試しにその健常者の方も車椅子に乗って一緒に移動する体験をしてみる、という企画でした。

結果は、スーパーでの買い物と駅のプラットフォームに行くだけで、短時間に確か二百回以上『すいません』と言い続けて、その健常者の方も「大変さ」に同意した、という内容でした。

こういう企画だけで十分というわけではないでしょうが、ぜひぜひ似たような企画を増やして欲しいですね。

学校教育の一環として、子どもに障害者や老齢者の疑似体験をさせるというのをニュースで見ましたが、行政の担当者や責任者、特に福祉担当や都市計画担当者などに、職務の一環として、例えば車椅子通勤などを義務づければ、すぐに解決しそうな問題もたくさんあるかと。 削除

2013/4/2(火) 午前 1:30 [ @hijijikiki ] 返信する

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以下、若干補足します。

『専門家の否認・否定・無視が社会一般にも共有され広がっていくことの中に、今度はそうした専門家の発言に、それらを受け止める側の「どうせ」という差別意識が呼応していく』>これはとても重要なところだと思います。

この、否認・否定・無視や差別意識の「循環や連鎖」の問題は、今回のやり取りの中では十分展開できなかったので、また別の機会にお話ししたいです。

『無意識の差別意識の共鳴・共有であるからこそ、人間の選別の線引きは議論が繰り返されることによってじりじりと前倒しされていく』>ここもほぼ同意ですが、若干違う考えのところもあります。

それは、『じりじりと前倒しされていく』ことは多いかもしれないが、そうとは限らないし、条件次第では逆の展開もあり得るのでは、と思うところです。

『差別意識の共鳴・共有』に対応することを、私は、「循環や連鎖」と表現しようと思いますが、それが作動する仕組みや構造、生じる事象同士の絡み合いは多種多様で、場合によってその様相は千差万別だと思います。 削除

2013/4/2(火) 午前 1:32 [ @hijijikiki ] 返信する

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上のコメント欄の3/29(金)で、
『△痢嵜佑鬟皀里箸靴動靴Δ海函廖更に,痢嶌絞漫廚鉢い痢崘塾麓腟舛筝威への服従」の各段階が作動し、強い立場による弱い立場に対する搾取や支配のために利用されることで、より更にそれらの各段階が相互に強化しあい反復する(拡大再生産する)ことで、現在の社会ができてきた』
と書きました。

「弱い立場」とは、経済社会的に「強い立場」に従属せざるを得ない、たとえ嫌でも、強い立場の言うことに従わなければならない、そうしないと大きな不利益をこうむる立場です。

それでも、3/30(土)に書いたように、悪い方向だけでなく良い方向にも「価値観の回転」がありうると思うのは、
『(弱い立場にいる者は)現実の社会や体制や政治により形成された実際の生活の諸般の事情から、現実に適応する(=生存する、生き残る)ために、やむを得ず現実を追認するような暮らしをし、思考や価値観までその形態に染まっている。
それでも、今ある政治や社会が押し付けている制約(=絆!)が緩めば、既に(潜在的にかもしれないが)持っている違う価値観に変わってゆく可能性があること』
からです。 削除

2013/4/2(火) 午前 1:33 [ @hijijikiki ] 返信する

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この可能性を実現できるように、即ち、押し付けられている制約故に、やむを得ず現実を追認する・現実と妥協する必要のない条件、
即ち、おおざっぱに言えば、いろいろな場面で自由と生存権の実現の方向に向かう=安心して生活でき、ものが言える環境を整えることが
差別問題を含む多くの問題の解決のもっとも基本的で大きな条件ではないかと思います。

この辺は、前にお話しした宮地尚子「環状島=トラウマの地政学」の環状島の<水位>(「トラウマに対する社会の否認や無理解の程度を意味する。」)について、
「複数の環状島全体の<水位>を下げるために生存権運動」が重要であることと関係するかと。
(まとめ『右傾化と揺り戻し:選挙後のspitzibara氏とのやり取り』の
「著者の宮地尚子氏宛の2008年のメール」などに記載があります)。 削除

2013/4/2(火) 午前 1:35 [ @hijijikiki ] 返信する

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上記の悪循環や連鎖について、人種・民族差別の場合に関して、
『差別や優遇政策によって経済的教育的職業的などの格差が生じ、それが更に差別を呼ぶという悪循環』などを、

まとめ『ナショナリズム・レイシズム・差別と、相互的な交流/を阻むもの』
の2ページ目の上の方に書きました。ご参考まで。

いやー、今回もまた長々とやり取りにお付き合いしていただき、本当にありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。 削除

2013/4/2(火) 午前 1:37 [ @hijijikiki ] 返信する

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hijijikikiさん、おはようございます。学ぶところの多いやり取りを、ありがとうございました。こちらこそ、今後ともよろしくお願いいたします。

2013/4/2(火) 午前 7:46 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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コメント欄でのやり取りを、拙まとめ
「緩和ケアの差別的な使われ方と、ロー・セオリーからの反撃」
に、掲載しました。

過不足や問題がありましたらコメント下さい。 削除

2013/4/9(火) 午前 2:40 [ @hijijikiki ] 返信する

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hijijikikiさん、おはようございます。いつもお世話になり、ありがとうございます。

2013/4/9(火) 午前 8:03 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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