Ashley事件から生命倫理を考える

世の中は想像していたより、はるかにコワイ・・・

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12日に以下のエントリーで紹介した話題の元論文を読んでみました。
がんセンターに“アドボケイト”が最後まで担当してくれる「自殺幇助プログラム」(米)(2013/4/12))

上記の記事内容に追加する形で、以下の論文の内容を改めて簡単に取りまとめてみます。



Seattle Cancer Care Alliance(SCCA)は
Fred Hutchinson Cancer Research Centerとワシントン大学、それから
シアトルこども病院の患者を外来形式で引き受ける包括的ながん治療センター。
患者はワシントン州だけでなく、ワイオミング、アラスカ、モンタナ、アイダホからも。

尊厳死プログラムの方針はその他の病院の方針と同じ手続きで承認されたもので、
それに加えて、患者、医師、アドボケイトが最後のプロセスまで使える情報パケットを作成した。

その中に明記されていることとして、
・SCCAは自殺幇助だけの目的でかかろうとする新規患者は引き受けず、Compassion&Choiceに紹介。
・このプログラムについて公式ウェブサイトには掲載していない。
・致死薬はプライベートな場所でプライベートに飲むと誓約できない患者には出さない。
・職員に参加は義務付けない。

最後の点については
SCCAの医師ら200人に調査を行って81人から回答を得たところでは
29人(35.8%)が、処方することもカウンセリングを担当することもいいずれもOKで
21人(25.9%)は、カウンセリングのみOK。
31人(38.3%)は参加したくない、または決めかねていると回答。

この個所の最後に、論文は以下のように書いている。
「少数でも参加に前向きな医師がこれだけいれば、プログラムの実施には十分と考えられた」

参加希望の患者には、最初に担当のアドボケイトがつく。
同センターには6人の有資格のソーシャル・ワーカーがいて、そのうちの3人がプログラムを担当。

そのうちの1人が担当となり、担当医と共に患者がターミナルであること、自己決定能力があること、
全ての選択肢を理解した上で決断していることを確認し、
手続きがすべて合法的に行われるように全プロセスを通じて仕切る。

もともとSCCAでは、患者が尊厳死プログラムに参加するしないを問わず、
全患者にソーシャルワーカーが最初の心理社会的評価を行っている。
(この部分、WA州の尊厳死法は紹介責任を医師に負わせているが、
SCCAでは精神科のアセスメントの必要判断と紹介をソーシャルワーカーにやらせている、とも読める?)

次に、アドボケイトは患者にPOLSTを書かせる。「希望があれば、記入の支援をする」とも。
POLSTについては ⇒医師が主導して考えさせ、医師の指示書として書かれる終末期医療の事前指示書POLST(2012/11/26))

POLSTに記入されるのは、
・致死薬を飲む際に医師にいてもらいたい場合はその手配。
・薬の入手方法と使わなかった薬の処分方法。
・グリーフケアと法的アドバイスのために定期的に訪問・受診(手紙を書いたりビデオを作ったり)
・家族には不測の事態の可能性を考えて患者が飲む時には連絡するように伝え、家族にもグリーフ・ケア。
・処方した医師は死後の報告書の書き方もアドボケイトから支援。

アドボケイトは通常は2回、患者と家族と面会する。
(この辺りを呼んでいると、なんとなく臓器移植のコーディネーターを連想する)

担当医が個人的な信条から参加したくない場合には、参加してもよいとする医療職から候補を選ぶ。

手続きが所定の通りに行われて処方箋が薬局に出されると、
薬剤師が患者と会い、副作用などについて詳しく説明する。
処方箋で薬を手に入れるかどうか、飲むかどうかは、その後の患者次第。

2009年5月5日から2011年12月31日の間に114人の患者から問い合わせがあり、
そのうち44人(38%)は問い合わせだけで参加しなかった。
30人(26.3%)は参加したものの、途中でやめたか、手続き途上で亡くなった。

残り40人(問い合わせた114人のうち35.1%)がカウンセリングと所定の要望を経て
致死量のセコバルビタールを処方され、全員が亡くなったが
そのうちセコバルビタールを飲んで死んだのは24人(処方されたうちの60%)。
セコバルビタールを使っているのは、ペントバルビタールが品薄のため。

がんセンターSCCAにおける尊厳死プログラムの参加者は
ワシントン州の尊厳死プログラムに参加した総数255人の15.7%に当たる。
その典型ケースは白人、男性、高学歴。

参加希望を断ったのは1人だけで、その理由はプライベートに飲むのを拒否したから。

SCCAのプログラム参加者は
SCCAの患者全体と比べてもメディケアのほかに個人的な保険にも入っている割合が高いことから、
WA州のプログラム参加者よりも働いている人が多いと思われる。
(と書きつつ、論文末尾の弱者への圧力を否定する個所では
SCCAの参加者像がWA州の州民像と異なっているという「エビデンスはない」と)

最初の要望の時点で、参加者の54.2%がホスピス・プログラムに登録している。

死亡時点での登録については調べていないが、
WA州の参加者の80.9%、OR州の参加者の89.7%が死亡時にホスピス・プログラムに登録している。

11人が半年という余命予測を超えて生きた。
このうち9人は半年を平均7.4週超えたところで致死薬を飲んで死亡。
最長は半年を18.9週超えてから飲んだ。(つまり余命半年とされた人が1年近く生きたことに?)

結局、自殺幇助で実際に死んだのはプログラム参加者の21%で
同センターの患者の年間死亡件数のうち 0.02%に当たる。

参加理由で最も多いのは
「自律の喪失」                97%
「楽しい活動ができなくなる/なった」   89%
「尊厳の喪失」                 75%

一回目の要望時にコントロール不能の苦痛または将来の苦痛を挙げた人は
36人中(なぜ36人?)8人で22.2%。WA州全体では34.7%、OR州全体では22.6%。

精神障害の疑いでアセスメントを求められた人はいなかった。WA州では4.8%、OR州では6.7%。

これまでに家族からも介護者からも苦情は出ておらず、受け止めは良好。
患者の死は穏やかだったと言われる。

薬を実際に手に入れるか、飲むかに関わらず、処方箋が出ることに患者と家族が感謝を語り、
不透明な状況でも自分でコントロールできると思えることが大事なのだと話すのが常だという。

PAS反対論者は弱者への圧力になると言うが、
プログラム参加者のほとんどは白人の教育レベルの高い男性だと著者らは反論している。
(でも、自ら上で述べているようにSCCAの参加者が既に選別された層だからでもあろうし、
また、弱者への圧力はPASに追いやるという以外の形で起こる可能性もある)

不測の合併症は起きていないが、薬を飲んだ後、死ぬまで1日かかった患者が一人。
死が長引いたことは家族にとっても医師にとっても辛い体験となった。
同様のケースはこれまでにも報告されている(これは当ブログのORとWAの年間報告書に情報があります)

その他、特に興味深かった点として、

・患者と家族の受け止めが良好である理由について、著者らは
「我々のアドボケイトのプロフェッショナリズムによるもの」と書いている。
(これを読み、また臓器移植コーディネーターが頭に浮かぶ)

6カ月を超えて生きた患者がいても、
処方した医師にもカウンセリングの担当医にも敢えて伝えないことにしている、という。
理由は、こうした情報を伝えると、医師らが患者に余命を伝えることに慎重となり、
現在でも病気がtoo lateなほど進行してからでないと余命が宣告されない問題を
悪化させてしまう恐れがあるから。(このプログラムのホンネが too late にチラリと?)

・この論文の最後のセンテンスがなかなか味わい深い。

The program ensures that patients (and families) are aware of all the options for high-quality end-of-life care, including palliative and hospice care, with the opportunity to have any concerns or fears addressed, while also meeting state requirements.

このプログラムによって、緩和ケアとホスピスケアもあり、どんな不安にも対応してもらえる機会があることを含め、良質な終末期医療のすべての選択肢を患者と家族がわかっていること、さらに州法規定に沿うこととを共に保障することができる。


SCCAの緩和ケアとホスピスケアの担当者って、この最後の一文を読んで、どう思うんだろう……?

患者と家族が「わかっている/知っている(aware)」というのは、
「受けようと思ったら受けられるんですよ、それを分かった上で受けないと自己決定するんですね」と
単に「あるってことは知っている」ことを確認すれば、後は患者の自己決定だから、それでいい……
ということでしかないんだろうか。

SCCAの緩和ケアの専門家も、そういう理解なんだろうか。

でも、ここに書かれているプログラムの姿勢って、
緩和ケアとホスピスケアの敗北ではないのか、という気がするんだけれど。


【23日追記】
22日付の米国医師会新聞記事がこの論文を取り上げていて、
その中に書かれていた一節。

“Our goal is still to cure cancer,” said Elizabeth Trice Loggers, MD, PhD, lead author of the NEJM article and medical director for palliative medicine at SCCA. “When we, unfortunately, can't cure cancer, our goal is then to relieve suffering, to be doctors caring for all patients and families with cancer. This is simply one of a full range of high-quality, end-of-life options.”

なんと、この論文の主著者はSC

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閉じる コメント(7)

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がん医療で「余命」というのは中央値です。なので半分は半年以上生きるでしょうし、長く生きる人は年単位になります。6ヶ月の余命はアメリカのホスピス入所の基準になっているせいもあってよく取り上げられますが、上記のように幅が広すぎるという問題があります。 削除

2013/4/17(水) 午前 9:57 [ acceleration ] 返信する

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おはようございます。分かりやすい解説ありがとうございます。その「中央値でしかないもの」を個々の患者での予測に当てはめてしまうこと、それで「致死薬を飲んで死んでもいい人」とそうではない人が線引きされることに問題がある、ということなんですね。

奥野修司さんの「看取り先生の遺言」で岡部健医師が説いていた、抗がん剤をめぐるデータは統計でしかないのに、それが個々の患者にとっては博打でしかないことが医師に理解されていない、という主張を思い出しました。

2013/4/17(水) 午前 10:18 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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このあたりのこと、緩和医療学会とかサイコオンコロジー学会とかで話題にならないのかなあ、と思っています。

2013/4/17(水) 午後 8:24 [ accleration ] 返信する

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岡部健医師の「遺言」を読んでいたら思いだしたんですけど、昔、某国立大学医学部の2年生に障害のある子どもの母親の立場からお話しさせてもらっていたことがあって、その時に、「医学」というのは沢山の患者の症例が集まったモザイク画がどういう風景を描いているかを読み説く学問だから、一片一片のモザイクに構っていたら見るべきものが見えなくなるだろうけど、でも「医療」というのはその絵を構成しているモザイクの特定の一片と向き合う仕事なんじゃないですか、って、問い掛けていました。なんか、そこのところにどうしても越えがたい壁があるような気がします。ほんと、そういうところで話題にならないんですかねぇ。

2013/4/17(水) 午後 8:41 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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『がん医療で「余命」というのは中央値』というのは accleration さんが書いているので、たぶん、医大ではそんな風に教えられるのではないかなぁと勝手に想像するのですが、お医者は自分でがんばったことを証明するためには、それを短めにいうという力学が働かないかなぁと思うのですが、・・・。

2013/4/22(月) 午前 8:00 [ tu_*a* ] 返信する

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tu_*a*さん、「自分が頑張ったことを証明するために」というの、思わず笑ってしまいました。最近、訳あって以下の2つのエントリーに登場するジョセフ・フィンズという脳神経科医の発言をたどりなおしているんですけど、植物状態患者などで医師らが最悪を予測して家族に治療中止を進めがちなことについて、彼は「早いところさっぱりと決着をつけてしまおうと、分からないことが沢山あるのに無視してしまっている」と批判しているんです。思わず笑いながら、そのフィンズの指摘を頭に浮かべて、あぁ、これは介護者でも同じだ……と思って、その自分自身の中にも潜んでいるまぎれもない真実にぞおっとしました。

2013/4/22(月) 午前 9:43 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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tu_*a*さん、上のコメントを書いてまた思い出したエントリーがあったんで、ウザくて申し訳ないけど私自身の考えの繋がりをメモとして残すという意味でTBしました。

エマニュエルが安楽死は痛苦の責を患者に転嫁すると言った時に、ホスピス関係者が合法化に反対するのは、そうした転嫁が深く考えずに簡単に起こってしまうことを知っているからだ、という意味のことを書いているんですね。これを読んだ時に、私も家族介護者の一人として知っている……と思った。それが、上のコメントで思い出したことでした。それについては簡単に言葉になることではなく、それなりに時間をかけて考え、言葉にしていくしかないのですが、そのつながりを考えたことを、ここにメモしておきたかったので。

2013/4/22(月) 午前 9:50 [ spi*zi*ar* ] 返信する

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