Ashley事件から生命倫理を考える

世の中は想像していたより、はるかにコワイ・・・

無益な治療

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当ブログでずっと追いかけてきたRasouli訴訟に
18日、カナダ最高裁から判決が出ました。



週末のこととて、PCの前にゆっくり座っている時間が取れないので、
さっき、以下の関連エントリーにコメント欄で判決文だけリンクしたのだけれど、


結果がどうしても気になってならないので、
ざ〜っと目を通してみた。

上訴棄却

結論は[117]から[122]に。




ざ〜っと目を通して、目に留まったのは以下の箇所。
(翻訳は全訳ではなく、ごく大まかな概要です)

(75) Wherever one tries to draw the line, it is inevitable that physicians will face ethical conflicts regarding the withdrawal of life support. No legal principle can avoid every ethical dilemma. What may be needed is a practical solution that enables physicians to comply with the law and to satisfy their professional and personal ethics. In this case, for example, the physicians explored the possibility of transferring Mr. Rasouli to a different Toronto hospital. Alternate staffing arrangements within Mr. Rasouli’s present hospital could also be considered. Finally, other physicians qualified to undertake Mr. Rasouli’s care may not hold an ethical objection to continuing the administration of life support. Such practical solutions could go far in averting any ethical conflict.

Rasouli氏に生命維持治療を行うことが自分の医師としての倫理観に合わず、
他の病院に転院もさせられなかったのなら、

病院内で、
同氏の治療をする資格があり、なおかつ同氏の生命維持の続行に抵抗感のない
医療職に担当を交代することだってできる。

どんな倫理的な係争解決にも、そうした実際的な方法が有効であろう。


(76) While the end of life context poses difficult ethical dilemmas for physicians, this does not alter the conclusion that withdrawal of life support constitutes treatment requiring consent under the HCCA.

終末期の医療判断が医師に倫理的なジレンマをもたらすからと言って、
治療の中止もまた医療同意法の下で同意を必要とする治療であるという結論は変らない。


……ということなんだと思うのですが、
まだ全然まともに読んだとはいえないし、
しばらくちゃんと読む時間が取れそうにないので、

もしどこか違っていたら、ご教示ください。

そのうちには判決文をちゃんと読んで、
詳細な論点をなるべく理解するよう努めた上で、改めて書きたいと思いますが、

ずっと気にかかっていた大きな判決が出て、
その結果がそれなりに嬉しいもののようなので、取り急ぎ、速報的に。
メディカル・コントロールと新・優生思想の周辺から出てくるニュースには
それまで想像もできなかった形の科学とテクノロジーの応用に仰天すると同時に、
考えてみれば、いろいろ起こっていることの当然の帰結だなぁ、と
改めて納得させられる……ということが、とても多いのですが、
そして、それが起こる間隔がどんどん狭まって
世の中の変化が加速しているとも感じているのですが、

これもまた、そういうニュース。

これまで思ってもみなかった、「無益な治療」論の今後の可能性――。
でもこれは、考えてみれば、やっぱり、これまで起こってきたことの当然の帰結――。


Altruista HealthというIT企業が
これまでの医療に関するデータの蓄積に基づいて
病院や医師が、病状が深刻化する患者を予測するためのアルゴリズムを開発。

この技術を、医療提供者に販売するのは
Hewlett−Packard社が所有するインドのIT企業、Mphasisの医療保険部門、Eldorado。

重篤になる患者を予測するだけではなくて、
最もコスト・パフォーマンスの良い治療の選択肢まで
提言するサービスとして。

記事には「一種のトリアージ」という表現も。

NYでメディケイド患者の医療費負担を担うNPOのAffinity Health Plan では、
Altruistaを使い始めて3ヶ月で、病院への再入院率が50%も下がった、という。

ワクチンや遺伝子診断技術に関する報道記事がそうであったように、
これもまたビジネス・セクションの記事。

「ワクチンの10年」がビジネス欄で語られる時にも使われていたように
ここでも a golden opportunity という経済アナリストの表現が目に付く。



Altruista社の創設者の一人、Ashish Kachru氏は
保険会社のビジネス・リスク管理部門の責任者だった人物。

そういう仕事をしていた時に、
「どの患者が治療を必要とするか、病院はもっとうまく決められるのに」と思った。

「つまり、患者の管理をどうやっているか、という点で
損失を出していたわけです」と同氏。

だから、つまり、このサービスのコンセプトは、
「リスク管理」としての患者マネジメント、なわけですね。

Kachru氏は
「患者がヘルス・プランを利用する期間の平均約2年間だと分かりました。
そして、何らかの利益が出始めるには、
患者の健康を改善するために約2年間かかるということが分かったんです」

そこでCULAサン・ディエゴ校と提携して
膨大な医療データを収集、分析し始めたのが、この技術の始まり。

ここでも、考え方はこんな感じ? ↓
医療費削減に繋がるかどうかの問題? WPの新型遺伝子診断記事(2012/11/29)


で、頭に浮かぶのは、

新型遺伝子診断でも「情報提供」だとか、あくまでも判断をhelpするんだとか
もっともらしいことが言われつつ、実際は障害児の排除が進められていくように、
このプログラムも「情報提供」だとか、コストをかけない良質の医療への提言だとか
もっともらしいことが言われつつ、進められていくのは
重症化すると予測される患者の切捨てなのでは……?

でも、医療というのはもともと個別の問題なんだから、
これまでのデータに基づいて「この患者は重症化する確率が高く、コスト高患者の候補」とか
「これまで、この病気でこの症状の患者にこの治療は有効ではなかったから
高価な治療でもあり、この患者には勧めない」といった判断をされても

データで重症化する患者が8割だったからといって、
個々の特定の患者が重症化しない2割に入る可能性は否定できないし、

だからこそ、治療の選択肢と関連データをきちんと説明され
患者はそれを納得した上で治療に同意する、インフォームド・コンセントの重視なのであり、
そこにこそ患者の自己決定権の尊重があったはず。

医療というのは、あくまでも個々の患者の治療が目的なのに、
個々の患者の状態にはお構いなしにデータの確率論で
医療そのものが拒否されていくのなら、

このプログラムのコンセプトそのものが
個別の医療判断のあり方とは相容れないんでは? と思うのだけど、

米国の医療職の人たちって、そこのところ、どう感じておられるんでしょう?

そういうことが指摘されにくいように
メディケア患者から適用されていくのか……?



もう一つ、引っかかるのが、この会社の名称。

Altruistaって、
どう考えたって元になっているのは altruism という言葉ですよね。

だから、どうしてもeffective altruism を連想させられてしまうわけで ↓
Peter Singer「利他主義のすすめ」:5000ドルの途上国支援すれば腎臓1個提供するに相当(2013/8/4)

そうすると、このサービスが提唱していくことって、
「このサービスが提供する“一種のトリアージ”で引っかかった人は、
確率の低い医療を受けてメディケイドの限られた資源を無駄遣いするよりも、
そんな医療は受けずに、同じ金額を他の人の治療にまわしてあげるのが
貧乏な人にもできる効果的利他主義の実践」……???
生命維持続行を指示する患者本人の意思を無視するため、
意思決定能力のある患者に代理決定者を立てようとした
ペンシルベニア州Allentownの St. Luke’s病院が敗訴。

裁判所は病院の訴えを認めなったばかりでなく、
こうした主張を行ったことに対して罰則を課した。

無益な治療ブログのThaddeus Popeは、
無益な治療をめぐる係争解決で代理決定権者の任命が有効に機能するには
以下の2点が必要だとしており、

・ 患者自身がその治療を特定して求めているときに
代理決定者が生命維持治療の中止に同意することはできない。

・ 患者にまだ意思決定能力がある時には
医療提供者は代理決定者のことは考えるべきではない。


ポウプは今回のPA州の病院は
この両方をないがしろにしていると呆れているけれど、

これまでも家族が続行を求めているのに
家族とは別途、病院が推薦した弁護士が代理決定者に任命されて生命維持が中止されたケースや、

州の保護下に置かれた患者で、
本人の意思とは別に代理決定者が任命されて中止されたケースもあったと記憶するので、

(どちらもエントリーはあると思うのですが、
今ちょっと探すだけの余裕がないので、リンクはパス)

このPA州のケースは怖い話だけど、少なくとも、
「無益な治療」論のゆくえに見え始めている可能性の一つなのでは?

The Oregon Health Education Review Committee(HERC)の会合で、
今年10月から新たなガイドラインが施行されて、
メディケイドのガン患者への治療内容が変わることが決まったとのこと。

前回のガイドライン改定では、
余命が2年以内のガン患者の治療に制限が設けられたのだけれど、

今回は化学療法に耐えられないほど体が弱っている患者、または
複数回の化学療法をやっても改善が見られない患者への治療を、制限することに。

そのため、
臓器が機能できないほど弱って死が近づいている患者には
ガン治療を目的とした医療はメディケイドの給付対象とならない。

しかし、手術と放射線を含め、
痛みと吐き気の治療は対象となる。

Oregon Starts Rationing End-of-Life Treatment
Medical Futility Blog, August 9, 2013


Popeのブログ・エントリーのタイトルだと
まるで今回の改訂でオレゴンのメディケイドが配給医療になるという解釈なんだけれど、

厳密な意味での「配給医療」という言葉の意味が
イマイチ私は良く分かっていないので素人の拡大解釈かもしれないのですが、

これまでもオレゴン州では以下のような話があって、
私は元々オレゴン州のメディケイドは一種の「配給医療」なんだとばっかり……。



いずれにせよ、
今回のガイドライン改訂で治療を受けられなくなるガン患者さんも
医師の幇助を受けて自殺することを希望するなら
その費用はメディケイドの給付対象になるわけですね……。


ちなみに、
1990年代にオレゴンプランが最初にできた際に、
導入しようとして「障害者差別」だとして没になった基準があった。

これについては、Alicia Ouelletteの Bioethics and Disabilityに詳しく、
その概要は以下のエントリーに。



その他、ピーター・シンガーが
QOLを指標に配給医療制度の導入を提唱している件については、こちらに ↓
Peter SingerがQOL指標に配給医療を導入せよ、と(2009/7/18)
髄膜炎の生後3週間の男児の
「無益な」生命維持停止からの回復事例。英国。

いい笑顔ですね〜。



Harrison Ellmer君。
健康で生まれたが、その後、病院へ運ばれ、
蘇生の後に髄膜炎と診断された。

CTを2回撮ったのち、
医師らはこれ以上できることは何もないと告げ、
両親はHarrison君の人工呼吸器を取り外す目的で
子どもホスピスに移った。

母親が腕に抱き、その周りを家族が取り囲んだ。
看護師が人工呼吸器のスイッチを切って部屋を出て行き、
みんなでHarrison君が自力で息をするのを無言でじっと見つめていると、
彼は少しずつしっかりとした息をするようになっていった。

その間20分間。
家族にとって人生で最もハッピーな時だったという。

Harrison君には右耳の聴力が失われ、軽度の脳性まひが残ったが、
生後6ヶ月の現在、それ以外は正常に発達している。

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