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カナダ議会に医師による自殺幇助合法化法案が提出される、というニュースが
今の「死ぬ権利」議論のダブスタをくっきりと炙りだしている。

2本の法案を提出する(この記事の通りだとすると27日に提出済み)のは
保守党議員で、1996年に事故で四肢マヒとなったSteven Fletcher氏。

以下の記事には、次のように書かれているので、
提出される法案の対象者は終末期の人限定のもののはず。

He says his bills will only allow assisted suicide for those at the end of their lives and will include safeguards to make sure there would be no abuse of such legislation. Measures would include age restrictions and having an independent panel of doctors making the decision with an able-minded individual.



ところが、なんとも不思議なのは、
Fletcher議員が法案提出への思いを語る際にも、
それを報道するメディアの記事でも、
この法案に関連して語られているのは、すべて
Fletcher氏のような「苦闘と痛みと、時には苦しみの生を生きてきた」重症障害者のこと。

例えば、上の記事でFletcher議員は法案提出の理由について
以下のように述べているのだけれど、

We need to be merciful as much as we are caring and empathetic and helpful to those in need.

我々はそれらを必要としている人に対して、思いやりと共感と支援を差し出すだけではなく、慈悲も差し出す必要がある。


それに続いて彼は
自分は1996年の事故の後に死ぬという選択肢がほしかった、という体験を語る。

“[I was] on a ventilator, intubated, essentially drowning in my own phlegm.”

“It would have provided a lot of comfort to me, in that if my situation were to get worse, I didn’t have to drown to end it”

呼吸器をつけて、挿管されて、
ほとんど自分の痰で溺れ死にかけていた。

(PASが合法されていたとしたら)
症状が悪化した時にも、そういう溺れ方で死ななくてもいいと思えるという点で、
私には大きな慰めだったでしょうね。


もっと分かりやすいのは以下の記事で、

例えば、Fletcher議員について記事は、
an MP with such direct, first-hand experience with the end-of-life debate
(終末期議論の個人的な直接体験のある議員)と書き、

さらに、今回の法案とその体験について、
記事は以下のように書く。

The two bills, when combined with his own experience, raise an inevitable and important question: If physician-assisted suicide had been available in 1996, would he have chosen death over life?

彼の体験を今回の2つの法案と併せ考えると、
当然のこととして重要な問いが浮かんでくる。
もしも1996年にPASが利用できたとしたら、
彼は生きることよりも死ぬことを選んだのだろうか?


もしもし?

この法案は終末期の人を対象とするもので
濫用防止のセーフガードが設けられていると議員自身が語っているのだから、
1996年にあったとしても、議員は対象にはならなかったんですけど?

ところが、そういう法案だと自ら語ったはずのFletcher議員が
そこの矛盾を突くわけでもなく、素直にこの問いに答えて
「選択肢があるというのは慰めだっただろう」などと語っているから、
それもまた不思議。

さらに彼は、
誰に聞かれたわけでもないのに、

3年前に首を固定する外科手術を受けた時に、
それで脳に損傷を受けた場合には救命しないでほしいと
医師に頼んでおいたというエピソードまで物語ってみせる。

they should just walk away from the (operating) table and not worry about sewing me up.

(自分が脳に損傷を受けた場合には)もう開けたところを縫い合わせることすらしなくていいから、そのまま手術台から立ち去ってください(と頼んだ)

I have to live in my mind now. If my cognitive functions are compromised in any way, I'm not interested in going on.

(四肢マヒとなった自分は)今では頭の中で生きるしかないので、どんな形であれ認知機能がやられたら、もう生き続けることに興味はないですから。

MP fight for assisted suicide
Winnipeg Free Press, March 27, 2014


終末期の人が対象で、
濫用が起こらないようにセーフガードをきっちり設けたと言う
PAS合法化法案の提出者が、

それと同時に、
重症身体障害や認知障害まで
「死を認められてよい対象者」に平気で含めて
自分の体験を物語る。

それでは、その法案には
「すべり坂」があらかじめ織り込み済みってこと?

「尊厳死」「死ぬ権利」議論のダブルスタンダード、
どんどん露骨になってきた。



なお、カナダ議会は2010年にPAS合法化法案を大差で否決している。
カナダ議会、自殺幇助合法化法案を否決(2010/4/22)

一方、BC州ではTaylor・Cantor訴訟で以下のような判決が出ており、
これはその後、カナダ検察長官が上訴して、
カナダ最高裁で今後審理されることになっている。

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