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前のエントリーで取り上げたNYTの記事にコメントで登場した
Dena Davisの2013年の論文「アルツハイマー病と先制的自殺」の
アブストラクトを読んでみました。

There is a flood of papers being published on new ways to diagnose Alzheimer disease (AD) before it is symptomatic, involving a combination of invasive tests (eg, spinal tap), and pen and paper tests. This changes the landscape with respect to genetic tests for risk of AD, making rational suicide a much more feasible option. Before the availability of these presymptomatic tests, even someone with a high risk of developing AD could not know if and when the disease was approaching. One could lose years of good life by committing suicide too soon, or risk waiting until it was too late and dementia had already sapped one of the ability to form and carry out a plan. One can now put together what one knows about one's risk, with continuing surveillance via these clinical tests, and have a good strategy for planning one's suicide before one becomes demented. This has implications for how these genetic and clinical tests are marketed and deployed, and the language one uses to speak about them. The phrase ‘there is nothing one can do’ is insulting and disrespectful of the planned suicide option, as is the language of the Risk Evaluation and Education for Alzheimer's Disease (REVEAL) studies and others that conclude that it is ‘safe’ to tell subjects their risk status for AD. Further, the argument put forward by some researchers that presymptomatic testing should remain within research protocols, and the results not shared with subjects until such time as treatments become available, disrespects the autonomy of people at high risk who consider suicide an option.


症状が出る前からアルツハイマー病(AD)を診断する新しい方法に関しては、
洪水のように次々に論文が発表されている。

それらの中には、
侵襲的な検査(たとえば脊椎穿刺)を組み合わせるものや、紙とペンでできる検査もある。

こうした状況によって、ADリスクの遺伝子検査をめぐる状況も変わってきている。
理性的な自殺がこれまでよりもはるかに現実的な選択肢となるからだ。

症状が出るまで検査ができなかった時には、
たとえADリスクの高い人であっても、いつ発症するかは分からなかった。

そのため、自殺の時期によっては、
まだよい生活を送れた年月を無駄にすることになるかもしれないし、
または実行を先延ばししたために、自殺しようにも
病気によって計画を立てる能力も実行する能力も奪われてしまうかもしれない。

しかし今では、
自分のリスクを知り、さらに定期的にこうした検査を受けてその結果とを勘案した上で、
認知症になる前に自殺すべく戦略的に計画を立てることができる。

これを考えれば、こうした遺伝子検査や臨床検査が
どのようなマーケティングでどのように販売展開されていくか、
またこれらの検査がどのような言葉で語られていくかが見えてくる。

「もはやできることは何もありません」などというのは侮蔑的で、
計画的な自殺という選択肢を尊重しないものの言い方である。

それは、「アルツハイマー病のリスク評価と教育(REVEAL)」研究や、
その他、AD発病リスクを被験者に伝えることは「安全」だと結論付ける研究の
言葉遣いにも言えることである。

さらに言えば、これは
症状が出る前の診断検査は研究プロトコルの範囲にとどめるべきだとか、
治療が可能になる時期まで被験者に結果を知らせるべきではないとする
一部の研究者の主張にも通じていくことであり、

(それらの主張は)
自殺を選択肢の一つと考えるハイリスクの人々の
自律・自己決定権(autonomy)を尊重していない。


Alzheimer disease and pre-emptive suicide
Dena S Davis, Journal of Medical Ethics, July 10, 2013





一方、こういう議論もある ↓
英国著名哲学者、認知症患者に「死ぬ義務」(2008/9/29)

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