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これまで、ウーレットの記述や、さまざまに拾ってきた係争事件の情報などから
「医学的無益性」そのものは定義されていない、と考えてきたのですが、

2015年に出された以下の多学会の方針声明が
ウーレットが挙げていた3つの中でも最も狭い定義を採っているようです。

とても興味深い方針なので、概要を簡単に。


この米国胸部学会(ATS)の公式方針声明は、
2015年1月にATSにより、
2014年12月に米救命救急看護学会(AACN)により、
2014年10月に米国胸部内科学会(ACCP)により、
2014年9月に欧州集中治療学会(ESICM)により、
2014年12月に救急救命医療学会(SCCM)により、
承認された。


集中治療室(ICU)で患者や代理決定権者から
医療サイドとしては行うべきではないと考える治療を求められた場合に、
どのように対応すべきかをめぐって、論議があることから、
これら多学会が委員会を立ち上げて智恵を結集し、提言を纏めたもの。

その理念として、私がとても重要だと感じたのは、
この方針の土台となる前提を提示した、以下の下り。

it is ethically untenable to give complete authority for treatment decisions to either patients/surrogates or individual clinicians. Instead, clinicians and patients/surrogates should work collaboratively to make treatment decisions and, in the face of disagreement, should first augment efforts to find a negotiated agreement, including involving expert consultants. In the rare case in which intractable conflict develops, clinicians should pursue a process-based approach to conflict resolution.

治療をめぐる意思決定の全権を患者または代理決定者あるいは個々の医師のいずれかに与えることは、倫理的に許容できない。そうではなく、医師と患者または代理決定者が共に協働して治療をめぐる意思決定を行うべきであり、意見が相違する場合には、専門家のコンサルテーションを入れるなど、話し合いによって合意に至る努力を、まずは強化すべきである。解決困難な争議に発展するような稀な事例では、医師はプロセス重視のアプローチによって解決を目指すべきである。

(ゴチックはspitzibara)


主要な提言としては、

(1) 先を見通しながら積極的にコミュニケーションを図るとか、
    早期に専門家のコンサルテーションを入れるなど、
    医療機関は治療をめぐる解決困難な争議を防止するための戦略を備えておくこと。

(2) 医師には相反する倫理的な考察を経ても行うべきでないと思われる治療に、
    患者が求めている効果が少なくとも何がしかはもたらされる可能性があるなら、
    その治療には「無益」ではなく「潜在的に不適切」という形容を用いるべき。

    困難事例での解決は、
    プロセス重視の姿勢で、公正なプロセスによって計られるべきである。

(3)「無益」という文言の使用は、
    求められている介入では意図される生理学上の目的の達成はありえない、という
    稀な状況にのみ限定されるべきである。

(4) 延命技術はどのような時には使うべきではないか、に関する方針や法整備について
    医療職は一般の人を巻き込んで議論を率先し、解説すべきである。



とりわけ、「無益」と「潜在的に不適切」と概念を分けたことが
この方針の最重要箇所だと思うのだけれど、

それについては、
各種学会のガイドラインでも各地の法律でも、
それぞれ無益性の定義が一定していないことを指摘し、

その背景として、
これまで「無益な治療」争議と称されてきた係争事件の多くは
単に医療をめぐる技術的な問題ではなく、
何が適切かをめぐる価値判断の対立だったことが
指摘されている。

そこで、この方針は、上記のように、
「無益」の定義を最も狭い「生理学上の効果がない」に絞った

それは、「無益な治療」を、QOLなどの価値判断と切り離して、
常にどこの誰に対しても同じく「生理学上の効果がない」と判断される、
客観的な判断が可能なものに限定した、ということ。

また、「潜在的に不適切」という表現を用いることによって、
最終決定までは判断が留保されていることが含意される

さらに、係争解決へのプロセス重視のアプローチでは
誰か一人の価値観だけが不当に重視されることがないこと、
透明性、合法性、アカウンタビリティ、
さらに上へ訴えていける機会の保障の重要性が言われる。

手続き上の公平性の重視という点では、
こうした事例では患者が自己決定できない状態にありがちだったり、
主治医を自由に選択できないことや、
他の医療職を探そうにも病状の為にできにくいことなど
患者サイドが弱い立場に置かれていることが強調されている。

これもとても大きな論点だと思う。

ただし、時間的に意思決定が急がれる状況で、
患者サイドの要求する治療が明らかに通常の医療の範疇を超えていると
医師に確信がある場合は、可能な限りの検討手続きを経ながら、
治療の提供を拒否すべきである、と。




    

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説得のための方便切り替えの感は否めないように思います。
表向きは「患者が治療を要求しているが、医者はその治療が医学的に無益だと思っている」というケースを念頭に置いた提言のように見えますが、私には「患者は生きたがっているが、医者が死なせたがっている」というケースを念頭に置いてるように思えます。
その無益性は所詮は結果論ですし、100%不可逆的であると事前に科学的に立証できない限り、結局は確率論になるはずです。
実際、日本の医療現場ではそうなっていて、がん医療や老人医療などで多くの治療を医療者側が拒否してます。

患者と医者とが話し合いで決めるというのも、一見、もっともらしいですが、そもそも、患者の意思と医者の意思とは同列に扱われるべきものではないというのがリスボン宣言以降の流れだったはずで、それに逆行してるように思います。
特に、日本のようにリスボン宣言を認めない、理解できない国においては危険に思います。
それに、きっと、「患者が自殺したがっているが、医者は死なせたくない」というケースでは患者の自己決定権重視というダブルスタンダードなのでしょう。

2017/3/16(木) 午前 6:00 [ ta2**buak* ]

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> ta2**buak*さん

おっしゃっていること、私もだいたい同じ捉え方なのですが、

実は最近のTruogの論文を合わせて読んでおり(というか、実際はそちらの論文で言及されていたのでこちらも読んだという順番)、この後、そちらのエントリーを書くつもりなのですが、

そこでは無益、潜在的不適切、レーショニングという3つの概念の整理が試みられています。Truogがその必要を感じている実態にこそ、何をかいわんやという「無益な治療」論の正体が顕われている、と思います。

2017/3/16(木) 午前 8:08 [ spi*zi*ara2 ]


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