どうする、利根川? どうなる、利根川? どうする、私たち!?

八ッ場ダムを中心としたダム・河川の話(工学、法律、歴史)。なお、緑色がリンクです。

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 続きです。
 計画上は、江戸川に40%弱の洪水流量を流すというのが歴代の利根川治水計画でした。では、実際の分派率はどうでしょうか。

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分派地点・航空写真
https://www.mlit.go.jp/river/shinngikai_blog/shaseishin/kasenbunkakai/shouiinkai/kihonhoushin/051206/pdf/ref3.pdf

 上の航空写真で明らかなように、江戸川分派点は片方にしか構造物がありません。つまり、江戸川側の関宿地点には関宿水閘門がありますが、利根川側には何の構造物もありません。片側にしか構造物がないというのは、分派地点としては特殊なものといえます。この点は、常々大熊孝・新潟大学名誉教授が仰っています。

 さて、下のグラフは、利根川水系河川整備基本方針を決定した社会資本整備審議会に提出されていた資料です。このグラフは、S10(1935)年〜H14(2002)年の経年変化を見たものですが、グラフの注釈にあるように、近年(1955〜2002)の分派率はおよそ20〜30%です。

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出展は、上に同じ。

 内容的にほぼ同じですが、江戸川・河川事務所の松原氏の論考(2007)では、主要洪水時の分派率が示されています。この論考の中でも、江戸川の分派率はやはり20〜25%と示され、計画分派率に遠く及びません。

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 さて、この松原氏の論考は、2006年の河川整備基本方針で定められた江戸川7,000㎥/秒という分派量は可能だろうかという検討でした。冒頭の記述だけではわかりませんが、後々を読んでみると「可能か?」の意味は、「理論的に可能な数値か」という意味でした。
 「ちょっと待ってくれ!」といいたい感じです。そんな理論的に可能かどうか裏づけのない数値を、河川整備基本方針という重要な計画に盛り込まないでくれといいたい感じです。ところが、利根川水系の河川整備基本方針を審議した社会資本整備審議会の資料でも、
7,000m3/sを分派させる最適な手法については、分派機構及び維持管理手法とあわせて検討していく」

とあるのみでした。つまり、7,000㎥/秒という分派量が達成可能なのかは見切り発車ですが、この見切り発車の数値を計画に盛り込ませてくださいという話です。これが「社会資本整備審議会」の審議の実態です。
 紹介した松原氏の論考は、そうした計画決定を受けて行った「検討」の1つと位置づけられるでしょう。そして、この松原氏の論考も、「解析モデルを作ってシミュレーションしてみたか結果、7,000㎥/秒の分派は理論的に可能である」という話に過ぎません。
 分派率の達成には、粗度係数・河床高の管理が不可欠という水理模型実験から得た「結論」が示されてはいますが、流下能力というには河川断面積と(平均)流速の積で決まる以上、その結論は当たり前の話じゃないでしょうか。背景的知識としては「河川の流下能力」を参照していただきたいと思いますが、平均流速をあげるには
 1)粗度係数を下げ、河水への抵抗を下げる
 2)水面勾配を上げる(傾斜をきつくする)
 3)水深を深くする
の3つの方法があるわけです。
(マニングの公式)

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 だから、粗度係数・河床高の管理が不可欠という水理模型実験からの結論は、要は流速を上げて流下能力を増やさないと計画数値の分派はできないという話でしかないと思います。そりゃぁ、そうです。グラフで見たように、現実の分派率は低く、実績と計画の分派率・量に乖離があるわけですから、流速を上げて流下能力を増やさないと計画数値の達成はできません。
 計画策定後に「計画の数値は理論的に達成可能か」を検証しているというのは、いかに政策の実現可能性を考えずに計画数値を定めているかを示すいい例かと思いました。

 最後に、江戸川分派が利根川治水においてもつ意味を、少し述べて、この話はおしまいにしたいと思います。本来はそこから始めるべきでしたが、計画策定後に「計画の数値は理論的に達成可能か」を検証しているという倒錯に驚いてしまったので、先にそちらを紹介しました。

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 改正河川法(1997)の下では、マスタープランたる河川整備基本方針に基づき、今後20〜30年の整備事業を示す河川整備計画を定めていきます。
 前者の河川整備基本方針により流量配分図が示されるわけですが現在(2006.2.14)の利根川水系河川整備基本方針では、このようになっています。
http://www.mlit.go.jp/river/basic_info/jigyo_keikaku/gaiyou/seibi/pdf/tone-1.pdf
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 この河川整備基本方針は、画餅の治水計画に過ぎないことを、いくつかの点で指摘できます。すぐに思いつくことでいえば、
  • 1)上流ダム群で5,500㎥/秒の洪水調節を行うことになっているが、それを確保する術がない。
    • →基本方針を決定した当時、既設ダム1,000㎥/秒、八ッ場ダム600㎥/秒、八ッ場ダムで新規ダム建設は打ち止めというものでした。
    • 八ッ場ダム等の洪水調節効果は、今回の八ッ場ダム検証の中で全く違う数字が出てきていますが(既設ダム等2,863㎥/秒、八ッ場ダム1,176㎥/秒)、これらのダムを抱える群馬県のホームページでは、今も旧来どおりの数字が掲載されています。
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  • 2)関宿地点で、江戸川7,000㎥/秒、利根川10,500㎥/秒の2:3という分派割合を予定しているが、この計画分派率も実績・歴史と大きな乖離がある。
  • 3)利根川放水路計画(1939、利根川増補計画)に替わって位置づけられた、放水計画も現実に整備される見込みはない。
の3点でしょうか。
 ここでは、2)の江戸川分派問題についてお話したいと思います。できれば3)の放水路問題もそのうちお話したいと思っています。

 さて、分派問題です。
 この分派問題は、鉱毒事件と歴史的に絡んでいます。利根川河道が銚子に注ぐ現在の形になったのは江戸幕府の治水事業の成果ではなく、足尾銅山鉱毒事件に絡んでのことでした。このあたりの話は http://blogs.yahoo.co.jp/spmpy497/5887777.html に書いています。宜しければご参照下さい。

 さて、利根川東遷を決定付けた明治33(1900)年の利根川改修計画ですが、その時の分派率はおよそ1:3でした。きちんとした河川整備を行えば、江戸川の方が洪水疎通能力(流下能力)は高くなるはずで、利根川治水において度々登場する「江戸川主流論」は、そうした江戸川のポテンシャルを背景にしています。
 しかし、明治33年に利根川改修計画を定めたときには、鉱毒事件が重要な政治課題になっていた時期でした。有名な田中正造の天皇直訴事件は明示34(1901)年です。時代は日清戦争(1894〜95)から、日露戦争(1904〜05)に向かう時代です。重要な軍需物資であった銅の生産を抑えるという選択肢は、政府にありませんでした。
 そうした時期に定められた利根川改修計画では、足尾の鉱毒が渡良瀬川→利根川→江戸川と通って帝都・東京に来ないようにするため、江戸川の分派率は970㎥/秒(25.9%)と低く定められました。
 この分派率は、明治44(1911)年の計画改定の時に、修正されます。その背景に何があったかというと、渡良瀬遊水地計画です。谷中村を廃村にし、そこに鉱毒を沈澱させる渡良瀬遊水地の造成は1912(明治45、大正元)年から始まります。
 渡良瀬遊水地に鉱毒を沈澱させれば、利根川には鉱毒は流入しなくなると想定できます。分派率が修正された背景には渡良瀬遊水地の存在を抜きには考えられません。なお、渡良瀬遊水地については、ラムサール条約の候補地になった時に、少し歴史を書きました。

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 分派率の話に戻ります。現在の計画では江戸川分派量は7,000㎥/秒で分派率はちょうど2:3(40%)となりました。発見した興味深い資料というのは、この計画分派量7,000㎥/秒が本当に達成できるかという試算に関するものです。
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 江戸川分派率の話は、下流部の水害対策と重要なかかわりを持つ話です。話が長くなってきました。
 ここで一旦打ち切ります。続きはこちらです。


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