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1.宗教戦争の本質
宗教の違いによる紛争は遠い過去から続いている。まったく、ばかげているし、各々の宗教の本質を捻じ曲げている。
いったい、どこの聖人が、他人を苦しめる戦争を肯定しているのか?していないに決まっている。
ではなぜ、宗教の違いにより争いがおこっているのか? 答えは簡単である。宗教界の頂点に立つ人やその周辺の人々の欲によってもたらされているのである。
即ち、聖人が説いた内容を自分達に都合が良いように解釈したり、都合のよい表現のみをクローズアップして使用したりしているからである。我欲を持ってはいけない人々が、我欲に基づいて行動するからである。
なぜ、聖人たちはその教えを書物にしなかったのか?
時代や価値観が変遷するなかで、自分が説く内容を都合のよい方向へ曲解されるのを恐れたからである。
よって、釈迦もキリストも書物をのこしていない。私が尊敬する王陽明もしかりである。彼らは心を伝えたかったのである。
『ひとを見て法を説け』=『時代・価値観をみて法を説け』と私は感じている。教えを書物にすれば、後世にそれを悪用する人々が出現を恐れていたのではないか。
また、教えを書物にすると、真実や心が伝わりにくいと考えたからであろうか。
2.私の宗教観
私はすべての神は、その本質・根源は同一であるとあると思っている。
神は見る人・時代との波長により、違った形で見えたり感じたりするだけなのだと思う。
よって、キリストと釈迦のどちらの方が上位かという質問は愚問となる。根本は同じだからである。
世の中が乱れるとその時代の隙間に聖人が現れ、神の存在を示す。ただそれだけなのである。
私も智弁尊女の存在により神の存在を知るに至った。
私は『水』に縁の深い家系なので、弁天様とのご縁を頂いたのだと感じています。不思議なことに私の家の近しい親戚には水に関係する姓ばかりです。苗字に『井』・『谷』・『川』が入っている親戚が大半で、唯一入ってないのが父方だけですが、それでも水が無いと成立しない『田』です。
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弁天様の由来についての記事を見つけました。興味があれば参照ください。www.ffortune.net/spirit/tera/hotoke/benzai.htm
2007/3/10(土) 午前 11:42 [ pall ]