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春先の転勤で職場が変わった。前の職場は1名を除いては人柄の良い誠実な方ばかりで非常に精神的には良好なかたちで仕事ができ恵まれていた。
今度の職場は、その場が持っている空気が重く、なぜだか長く居ようと思わない雰囲気。
なぜだろうと感じつつも新しい仕事を覚える為に必死に仕事を覚える。先から居る人の男性社員は私が困っていても見てみぬ振りをする。自分の数字を作るのに精一杯の状態(一人当たりの標準量の1.5倍から2.0倍の仕事量)のなので仕方ないとはいえ、今までの職場では考えられない状況。
朝の挨拶すら、同じチーム内で十分になされていない。でも、私が大きな声で挨拶を始めたので少しずつあいつの輪が広がってきているのは少しうれしい。
私はたとえ職位が同じか下であっても、年長者には礼を尽くすべきだと考えているが、支店長・次長には、それが殆ど見受けられず、年長者に対しても罵詈雑言を大声で浴びせている。
彼らは自分の不手際には寛容で、部下の不手際には厳しい。部下には感謝の言葉がまったく無い。
不手際・未達成があると説教話は1時間から2時間続く、私も始めて経験したが、こちらが出来ていないことを認めても容易に許さない。なかなか次回からはよろしく頼むよの言葉が出てこない。人を苛めて楽しんでいる雰囲気さえ感じられる。
彼がよく口にするのは『人を信用するな。』と『私に信用される人間になりなさい。』である。いったいどういう価値観を持っているのだろうか?
職場の男女問わず彼を嫌悪している人間は多い。
だからといって、彼らには回りの社員が思っているような嫌悪感は感じない。ただ哀れと思う。
その結果を彼らは享受しているからである。
12ヶ月連続地区最下位の支店実績
支店長の妻は40代半ばで、脳動脈瘤を発生させ手術。
これについては、ある女子社員の言葉が胸に響く。『理不尽な要求ばかりし、細かい不手際についても徹底的に責任追及する。きっと、家庭でもそうしているんでしょ。だから、奥さんが脳動脈瘤になるんでしょ。』
中国の陰陽の考えに当てはめると、彼らは陽ばかりを追い求めているのではないか?
植物に例えると、樹木がより多くの光合成をするために、葉と幹の育成にエネルギーを割き、根には殆どエネルギーを割かない状態が彼らの状態である。そうなった植物は立ち枯れするしかない。
陽を極めると一旦は、すべてを破壊されなければ次の創造はなしえない。それをみんなに教える為に彼らは存在しているのか?とも思える。
とにかく、私は私の出来る範囲から少しずつ回りに働きかけし、職員が気持ちよく働ける職場作りをしたいと思う。安岡政篤先生の言う『一隅一灯』を実践するしかない。
『一隅一灯』・・・一人一人が持つともし火は小さいけれども、すべての人がそれを持てば大きな光となり世の中を明るく照らす。
大森智弁尊女の水の章25番から28番
流れは一滴の雫が寄り添ふてこそ生ずるなり 離るれば流れとは言わざるなり
人は人に寄り添ふて往く 離れては何人も成り立つまじ
水は慈悲で寄り添ふなり まことは寄り添ふ心なり
寄り添へば幅となり 流れとなるなり
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