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「死んだ気になって物事をなす」
1月10日に吹田の方の体験談をお伺いして自分自身を反省することしきりです。
その彼女の御話が、ふと、御宗祖の御母スエ女の物語と重なりました。
姑にドロボー扱いされ、人としての扱いをされなかった彼女が、それでもありがたいと感じ姑に尽くしたのである。姑が自分で動けなくなり下の世話までされたのである。
そして、その姑が息を引き取る前日に彼女に感謝の意をあらわしたのである。
スエ女の物語を知らないでスエ女と同じ行動をとり、60歳を超えて幸せな暮しを送られている方がいる・・・・今年春海外から戻る息子さん夫婦が同居できる自宅を用意し一緒に暮らせることがありがたいと述べておられました。
御宗祖4歳のとき、スエ女が姑の仕打ちに耐えかねて自殺を考えていた。その時に知人の勧めで樽井の毘沙門さんにお参りされた。そして、お代の土井たつ女から「三人の子連れの女、死んではならぬ、汝の働きを受け取っている。死んだつもりで家に帰れ、3人の日どもの中で一人は神の魂を抱いた子を授けてある。この子を大切に育てよ、死んだつもりになれば、どんな善根も積める、功徳を積み重ねれば末は食べるもの着るもの、何ひつと不自由のない身の上となる」と言い渡された。時を経てそれは現実のものとなる。
死んだつもりとは・・・死んでいるのだから、どんな酷い言葉を発せられても辱められても心を平静に保つことである。そして、ただ目上の人に尽くす。
残念ながら、今の私はその境地に入れていないと反省しきりです。
昨年、会社の社長が変わり、人事教育部門の責任者が会社を去り、人徳のある部門責任者が左遷され、その後任者と協調する直属の上司から心ない仕打ちが強くなりました。
私の前任者はそれに耐えきれず無断欠勤の末1月に退職、また、4月に入社した私と同じポジションの後輩がノイローゼとなり9月に退職。
この既存部署が酷い部署で所属する半数の人が、人としての礼節をわきまえないアウトロー自己中心主義者で、あと半数がそれに耐える良識ある人という構図。
入社後に新設した部署を立ち上げ、そこで働く方々は人柄の良い人が多く、また、その次に立ち上げた新設部署も同様でした。
新設部署の運営が安定すれば移動するというのは伸びざかりの会社では止むを得ない事です。
業務スキルは高いが人として修身ができていない総責任者、管理職の初歩の心構えもできていない上司(マネージャー)。そして、次々退職していく同僚。
そのことに不満の心がなかったと言えば嘘になります。
私はまだまだ心の位置が高い・・・
「これだけ会社に貢献しているのに、ひどい上司の居る既存部署に回された・・・・」
「これだけしているのに・・・」この言葉が出るようでは心の位置が高いと御宗祖はおっしゃつています。見返りを求める心は何ももたらさない。
ただひとつ、心に決め守っているのが「私と共に業務を拡大してくれた部下が明るく働ける職場を維持したい」という事です。
これからは、酷い仕打ちを受けてもそれに感謝できる生き方を目指したいと思います。
苦難=陰徳を積むチャンス
これを与えてくれる上司に感謝する心が大切
※「そうなることが御本尊さまのご意思と悟れ」(ご宗祖のお言葉)
※11月の体験談をして頂いた方のお言葉・・・「棘の道の後にきれいな花が咲く」と夢の中で御宗祖がおっしゃられた。
御本尊さまに感謝
御宗祖さまに感謝
おんそらそばていえいそわか
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