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なぜイエス・キリストや仏陀は書物を残さなかったのか?(その2)
残念ながら前回コメントしてから以降現在に至るまで、この回答は宗教関係者から頂いていない。
京都のある大きな寺院の30歳前後のお坊さんも、月に1回程度訪れるキリスト教の布教をされる方からも・・・・
■先日、菩提寺が真言宗である税理士さんとお話していて感じたこと
その方は、若いときに生死の境を経験されており、その後様々な宗教について学ばれたとのことでした。
その方の宗教観は、もともと宗教の根源は同じで、イエス・キリストも仏陀も観世音菩薩ではないかと感じているとおっしゃられました。
弁天宗の智弁尊女も観世音菩薩に当たり、ご本尊様が大日如来ではないかと。その方は興味が湧いたので宇賀山妙音院如意寺を一度訪れたいと仰られました。
私も27歳前後の時に死を感じたことがあり、もともと宗教の根源は同じで、イエス・キリストも仏陀も観世音菩薩ではないかと感じています。
※前回記載いたしました王陽明に関する記述補足
王陽明は書を残さなかったというのは正確ではないとのご意見がございましたので追記致します。
王陽明は青年期・中年期は持論を書に著していました。(持論は彼の悟りの深さにより変遷しています)
しかし、中年期に彼の弟子たちが王陽明の書の解釈について対峙する傾向がちらほら見られたため、持論を書にあらわすことを封印し、もっぱら直接対話の方法で考えを広めることに専念しました。(ここに聖人の片鱗がうかがえます)
残念ながら王陽明の没後、彼の懸念したとおり、弟子たちが二分して彼の教えの解釈について対立するようになりました。
同じようなことが様々な宗教でも起こっていますね・・・・
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