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これは実際に本人が語ってくれたお話です。
静岡県に在住の主婦の体験談・・一人でも多く同じ状況の方が救われるようにと彼女は全国を回っています。 彼女は結婚するまでは不自由のない生活をしていた仕事の出来るOLであった。 結婚後も幸せを感じていた。夫の両親と同居し、そして、子供にも恵まれた。 しかし、ある日のこと彼女はふとこう思った・・『私はこんなにも家族に尽くし、両親にもつくしているのに、なぜ義母は私に冷たい態度をとるのであろうか?』 そして程なく、彼女は躁うつ病に浸潤されていった。家財を壊し、子供の目の前で刃物を振るうまでになった。 家族の計らいで、彼女はいくつもの精神病院に通院・入院させられたが、症状の改善はなかった。むしろ、悪化する一方であった。更に、著名な加持祈祷師を数え切れないくらい訪問しても同様であった。 そして、とうとう彼女は大阪の実家に帰されることとなった。 彼女を引き取ったのは実の姉であるが、姉は既婚者でその夫は自営業を始めたばかりで生活も安定していなかった。 姉は寸暇を惜しんで働く中、彼女を五条の蓬莱山御廟へ案内し、石畳の上で三礼し彼女の病が治るようにと祈り続けた。 心神喪失状態であった彼女は、当時のことは殆ど記憶していないが、姉の祈る姿と自分の頬を伝うとめどなくあふれる涙の暖かさは今でも鮮明に記憶に残っていると語ってくれた。 その後も、彼女の病状は少し良くなった程度で小康状態を保っている程度であった。 ある時、姉の導きで彼女は『お運び行』を始めた。最初は何を聞いているのか判らない状態であったが、徐々にお話の内容も理解できるようになった。それと並行するように、躁うつ病も回復に向かった。 彼女がお運び行を通じて、最も大切と感じたのが『ご先祖への感謝』であった。 そして、彼女は完全に本来の自分を取り戻した。夫の家族と同居できるまでに回復した。静岡に帰ってからも彼女のお運びは続いた。 義父は諦めていた彼女の回復に驚き、彼女にお運び行の内容を質問した。義父はその内容を聞き、義父もお運びに参加するに至った。 そして、義父は自宅にご仏壇を構えご先祖を祭りたいと行動を起こした。彼はその昔、今の妻と駆け落ちし静岡に居住した関係でご先祖供養とは縁のない生活を送っていた。その妻も結婚前後も仏壇に手を合わせることの無い生活を送っていた。 彼女と義父は、義父の実家の菩提寺を訪れたが、すぐには判明しなかった。暫らくして、住職から前任の住職ならその内容がわかるかもと聞かされ、その人と会い大半のご先祖が判明した。(この少し後に、この住職は他界。運命の数奇さを感じたという。) 自宅に仏壇を構え祈る義父の姿を見て、義母も自然と手を合わせるようになった。不思議とすべてが幸福に向かって循環し始めた。 義母は彼女と義父の変わりように驚き、感嘆しお運び行を始めるに至った。 その後少しすると、新たなご先祖が次々と判明した。 92歳になる義母は、今でも欠かさず感謝祭に参加している。家族円満に幸せに暮らせるのは弁天さまの御蔭と礼拝も欠かさない。 以上、拙い表現で申し訳ありませんが、最後までお読みくださった方に感謝の意をささげます。 南無智弁尊女 |
御蔭
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■不思議な連鎖(8月から12月の感謝祭でのお話、11月は残念ながら欠席致しました)
私が100日参りの御蔭について御話しさせていただいたのが昨年。
なぜか今年の8月感謝祭で再度【百日参り】の御蔭についてお話させて頂きました。
百日参りとお百度参りのどちらが、私にとって難しいかもお話させて頂きました。
するとどうでしょう・・・
9月に本部指令によりお越しになられた方の体験談が【百日参り】
10月に本部指令によりお越しになられた方の体験談も【百日参り】
なんと3ヶ月連続です。
更に12月の感謝祭では同じ支部の信者さんが【百日参り】の御蔭のお話をされました。
皆さんが選んだ体験談の内容が【百日参り】
御本尊様がそう導かれたようにしか思えません・・・・
12月の感謝祭では皆さまにお困りの方がいらっしゃいましたら百日参りをお勧めしてみてくださいとお話させて頂きました。
【百日参り】の御蔭はとても大きく、お願いごと以外にも御蔭を頂いている方の多さに驚きを隠せません。
(百日参りの起源・・・医者に見放された子宮癌の方をお救いされる為に御本尊様が救済をお約束されたのが百日参りの行。)
① 弊私の場合は、行完了から1週間以内での希望職種への再就職 + 妻の胸の7ミリの影の消失(妻は3カ月間人間ドックの結果を見ずに放置、本来なら癌がかなり進行していたはず。)
② 9月の方の場合は、行完了の翌日に大阪大学の研究室(予算が少なく自由な研究ができない)から自由な予算を与えてくれる大学への転職 + その先での更なる引き立て。
③ 10月の方は、仕事で心が潰れそうになるくらいの大きな苦難を背負わされにもかかわらず、その苦難が解消し、その後は会社での仕事も順調。さらに子宝にも恵まれる。
④ 12月の方は、娘さんの離婚問題が解消 + 半年ごとの昇進が続きそのプレッシャーに退職しようとまで考えていた御主人が明るく前向きになった。
※④で紹介させて頂いた方は支部の中では最も新しい信者さんですが、とにかく一心に弁天様を信じられる方で、支部感謝祭での御蔭の御話も最も多い方です。数年前には御主人が過労から免疫力が低下し、脳に細菌が侵入し危篤状態になられたこともありますが、それも御本尊様のお力で後遺症なく完治されております。
とにかく、感謝祭でこれが良いとの御話を聞かれたら直ぐに実行されるところがすばらしい方です。
最後までお読みいただいた皆様に幸あらんことを
おんそらそばていえいそわか
この記事は2012年の再掲載です
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なぜイエス・キリストや仏陀は書物を残さなかったのか?(最終章)
上記テーマに関する事柄は(その3)までにて述べさせて頂きました。
また、キリスト教信者のなかにも書物を重んずる神学に傾倒することは果たして正しいのかと疑問を呈する方がいらっしゃるのを昨日初めて知りました。
人から教えて貰うのではなく自身で考え答えを出されたのだなと感じました。
どうすれば現世も来世も幸せになれるのか?
それには多くの言葉は不要です。
5つの行(ぎょう)を実践すればよいとご本尊様は説かれています。すべての神様の総体であるご本尊様の教えはどの宗教にも反する内容はないと感じています。是非、ご確認ください。
■五行のお諭し
一、真心を常に忘るべからず
一、慈悲哀れみの心を養うべし
一、善根功徳の行を積むべし
一、感謝の真を捧ぐべし
一、不平不満を思うべからず
上記を実践できる心が「正しき心」であり、個本尊様は「我が名を聞かんもの我ありと知らんもの(ご本尊様を知らない人)すべての傍らにありて守護したもう」と仰られています。
すなわち、正しき心さえあれば、ご本尊様を知らない人、他宗の人もお救いになると仰られています。
追記)
智弁尊女は、他宗への参拝は禁じていません。
天理教の信者さんを褒め称えたこともあります。
また御先祖供養は、極力先祖から続く菩提寺で行うようにも述べられています。(宗派が変われば、言語や作法なども変わるので、お経の意味をご先祖様が理解しづらい為。極端な例ですが英語を知らないご先祖様に英語でお経を上げているようなもの。)
ここまで、お読みになられた方は上記の理由がなぜなのかお分かりだと思います。
すべての宗教が正しき心にて紡がれていく事をお祈りしこの章を終えたいと思います。
合掌
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なぜイエス・キリストや仏陀は書物を残さなかったのか?(その3)
本日、70歳前後のお坊さんとこのテーマでお話致しました。
このテーマに対しては若いお坊さんは答えられない人もいるかも知れませんねと微笑んでいました。(彼も若いときは理解ができなかったとも・・)
キリスト教関係者の方からは納得できる回答がない事については、文字を尊いと考える精神文化が背景にあるからかも知れませんねとのことでした。
■70歳くらいのお坊さんの回答
すべての人の過去世及び未来が見通せるお釈迦様は対面説法を重視されておられため、教えに関する書物を残されていないことは当然のこと。
つまり、人を見て法を説く(その人の過去・価値観・世界観・思考レベル等を総合的に判断し、最も適した形で法を説く)ことが重要で、文字にすると同じ言葉でも意味が180度変わることもあるからです。
文字にされた経典を残すと、様々な解釈が生まれ、様々な宗派が生まれ、時には対立・抗争が生まれます。
だから、偉人と呼ばれる人々は教えを文字に表さなかったと思います。
イエス・キリスト、ソクラテス、晩年の王陽明などです。
また、戒律もお釈迦様が現世にいらっしゃったときのものですから、現在に当てはめると疑問に感じることもあります。
たとえば、仏教の戒律ではタバコ喫煙は禁止されていません。
なぜなら、当時はタバコ喫煙するということがその地域では無かったからです。高僧と言われ戒律を守る人でさえ、タバコ喫煙しているのは個人的には僧としては似つかわしくないと感じています。
■私の所感
私が冒頭のテーマを20数年考え続けてたどり着いた現時点での結論と、同一の考え方にに驚きました。
このお坊さんは30歳台に難病にかかり死と向き合っておられます。(その2)で紹介させて頂いた税理士さんと同じですね。死を意識することが共通点、それを通して感謝を知る。
これを読まれた方は是非私が述べていることが真理に近いのかをご自身で考えてみてください。答えは他にあるかもしれません。
とにかく、王陽明のごとく徹底的に考え抜くことが大切なのではないでしょうか。
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なぜイエス・キリストや仏陀は書物を残さなかったのか?(その2)
残念ながら前回コメントしてから以降現在に至るまで、この回答は宗教関係者から頂いていない。
京都のある大きな寺院の30歳前後のお坊さんも、月に1回程度訪れるキリスト教の布教をされる方からも・・・・
■先日、菩提寺が真言宗である税理士さんとお話していて感じたこと
その方は、若いときに生死の境を経験されており、その後様々な宗教について学ばれたとのことでした。
その方の宗教観は、もともと宗教の根源は同じで、イエス・キリストも仏陀も観世音菩薩ではないかと感じているとおっしゃられました。
弁天宗の智弁尊女も観世音菩薩に当たり、ご本尊様が大日如来ではないかと。その方は興味が湧いたので宇賀山妙音院如意寺を一度訪れたいと仰られました。
私も27歳前後の時に死を感じたことがあり、もともと宗教の根源は同じで、イエス・キリストも仏陀も観世音菩薩ではないかと感じています。
※前回記載いたしました王陽明に関する記述補足
王陽明は書を残さなかったというのは正確ではないとのご意見がございましたので追記致します。
王陽明は青年期・中年期は持論を書に著していました。(持論は彼の悟りの深さにより変遷しています)
しかし、中年期に彼の弟子たちが王陽明の書の解釈について対峙する傾向がちらほら見られたため、持論を書にあらわすことを封印し、もっぱら直接対話の方法で考えを広めることに専念しました。(ここに聖人の片鱗がうかがえます)
残念ながら王陽明の没後、彼の懸念したとおり、弟子たちが二分して彼の教えの解釈について対立するようになりました。
同じようなことが様々な宗教でも起こっていますね・・・・
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