|
祖父は命冥加のある人だとよく言われた。
祖父は40歳くらいまでに四度命を失いかけている。うち二回は医者が、御親戚をお呼びになる準備をしてくださいと言われている。
神仏に殆ど手を合わせない祖父が82歳まで生きられたのは、祖母の働きだろうと私は確信しています。また、祖父を御守護頂いたのは弁才天様とも確信しています。
祖父が弁才天様のお陰をいたのは、戦時中2回、戦後2回です。
1)海軍で輸送船の仕事に従事していた祖父の船が、フィリピン沖で魚雷を被弾し沈没。
偶然にも、食事時、甲板で見張りを行っていた祖父と同僚2名の3名のみが助ったが、船内にいた他の同僚は、船と共に海底に引きづり込まれる。ほぼ1日泳いだ末に無人島にたどり着き助かる。
2)その後、内地勤務となった祖父は、呉(広島)勤務となる。その後、転属命令により、函館へと移動する。
偶然ではあるが、その転属命令に基づき、列車で近畿圏を移動中に、原爆が広島に投下される。転属命令が無ければ、祖父の命はなかったかも知れない。
3)祖父が、鼻の付近にできた出来物を刃物で切り取り、それが原因で菌が脳に入り、意識不明の重体となる。二週間経過するも状態は変わらず、医師から御親族を呼ぶ準備をしなさいと祖母は告げられた。
そして、親族への連絡を行っている矢先に、祖父は腹が減ったと急に起き上がり
意識が戻る。
4)砂糖の精製作業をしていた祖父が、発動機にかけているベルトに髪の毛を挟み、その結果、頭部を強打し意識不明となる。救急車も無い時代に、戸板に乗せられて病院に搬送された祖父。三週間意識不明の状態が続き、医師から御親族を呼ぶ準備をしなさいと祖母は告げられた。
今度こそは、祖父も駄目だろうと親族・町内の人がつぶやく中、またも祖父は意識を取り戻す。
■偶然が積み重なり、命を与えられ、町内会長一二年・水利組合理事三〇年と地域に恩返しを行い、八二歳の天寿をまっとうした祖父。
今の私には、偶然ではなく、必然=お陰 と思えて仕方が無い。
祖父は、神仏に手を合わせることの少ない人ではあったが、私利私欲に走らない人であった。
その祖父を支えたのが祖母であり、祖父の足りないところを補い寄り添っていたと感じます。
終わりに、
弁才天礼拝経の一節が甦る。
『天女尊誓って曰く、もし世上正しき心にて、わが名を聞かん者我ありと知らん者當にこの人の傍らに在って福徳を授け守護し給うと』
|
御蔭
[ リスト | 詳細 ]
|
私の姓には「井」の文字が入っている。
高校時代、歴史の授業の際に、先生が『姓で、先祖がどのような職位にあったかがわかる。例えば、井○の姓の「井」の文字の入っている人の先祖は、「水の管理」にかかわる立場にいた人に多くみられる。』とおっしゃられた。
それまでは、姓のことなどあまり気にしていなかったが、祖父のことを考えると納得がいった。
祖父は、水利組合の理事職に30年数年付いていたし、わが家は、古くからそれとは別に「久保津井戸水利」に関わっている。これは、昭和初期に作られた組織で、5つの町が関わっている。
その設立の目的は、地域の水の公平な安定供給にある。今では考えられないが、当時は、水の取り合いで、町同士が対立し、抗争があり、死人まで出ていた。
さて、それから多くの歳月が流れ、親戚づきあいをするようになって、私の家は余程水の縁が深いのだと気付かされた。
親戚の姓に「水にかかわる姓が多い」のである。
私の妻の旧姓は○川、妹の嫁ぎ先は、井○、母の姉の嫁ぎ先は○川、祖母の親戚は○井・○井、祖父の親戚は同性の他は○川、○谷、○井で、唯一直接水に拘わらないのは、父方の○田のみである。(田も水に縁が深い)
これを考えると、祖母が御本尊と縁を結ばれたのは、必然の様な気がしてならない。
|
|
「お運び」の御蔭は、因縁をほどき、幸せをもたらす基礎を充実させることにある気がします。(お運びを継続し、その1年後や初席終席式前後に御蔭を頂いたという話はよくお伺いします。体験談は最後に記述させて頂きます。)
1.お運びとその他の事柄の相違点、(あくまで私個人の見解です。)
これを、体の健康に例えますと
1)御神示・御祈祷やお百度参りは、緊急入院・外科手術のように、
急場をしのぐために御本尊が法力で助けて頂けるもの(他力本願)。
2)お運び参加は、ジムにかよって基礎体力を充実させたり、
医師による生活改善指導のように、それに基づいて、自分の
意思による基礎体力の充実(自力救済)を図る事ににあると
感じています。
2.お運びの御蔭(初席終席式で隣に座った女性からお伺いしたお話)
その女性は、若い時に両親を亡くし、兄弟もなく、40歳になるまで、
一人で寂しく生活を続けていた。仕事も不安定で、その日暮らしの
生活が続いていた。
生きることに希望を見いだせないまま、生きていていいのだろうかと
思いつめる時が続いていた。ふと、あるとき茨木教区の信者さんと
知りあい、その方の勧めで、お運びを始めた。
不思議と心が軽くなり、喜んでお運びに参加するようになり、安定した
仕事も見つかり、1年位が経過した時点で、ある男性と知り合い結婚
そして、41歳で子供を授けて頂いた。
自殺も考えていた自分が、やさしい夫と出会えただけでも幸せなのに、
初席終席の頃に、あきらめていた子供も授けて頂けた。
今ここで、お運び終席式に参加できることは、本当にありがたいことです、
過去を振り返ると信じられないことですと笑顔でお話されていました。
※現在のお運び席には、初席・中席・研席の区分はありません。その区分をなくしてから、
お運びの参加者が激減したことは寂しい限りですが、これも次なる飛躍のために御本尊が
用意された段階なのかなと思っております。
御宗祖が、感謝祭やお運び席で、他人の体験談を聞くことが、因縁ほどきに繋がるとの
お話を繰り返しされています。
このブログをご覧になられた方は、少しでも良いので、体験談を御自身のブログに掲載して
頂きたく存じます。そのことが、他の方を助けることに繋がると思います。
また、外国語に堪能な方は、それらを翻訳して掲載して頂ければ、御本尊のみこころが、
広い世界に広がる功徳を積まれることになるとも感じています。
※私は文章を書くことが苦手です。大変読みにくいものを最後まで、お読みいただいた方々に
感謝いたします。「おんそらそばていえいそわか」
|
|
昭和10年台のこと、子宮ガンで医者から見離された婦人が十輪寺を訪れ尊女に助けを求めた。
この婦人の嫁ぎ先の因縁は深く、弁才天のお答えは、100日続けて日参すれば助けるとの御神示であった。 婦人の自宅から十輪寺までは、車の無い時代なので片道3時間から4時間を要した。 婦人の夫は彼女を毎日リヤカーに乗せ日参した。 その御蔭で彼女の子宮ガンは治った。夫婦愛が癌を克服した。
尊女は弁財天に、日参不可能な距離に居住する人々を救う方法を求めた。 御神示は、お百度石を設置し、門前からお百度石を1度回ることで、1日日参したものとみなすとの内容であった。
こうして、昭和18年に『お百度行』が始まった。 ※十輪寺=現在は、宇賀山妙音院如意寺(総本山)
奈良県五條市野原西4-6-25
|
|
これは実際に本人が語ってくれたお話です。 静岡県に在住の主婦の体験談・・一人でも多く同じ状況の方が救われるようにと彼女は全国を回っています。 彼女は結婚するまでは不自由のない生活をしていた仕事の出来るOLであった。 結婚後も幸せを感じていた。夫の両親と同居し、そして、子供にも恵まれた。 しかし、ある日のこと彼女はふとこう思った・・『私はこんなにも家族に尽くし、両親にもつくしているのに、なぜ義母は私に冷たい態度をとるのであろうか?』 そして程なく、彼女は躁うつ病に浸潤されていった。家財を壊し、子供の目の前で刃物を振るうまでになった。 家族の計らいで、彼女はいくつもの精神病院に通院・入院させられたが、症状の改善はなかった。むしろ、悪化する一方であった。更に、著名な加持祈祷師を数え切れないくらい訪問しても同様であった。 そして、とうとう彼女は大阪の実家に帰されることとなった。 彼女を引き取ったのは実の姉であるが、姉は既婚者でその夫は自営業を始めたばかりで生活も安定していなかった。 姉は寸暇を惜しんで働く中、彼女を五条の蓬莱山御廟へ案内し、石畳の上で三礼し彼女の病が治るようにと祈り続けた。 心神喪失状態であった彼女は、当時のことは殆ど記憶していないが、姉の祈る姿と自分の頬を伝うとめどなくあふれる涙の暖かさは今でも鮮明に記憶に残っていると語ってくれた。 その後も、彼女の病状は少し良くなった程度で小康状態を保っている程度であった。 ある時、姉の導きで彼女は『お運び行』を始めた。最初は何を聞いているのか判らない状態であったが、徐々にお話の内容も理解できるようになった。それと並行するように、躁うつ病も回復に向かった。 彼女がお運び行を通じて、最も大切と感じたのが『ご先祖への感謝』であった。 そして、彼女は完全に本来の自分を取り戻した。夫の家族と同居できるまでに回復した。静岡に帰ってからも彼女のお運びは続いた。 義父は諦めていた彼女の回復に驚き、彼女にお運び行の内容を質問した。義父はその内容を聞き、義父もお運びに参加するに至った。 そして、義父は自宅にご仏壇を構えご先祖を祭りたいと行動を起こした。彼はその昔、今の妻と駆け落ちし静岡に居住した関係でご先祖供養とは縁のない生活を送っていた。その妻も結婚前後も仏壇に手を合わせることの無い生活を送っていた。 彼女と義父は、義父の実家の菩提寺を訪れたが、すぐには判明しなかった。暫らくして、住職から前任の住職ならその内容がわかるかもと聞かされ、その人と会い大半のご先祖が判明した。(この少し後に、この住職は他界。運命の数奇さを感じたという。) 自宅に仏壇を構え祈る義父の姿を見て、義母も自然と手を合わせるようになった。不思議とすべてが幸福に向かって循環し始めた。 義母は彼女と義父の変わりように驚き、感嘆しお運び行を始めるに至った。 その後少しすると、新たなご先祖が次々と判明した。 92歳になる義母は、今でも欠かさず感謝祭に参加している。家族円満に幸せに暮らせるのは弁天さまの御蔭と礼拝も欠かさない。 以上、拙い表現で申し訳ありませんが、最後までお読みくださった方に感謝の意をささげます。 南無智弁尊女 |






