不思議と御蔭 「おんそらそばていえいそわか」

お陰を頂いた方は積極的にブログに書きましょう。 #弁天 #百日参り

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 その昔、よく上司(役員)に言われたこと・・・
 不幸になりたくなければ、宝くじを買うな。特に、1等賞が一億を超えるものは。
 高額当選した人は、一人を除いて皆不幸になっているからと。
 
 不幸にならなかった社員の女性は、3000万の当選で、そのお金で家を購入し、両親にプレゼントしたとのこと。
 
 さて、一億円以上当選した社員の末路は・・・・破産・離婚・体調不良による死亡など、それまでの幸せが、いとも簡単に崩れて行ったとのこと。
 
 徳という器の小さい人が、それよりも非常に大きなものを自分の器に詰め込もうとして、壊れていったのかも知れない・・・
 
 例えば、水が半分入っているコップに、水道の蛇口から少量の水を入れれば、コップを水で満たすことはできる。
 しかし、蛇口を目いっぱいあけると、その水は強い水流となり、コップに既に入っていた水を引き連れて出てゆく。そして、ほんの少しの水しか残らない。
 更に、もっと強い水圧の水をコップにぶつけると、コップ自体が破損してしまう。
 
 宝くじに当たり、なお且つ幸せでいるためには、自分自身の徳と言う器を大きくしておかなければならない。
 
 私の器は大きくない。だから、宝くじを買わない。
 
 
 
 
 
 

辯才天と辨財天の違い

辯才天辨財天の違いは、像の容姿からみると、辯才天 八臂像(持物=弓・箭・刀・矟・斧・長杵・鉄輪・羂索)・・・『金光明最勝王経 大辯才天女品』の所説に基づく像容に対して、辨財天 八臂像にして、頭上に老人面の白蛇=宇賀神を頂く。(持物=左―鉾・輪宝・弓・宝珠。右―剣・棒・鑰・箭)・・・『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』の所説に基づく像容となる。また、真言も異なる。辯才天(印度伝来の弁天さん=二臂・八臂)の真言は「おん そらそばていえい そわか」。これに対し、辨財天(日本式の宇賀弁天さん=八臂)の真言は、「おん うがや じゃやぎゃらべい そわか」(宇賀神王の勝れたる胎蔵[子宮]に帰依し奉る)と異なる。尚、『仏説最勝護国宇賀耶頓得如意宝珠陀羅尼経』(『仏説大弁財天経』の中の一つ)。赤字の読み=ウガヤ・トンドク通常、この経典は”弁財天”の異名とされる”宇賀神王”(宇賀神将ともいう)の神徳を説いたもので、これは印度伝来のものではなく、中世の日本で生まれた和経である。

松下幸之助は丁稚から立身出世した、昭和の時代の大成功者であるが、自伝にもそれ以前の幼少のことは記載されていない。彼は水道哲学を持論とし実践し、それに加え人を信じること・育成することに力を注ぎ成功者となった。

彼は和歌山県の出身で、父は江戸時代の庄屋の家系で大地主であった。よって、彼はなに不自由の無い生活を送っていた一人で有った。

しかし、突然の度重なる不幸が彼の家庭を襲う。父が米相場で大きな損失を出してしまうのである。更に追い討ちをかけるように農地解放令により、多くの土地を失ってしまう。

彼の家族は石を持って追われるように和歌山を去った。多分、言葉に言い表せない屈辱を幼少に受けたと推察される。だから、事業に成功し、一都道府県に一工場の目標を掲げながら和歌山県にだけは長らく向上を造らなかった。年老いて最後の最後に和歌山県に向上を造ったと推察される。

家族の生活は困窮し、彼は小学校を卒業し仕事に就かなければならなかった。

ここから後は、彼の自伝にあるように、血の小便を出しながら、肺炎を発生させながらも仕事に従事することとなる。

その後、彼は独立し松下電器を創設する。この頃に、大森智弁尊女と縁を結ばれる。その後の成功のヒストリーはあまたの書物を御覧ください。

哀れな人

春先の転勤で職場が変わった。前の職場は1名を除いては人柄の良い誠実な方ばかりで非常に精神的には良好なかたちで仕事ができ恵まれていた。

今度の職場は、その場が持っている空気が重く、なぜだか長く居ようと思わない雰囲気。

なぜだろうと感じつつも新しい仕事を覚える為に必死に仕事を覚える。先から居る人の男性社員は私が困っていても見てみぬ振りをする。自分の数字を作るのに精一杯の状態(一人当たりの標準量の1.5倍から2.0倍の仕事量)のなので仕方ないとはいえ、今までの職場では考えられない状況。

朝の挨拶すら、同じチーム内で十分になされていない。でも、私が大きな声で挨拶を始めたので少しずつあいつの輪が広がってきているのは少しうれしい。

私はたとえ職位が同じか下であっても、年長者には礼を尽くすべきだと考えているが、支店長・次長には、それが殆ど見受けられず、年長者に対しても罵詈雑言を大声で浴びせている。

彼らは自分の不手際には寛容で、部下の不手際には厳しい。部下には感謝の言葉がまったく無い。
不手際・未達成があると説教話は1時間から2時間続く、私も始めて経験したが、こちらが出来ていないことを認めても容易に許さない。なかなか次回からはよろしく頼むよの言葉が出てこない。人を苛めて楽しんでいる雰囲気さえ感じられる。
彼がよく口にするのは『人を信用するな。』と『私に信用される人間になりなさい。』である。いったいどういう価値観を持っているのだろうか?
職場の男女問わず彼を嫌悪している人間は多い。

だからといって、彼らには回りの社員が思っているような嫌悪感は感じない。ただ哀れと思う。

その結果を彼らは享受しているからである。
12ヶ月連続地区最下位の支店実績
支店長の妻は40代半ばで、脳動脈瘤を発生させ手術。
これについては、ある女子社員の言葉が胸に響く。『理不尽な要求ばかりし、細かい不手際についても徹底的に責任追及する。きっと、家庭でもそうしているんでしょ。だから、奥さんが脳動脈瘤になるんでしょ。』

中国の陰陽の考えに当てはめると、彼らは陽ばかりを追い求めているのではないか?
植物に例えると、樹木がより多くの光合成をするために、葉と幹の育成にエネルギーを割き、根には殆どエネルギーを割かない状態が彼らの状態である。そうなった植物は立ち枯れするしかない。

陽を極めると一旦は、すべてを破壊されなければ次の創造はなしえない。それをみんなに教える為に彼らは存在しているのか?とも思える。

とにかく、私は私の出来る範囲から少しずつ回りに働きかけし、職員が気持ちよく働ける職場作りをしたいと思う。安岡政篤先生の言う『一隅一灯』を実践するしかない。
『一隅一灯』・・・一人一人が持つともし火は小さいけれども、すべての人がそれを持てば大きな光となり世の中を明るく照らす。

大森智弁尊女の水の章25番から28番
流れは一滴の雫が寄り添ふてこそ生ずるなり 離るれば流れとは言わざるなり
人は人に寄り添ふて往く 離れては何人も成り立つまじ
水は慈悲で寄り添ふなり まことは寄り添ふ心なり
寄り添へば幅となり 流れとなるなり

1.宗教戦争の本質
宗教の違いによる紛争は遠い過去から続いている。まったく、ばかげているし、各々の宗教の本質を捻じ曲げている。

いったい、どこの聖人が、他人を苦しめる戦争を肯定しているのか?していないに決まっている。

ではなぜ、宗教の違いにより争いがおこっているのか? 答えは簡単である。宗教界の頂点に立つ人やその周辺の人々の欲によってもたらされているのである。

即ち、聖人が説いた内容を自分達に都合が良いように解釈したり、都合のよい表現のみをクローズアップして使用したりしているからである。我欲を持ってはいけない人々が、我欲に基づいて行動するからである。

 なぜ、聖人たちはその教えを書物にしなかったのか?
時代や価値観が変遷するなかで、自分が説く内容を都合のよい方向へ曲解されるのを恐れたからである。
よって、釈迦もキリストも書物をのこしていない。私が尊敬する王陽明もしかりである。彼らは心を伝えたかったのである。

『ひとを見て法を説け』=『時代・価値観をみて法を説け』と私は感じている。教えを書物にすれば、後世にそれを悪用する人々が出現を恐れていたのではないか。
 また、教えを書物にすると、真実や心が伝わりにくいと考えたからであろうか。

2.私の宗教観
私はすべての神は、その本質・根源は同一であるとあると思っている。
神は見る人・時代との波長により、違った形で見えたり感じたりするだけなのだと思う。
よって、キリストと釈迦のどちらの方が上位かという質問は愚問となる。根本は同じだからである。
世の中が乱れるとその時代の隙間に聖人が現れ、神の存在を示す。ただそれだけなのである。
私も智弁尊女の存在により神の存在を知るに至った。

私は『水』に縁の深い家系なので、弁天様とのご縁を頂いたのだと感じています。不思議なことに私の家の近しい親戚には水に関係する姓ばかりです。苗字に『井』・『谷』・『川』が入っている親戚が大半で、唯一入ってないのが父方だけですが、それでも水が無いと成立しない『田』です。

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