河津桜が早くも満開


プラザウェストの南側にある日当たりの良い所に植えられている河津桜が早くも満開だ。

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昨年このブログに同じ木の河津桜をアップしたのは、3月16日だったからおよそ1か月早い感じだ。

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2015.3.16の河津桜


昨年は若葉がもう少し大きくなっていたが、今日は3月下旬から4月上旬の陽気になるというから若葉も成長を早めるであろう。




ここの3階にあるパソコン室を使わせてもらっているが、この時期になると教室の来るのが楽しみなのだ。


桜の名を冠した区役所があるからなのか、敷地内には10数種100本ほどの桜が植えられ順次開花していくのだ。 

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十月桜

ソメイヨシノはまだ蕾が固いが、この花が咲きだすと身も心も落ち着きを失って来る。


果たして開花は例年通りなのか早まるのか、花見行事が入っているので気になる所だ。

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全日写連埼玉県本部主催の写真展に、仲間の作品が展示されているので見に行ってきた。


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ゴルフの仲間でもあるこの友人は何事も熱心で、それぞれに腕を上げているのだ。


昨年もこのコンテストで準特選に輝いている。


展示作品を撮らせてもらったが、自分の影が写り込んでしまいうまく撮れなかった。


未熟さをまたもや確認する羽目になってしまったのだ。


同じ写真クラブのもう一人の仲間は入選で展示されていた。


この男は昨年特選だった。


夫婦揃って展示されていたが、共通の趣味を持って一緒に活動できる羨ましい存在だ。


我が家では全く異なる趣味で別々に行動しているが、互いに元気でそれぞれが楽しんでいるのだから良しとしている。

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江戸東京博物館で開催中の日伊国交樹立150周年記念特別展を見てきた。


自画像(部分)絵葉書から


万能の天才と評され絵画や彫刻以外に解剖や空を飛ぶ研究をするなど、多方面に置ける活躍は認識していたが、フィレンツェからミラノに移る時には音楽家・軍事技師・建築家として売り込んだのだという。



今回の特別展でダ・ヴィンチの油彩画は「糸巻きの聖母」の1点のみだが、日本初公開でモナ・リザへつながる技法(スフマートなど)の絵画として注目されているのだそうだ。
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「糸巻きの聖母」絵葉書から

第一次ミラノ時代が終わり、第二次フィレンツェ時代に入ったレオナルド円熟期の作品。《糸巻きの聖母》は、《岩窟の聖母》、《最後の晩餐》、《聖母子と聖アンナ》、《モナ・リザ》に並び、高く評価され模写されてきたレオナルド5大テーマの1つで、イタリアだけでなく、フランス、スペイン、ネーデルラントにも普及し、多くのバリエーションが現存しています。(同特別展HPから)
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感情の表現に力を注いだようで、特に手の動きに重きを置いたとのこと。

聖母の右手の手のひらを下に向けているのは、大地のエネルギーを取り込み我が子を強く守ろうとする感情表現だという。

左はレオナルド派の画家が描いた同名の油彩画 絵葉書から

当時は同じ工房の弟子や後世の画家たちによりよく行われていたようである。

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右はレオナルドによる「手の研究」の素描
(同特別展HPから)


繊細な手の動きを描いた「手の研
究」や自然と直感と観察で描かれた「花の研究」などの真筆素描7点が展示されていた。





 
真筆の「鳥の飛翔に関する手稿」は、イラスト入りで細かい字でびっしりと書き込まれた研究ノートで、これも日本初公開だそうだが凄いとは思っても凡人の頭ではよくわからなかった。


音声ガイドで面白かったのは、レオナルドは人の面相を観察し陽気な人は唇や鼻、目のしわがはっきりしているとか、理性を欠いた人はパーツが大きく、デコボコしているなどと書き残したようだ。
どれほど当たっているかは知らない。 

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早くもミモザが


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昨日は3月の陽気となり、歩くと汗ばんだ。


打って変わって今日から再び真冬の陽気に戻り、今夜半には雪の予報も出ている。


18日のような雪にならないことを祈るばかりだ。


昨日歩いた道すがらに、早くもミモザが咲きだしていた。

(左は1月28日撮影)






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右の写真は同じ家のミモザで、昨年ブログにアップしたのは326日だった。


昨年は桜が咲くころになって冷え込んだ日が続き開花が遅れたことは確かだが、今年の開花が異常に早いことも間違いない。


桜の開花に合わせて41日にクラブ行事が組んであるが、桜が待ってくれるのか心配になってくる。

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始皇帝と大兵馬俑展


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東京国立博物館で開催中の展覧会を見てきた。


一時は中国に行って見たいと思っていたが、昨今の中国の国内事情で諦めていたので東京上野に行ったのだった。


およそ30年前訪れた中国は自動車などはエアコンのない連結バスやタクシーが走る程度で、自転車が幅を利かせPM2.5など無縁の状態だった。

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      上の写真は30年前の広州市街

会期が4か月の長期からか、予想していたよりこの日の入場者は少なく並ばずにすぐに入れた。


入場者のほとんどが高齢者だったが、平日だけがその理由とも思われなかった。音声ガイドは常に借りるようにしているが、今回が一番役立ったと思われた。

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ここのコーナーのみ撮影が許されていた。

 

日本が弥生時代に高度の金属加工技術を持って銅車馬を作ったり、中央集権の官僚制度を作り重さや量目の統一を図ったなど驚きの連続だった。

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1号銅馬車 前3世紀(1/2の大きさで作られている

いかに広大な国土の皇帝にしても陵墓のスケールも桁違いだ。


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それにしても、兵馬俑はモデルを基に作られたとのことで、それぞれが個性的で実にリアルに作られている。

右は将軍俑


これらは秦始皇帝陵博物院によるレプリカだそうだが、確かに土中に埋められたものを土から掘りあげて外国に移動させることは無理であろう。

 

国王の上の皇帝になり不老不死の仙薬を求めてもその願いは叶わず、広大な陵墓を作り兵団や軍馬などの俑を作って永遠の世界を夢見ても、始皇帝死後3年で秦は滅びてしまったのだという。



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左は陶製の屋根瓦に当てる物


デザインは竜と鹿と獲物を捕らえた虎


何事も作るのには多くの努力や年月を要して、壊れるのは容易いことで儚いものである。

 

この様な高度文明を持った国がその後の中国を見ると、権力闘争や民族闘争に明け暮れて文明の発展が阻害されたのではないかと思われてくる。


ところで、本館で公開されていた北斎の富嶽三十六景の内「凱風快晴」「神奈川沖浪裏」などは終っていた。残念(>_<)

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