スワローズ

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阪神に連勝。

東京ヤクルト9−6阪神(神宮)。勝ち。
勝ち 川島 4勝1敗 S 館山 3勝11敗5S
16安打9得点の猛攻。好調打線止まらず。

 いやー、勝ったねぇ。気持ちいい勝利だった。今年は阪神にコテンパンにやれているから、この阪神へ連勝は胸のすく思いがする。阪神ファンは悔しがっているだろうな。私は兵庫県尼崎市在住のスワローズファンなので、当然まわりは阪神ファンだらけであり、試合を見に行けるのも甲子園か京セラドームぐらい。いつも圧倒的な阪神ファンの中でスワローズの応援をしなければならない。そういう状況だから阪神ファンの応援風景をいつも苦々しく思っている(単なるひがみですが)。特に7回の阪神攻撃前のジェット風船を飛ばすのは(最近他球団でも行っているが)やめた方がいいと思っている。あれは試合の流れを完全に止めるものだ、グランドにもじゃんじゃん落ちている。それを球場の方が大慌てで拾っている様を見ると、プロ野球を見るファンのマナーとしていかがなものかといつも思ってしまう。だいたい球場の掲示板にも‘グランドへ物を投げ入れるな’とどの球場もあるはずである。いつか止めなければいけない日がくるはずだ。その点スワローズファンは傘を振り回すだけなのでかわいいものである。なかなか阪神に連勝するなんてことがなかったから、たまに連勝したときくらいこのぐらい書かして欲しいのだ。(阪神ファンのみなさん気を悪くしたらごめんなさい。悪気はありません。)

 さて、前置きが長くなってしまったが、やはり古田PMの引退・退団効果?というのだろうか、選手がなんとか勝ってやろうとう気がまえが前面に出ている感じがする。顔つきが良い。良い傾向だ。今日の試合は打撃陣さまさまの試合だったが、投手が打たれたら打線が奮起するしか勝つ手はない。1試合に逆転を2回もしてくれる打撃陣に今日は感激した。4回裏の同点打の宮本会長、逆転打の畠山君(彼は1回裏にも逆転打を打ってくれた)ナイスバッティングだったよ。

 やはりここまで来たら明日も当然勝ちたい。阪神も明日は必勝で挑んでくるだろう。しかし、今期の阪神戦でスワローズが味わった苦汁の味は、2連勝くらいでは収まらないのだ。もう一泡吹かせてやろうじゃないか!がんばれスワローズ!
 

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セス16勝目!

東京ヤクルト8−1阪神(神宮)。勝ち。
勝ち グライシンガー 16勝6敗
セス勝ち数単独トップ16勝目、ラミレス打点、安打数単独トップ、青木打率単独トップ。

 阪神には今日の試合の始まる前まで今期、5勝15敗と完全にカモにされている。しかし、今日の試合は苦手意識は少しもなかった。『のびのび野球』(高校野球みたいだが)という言葉がぴったりくるような肩の力が抜けた自然体の試合運びが出来た。今日はきもちのいい勝ち方ができた試合だった。

 先発のセスはさすがというほかない。決して絶好調ではなかったが、8回を投げ被安打8三振四球2失点1のナイスピッチングだった。セスにしては球が真ん中にあつまり、それを打たれ8本のヒットを許したが要所をしめ、関川君のHR1本の1失点に抑えた。ここ3試合ほどセスの得意のチェンジアップが打たれている。本来は真ん中の打ちやすいところから変化する球なのだが、変化が小さく痛打されているようだ。少し心配している。

 打線もよく打ったねぇ。12安打で8得点。送りバントあり、犠牲フライあり、盗塁、タイムリー、HRと抜け目がなかった。先制点は2裏のセスの左中間に抜けるタイムリー2塁打。これはよく打ったというか当たったというかラッキーであった。4回裏には2アウト満塁フルカウントから浩康が満塁走者一掃のライトオーバータイムリ2塁打、その後ラミレスが2ランHR。一挙5点の猛攻。きもちのいい点の取り方だ。

 一昨日勝てなかったうっぷん晴らしのゲームになった。まだまだ古田PMには勝ちの味を味あわせてあげたいと望む。がんばれスワローズ。最終戦まで勝ち続けろ。

PS:鈴木健選手が今期限りで引退を表明しました。今期の交流戦、松山球場での日ハム戦で打ったサヨナラヒットが思い浮かびます。西武、ヤクルトと長い間おつかれさまでした。鈴木健選手の今後のご活躍を願っております。

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 9月19日(水)今日古田PM引退・退団の正式記者発表が試合前にあった。昨日から分っていたことだがやはりさびしい。昨日のこのブログで古田PMに対する感謝の気持を書いたが、今日はいちスワローズファンとしての今の素直な気持を書いてみる。

 古田PM体制でスワローズが戦ったのは2年だった。あまりにも短い年数だ。前任の若松監督は7年間、その前の野村監督は9年間の長期政権がつづいていただけに、余計に短く思える。古田PMが今日の記者会見の中で流していた涙は‘悔し涙’に違いない。自分で思うことをどこまでチームで実現できたか疑問である。まだまだやり残していることが山積みだっただろうと思うと私も残念でしかたがない。

 この退団は本人が決断したことだ。フロントは監督専任での残留を希望していたのだ(引退についいてはフロントから打診があったと思うが)。チームの成績の不振が大きな理由だ。昨年は負け越し(70勝73敗3引分)ながら3位を確保したが、今期は現状最下位である(今期の成績の分析、来期への対策は全日程終了後に改めて書くことにする)。

 気になるのが古田監督とフロントがどこまで真剣に話し合い選手の補強なり育成なりを考えていたのかということだ。今期は投手力が弱いというのはシーズン前から分っていたことで、トライアウトで遠藤投手を獲得しただけでお茶を濁している。フロントも監督も今期の成績は優勝はしなくて良いと言っているようなものだ。計算していた投手もつぎつぎと怪我や不調で戦線離脱し、途中でシコースキーを獲得するも、投手陣の建て直しは出来なかった。今期のチームの不調の最大の原因はこの投手力だ。それで退団ということは予想以上に上手くいかなかったということなのか。

 古田PMが就任する際、スワローズファンもプロ野球ファンも選手兼任監督の誕生に沸いた。世間の流れもその方向に動いていた。当時のフロントも人気のある古田を兼任監督で起用すれば話題もあり客足も増えると計算していただろう。しかし古田にとっては自分の野球人生に汚点の残る2年間になってしまった。はっきり言って監督になるのが早すぎた。前若松監督は、2軍、1軍のコーチをやり、2軍監督を経験して監督に就任した。そういった前例があるにも関わらずフロントは監督に就任させた。急がず監督としての帝王学を学ばせてから監督の職を与えるべきだったのだろう。しかし、当時の世間の風潮は兼任監督誕生かという興味になびいていたのでフロントも逆らえなかったのだろう。何にしても監督を受けると決めたのは古田本人なのだから、今さらこんなこと書いても仕方ない。

 古田PM政権は途中で選手としての引退は当然あると思っていたが長期政権になるものだと勝手に思っていた。それが2年間で終わりである。チームの成績の不振は監督の責任である。それは間違いない。先にも書いたが本人が決断したことだ。ファンとしてもどうしようもない。ただ残念だ、悲しいというより他はない。しかしスワローズファンは18年間スワローズの顔だった古田がシーズンが終わったらスワローズから居なくなるという現実をまだ受け止められないのだ。

 一度外から野球を見た後、再度スワローズに戻ってきてくれることを切に願う。この2年間の苦労が無駄にならないように、監督としてスワローズに戻って来て欲しい。

 

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今日くらい勝ってよ。

東京ヤクルト5−6中日(神宮)。負け。
負け シコースキー 1敗
古田PM退団発表が本日ありました。悲しい日です。

 こんな日はたとえ最下位でも実力以上のがんばりを見たいものであったが、結果は実力通りだった。
打線は序盤で中日先発の朝倉君から5点を取るがそれ以降は中日のリリーフに抑えられる。

 先発は先日好投した石川君。だが今日は5回を投げ3失点、被安打10とヒット数のわりには点数は取られていないが、前の石川君に戻ってしまった。実力が良いほうで安定しないと来年の先発もまだ任せられない。心配だ。石川君が降板した時点では5−3で勝っていたが、やはりいつも通り中継ぎが点を取られる。7回表2失点で同点。9回表中村紀に逆転HRをシコースキーが打たれる。9回裏は岩瀬さんに抑えられゲームセット。

 なんとも、なんとも言えないやりきれない敗北感が神宮球場に漂う。スワローズの選手諸君、今日くらい勝ってやれよ。


祝:訪問者800名突破!ご訪問ありがとうございます。つたない文章ですがまたご訪問して下さい。・・・作者

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古田PM引退・退団

 シーズンがまだ終わっていない段階でこんなさびしい記事は書きたくないというのが本音だが、我が愛しきスワローズの一時代を築いた立役者の一人‘古田敦也’が退団するというニュースを聞き感謝の意を込めてここに記する。

 スワローズの80年代は弱小球団だった。1978年の球団創立初優勝を成し遂げた後は明らかに他球団と比べても選手の層が薄く万年Bクラス球団に陥っていた。しかし、80年代中から有望若手選手の入団が相次ぐ。84年に池山、85年に広澤、90年に古田が入団する。90年代の黄金時代の序章の始まりであった。
 
 90年に野村克也監督がスワローズに就任する。同年入団した古田は野村監督のお眼鏡にかない1年目からキャッチャーのレギュラーに抜擢される。そしてキャッチャー古田は92年、93年、95年、97年、2001年と5度のリーグ優勝と4度の日本一(92年以外)をスワローズとスワローズファンにもたらした。優勝から遠ざかり飢えていた全国のスワローズファンに夢と希望を与えたのだ。当然当時在籍していた監督・コーチはじめ選手全員の力があり優勝できたのだが、キャッチャー古田の力は他の選手以上に貢献していたと言える。古田がいなければ、ファンは優勝の美酒に酔えなかっただろうし、古田自身のプレー一つ一つにも歓喜の声を上げることは出来なかった。キャッチャー古田はスワローズ球団史上トップクラスの実力と成績と喜びをもたらしてくれた名選手であった。

 古田は日本球界で野村克也とならぶ名捕手である。頭脳的なリードと強肩は他球団をそうとう苦しめた。捕球から送球までの早い動作に強肩が合わさり、盗塁阻止率リーグ1位が9回、1993年と2000年には盗塁阻止率6割以上という驚異的な数字を残している。今でも思い出すのは、入団2年目の91年のオールスター第1戦で、パリーグの松永浩美、白井一幸、秋山幸二がそれぞれ盗塁を試みるも阻止し、3連続盗塁阻止が評価されMVPを受賞した。後にも先にも盗塁阻止でMVP受賞は古田だけである。

 同じく91年には落合博光と競り首位打者を獲得した。92年のオールスター戦第2戦ではオールスター史上初のサイクルヒットを記録しMVPを連続受賞。大舞台での勝負強さを見せ付けた。2005年4月24日の広島戦で2000本安打達成。捕手としては野村克也についで歴代2人目で、大学、社会人を経て入団した選手としては史上初の快挙であった。

 この他にも
MVP2回(93年、97年)
ベストナイン9回(91年〜93年、95年、97年、99年〜01年、04年)
ゴールデングラブ賞10回(90年〜93年、95年、97年、99年〜01年、04年)
正力松太郎賞1回(97年)
日本シリーズMVP2回(97年、01年)
など輝かしい成績を残している。

 また、プロ野球選手会会長としてストライキを決行し球団数減の危機を乗り越えた活躍はまだ記憶に新しい。

 06年から球団生え抜き選手として野村克也以来の選手兼任監督になりスワローズの指揮をとり、スワローズファンを喜ばしてくれた。06年は3位、07年はまだシーズン途中だが9月18日現在最下位である。

 古田敦也がプロ野球選手として歩んできた道は同時にスワローズファンにも大きな夢を見せてくれた。スワローズ球団の活躍に一喜一憂し、古田敦也の活躍に一喜一憂した。ここまでファンを喜ばせてくれてありがとう。本当にありがとう。引退・退団はさびしい限りだ。けれど古田敦也選手の活躍は忘れない。今後の貴殿のご活躍を心より願っております。

*参考資料 フリー百科辞典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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