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「山梨県に美味しいりんごの産地がある」
と言っても誰も信じてくれません。「山梨の果物」と言えばまず葡萄、次いで桃、あとはせいぜいがサクランボを思い出す程度でしょう。やはり、りんごは長野、青森に限るという人がほとんどです。
ところが、ところがです。両県産に勝とも劣らず美味しいりんごが採れる地区があります。
「日本百名山」の著者、深田久弥氏の終焉の地である茅ヶ岳の麓で長野県との境に位置する北杜市津金がそこです。りんごを栽培している農家は数少なく「幻のりんご」とさえ言う人もいます。
周囲を山に囲まれた盆地で標高は700m、寒暖の差が大きく日当たりにも恵まれ、山の傾斜地で水はけも良し。美味しいりんごが出来る条件が揃っています。品種は「ふじ」、「つがる」、「王林」などです。
赤岳を背に赤いりんごがたわわに実っています。
振り向けば甲斐駒ケ岳が望めます。
ここで毎年11月の第4日曜日に「りんご祭」が開かれます。第3日曜日は増穂の「ゆず祭り」。忙しいことです。
会場は明治、大正、昭和の3代にわたる校舎が残っている廃校となった小学校の跡地です。
これは明治時代に建てられた校舎です。木造の洋館という珍しい建築物です。
大正時代の校舎ですがどこか懐かしい感じがします。
昭和時代の校舎は改築されて観光施設になっています。地元の特産品の直売所やレストランなどがあり、名づけて「おいしい学校」。
「りんご祭り」では採れたてりんごが即売されています。
箱詰めだけでなくバラ売りもあります。5、6個入りで500円。小さくとも蜜がしっかりと入り、水々しく甘くて甘露、甘露でした。写真がなくてゴメンなさい。
モモちゃんがお気に入りのワンちゃんを見つけました。早速、近寄って「お友達になって・・・」
しかし、そっぽを向かれてショックです。「まあ、そう気を落とさずにね。何時かは素敵なワンちゃんに恵まれるよ」。
そんな心配はモモちゃんには必要ありません。すぐに忘れて、リードをしきりに引っ張って秋の深まる山里の散歩を催促していました。
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祭り・イベント
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甲府の東南、富士川から小さな渓谷を遡ること車で15分ほどでしょうか。南アルプスの山々に囲まれた山里があります。
町村合併で名前を富士川市に変えた増穂の「小室地区」
初日の出に「ダイヤモンド富士」が眺められるとあって「日出ずる里」と呼ばれています。ちょこんと山頂を覗かせた富士山です。
ダイヤモンド富士のポイントまではここからさらに車で30分ほど山に入ったところですが、地区のどこからでも富士山が眺められます。
畑の端や庭先にはあちこちで柚子の木が植えられている「ゆずの里」でもあります。
ここで毎年11月の第三日曜日に「ゆず祭り」が開かれます。会場は妙法寺の境内。お寺の由来によれば、693年に役行者によって真言宗の寺院として建立されました。鎌倉時代になって当時の住職が身延におられた日蓮と法論の末、日蓮宗に改宗したと言われています。
古刹です。山門は建て替えられたようですが立派な構えをしています。
ちょうど紅葉が見頃。シュロに絡まった蔦も赤く紅葉しています。
裏山の遊歩道から境内を見下ろすと紅葉越しに本堂の甍が日の光を浴びて銀色に輝いていました。
紅葉だけではなく「10月桜」も咲いています。残念ながr散り際のようで花はちらほらでした。
お目当てにしていた名物のつきたての「ゆず餅」を頬張りながら、冬至にゆず湯を楽しむためにお安いゆずを買い込み帰路につきました。
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真田一族の故郷、上田市の信濃国分寺の八日堂縁日に行ってきました。この縁日は毎年1月7、8日に開かれ、福だるまの市が立ち並び、招福除災のお守り「蘇民将来護符」が販売されます。
信濃国分寺は平将門の乱で消失したと伝えられ、その後、寺院跡の近くに地元の信者たちの手で室町時代初期に再建されたと言われています。お寺には室町時代に建てられた国重要文化財の三重塔が聳えています。
江戸時代に入り、お寺の境内で毎月八日に市が立ち農機具などが売られていました。近郷近在の人たちで賑わったことから「八日堂」と呼ばれ親しまれてきました。
今では毎年1月7日夜から8日朝にかけて無病息災、家内繁盛の読経が行われ10万人近い参詣者が訪れるそうです。
仙人は例によって朝寝坊。お寺に着いたのは午後3時ごろ。お日様が西の山に傾いていました。多くの屋台もそろそろ店仕舞いの時刻です。それでも本堂にはかなりの人たちがお参りしています。
本堂は江戸時代末期の建立で、ご本尊は薬師如来です。
本堂の両脇には蘇民将来の護符の授与所があります。遅くなったので護符も残りわずかです。
これがその護符です。ドロヤナギの木を六角形に手彫りして、「蘇民」「将来」『子孫」「人也」「大福」「長者」と手書きされています。高さは15センチ。右は昨年の護符で高さは9センチ。こちらは年間を通して手に入りますが、そのほかのサイズは八日縁日でしか授与されないそうです。もっと大きなものもありますがこの2種類しか残っていませんでした。
そもそも「蘇民将来」は全国各地に伝わる民間信仰です。
武塔神(スサノヲノミコト)が村の長者、巨旦(こたん)将来に一夜の宿を願ったところ冷たく断られてしまいました。しかし、巨旦の兄の蘇民は貧しいながらも暖かく迎えました。
再び蘇民の家を訪れた武塔神は軒先に茅の輪を吊るし、これを目印にして茅の輪のない巨旦一族を滅ぼしてしまったそうです。この説話を基にして蘇民将来の護符は「子孫繁栄」「無病息災」のお守りとして現代まで伝えられてきました。
蘇民信仰は備後国(広島県)が発祥の地とされていますが、もともとは朝鮮半島から伝わったと考えられています。護符もその土地によって違いがあります。八日堂のようなコケシ形から紐で吊るせるようにしたもの、紙札など色々だそうです。板に安部晴明が占いに使った星型、五芒星を記した護符もあります。民間信仰だからこそ土地土地で独自の伝わり方をしたのでしょう。
八日堂の境内では縁起物の熊手の屋台も追い込みに掛かっています。
2時間近く車に閉じ込められ、おまけに抱っこされての参拝でモモちゃんはご機嫌斜めです。道路の向かい側の国分寺遺跡公園で散歩してどうにか元気を取り戻しました。
しかし、家にたどり着いたらソファーで寝込んでしまいました。可哀想に。 |

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今日はちょっと足を延ばして甲府の南にある富士川町増穂に行きました。中央道双葉ジャンクションから「社会実験」というわけの分からない名目で無料化された中部横断道増穂インターへ。そこからさらに15分ほど小さな渓谷沿いの山道を車で走ると小室地区という山里があります。目的地はここです。
周囲を山に囲まれた静かな里です。
あちこちで柚子がたわわに実っています。この地域の人たちはこの柚子を特産品にしようと「ゆずの里」と呼んでいます。
山間の里をのんびりと歩いていると老夫婦が大根を掘っていました。沢庵漬けにするのでしょうか。お互いに助け合いながら黙々と作業を続けています。後ろには富士山と柚子畑。それにしても電線が邪魔ですなぁ。
ここからさらに山奥に入ると元旦の初日の出にダイヤモンド富士が見られる場所があります。一昨年、仙人も写真を撮りに出掛けました。日の出の4時間前の午前3時頃だというのにすでに車、車の列。1000人をはるかに超えると思われるカメラマンが一斉にカメラの砲列を作っていました。
残念ながら初日の出は9合目付近からでしたが、それでも太陽が顔をのぞかせた瞬間、シャッターを押すのも忘れ、思わず両手を合わせて拝んでいました。それほど神々しい光景です。そのときの写真はパソコンの操作を誤り消去されてしまいました。無念。
さらに歩き続けていると10月桜がまだ花を付けていました。後ろは紅葉。今は春なのか秋なのか。
おまけにこの日は小春日和というよりも、うららかな春そのものといった陽気でした。そのせいか、畑の脇に春の花のスミレ、ホトケノザが咲いていました。
頭が混乱しそうです。ほんとに季節が分からなくなりました。
ここに来た目的は毎年11月の第3日曜日に開かれている「ゆずの里祭り」です。
会場は古刹「徳栄山妙法寺」の境内です。柚子の即売はもちろん、柚子味噌、柚子うどん、柚子パン、柚子のプリンなど加工品が売られています。どれもお客さんの顔が大きく写ってしまうので写真はカット。
和太鼓の演奏も行われていました。これは遠景なので良しとしましょう。
駐車していた車のナンバーは「山梨」がほとんど。他府県ナンバーはちらほら見かける程度でした。近郷近在からのお客さんが多いのでしょう。それだけに派手さはありませんが親しみを覚えるお祭りです。
ここ4年間、毎年このお祭りに来ています。その真の狙いは突きたての柚子もちです。だから写真の掲載を許してもらいます。
柚子の皮のすりおろしとコクを出すためのピーナツに砂糖を加えただけの素朴なお餅です。もち米の粒もまだ残っています。
食べたとたんに柚子の香り。さらに甘みを抑えているためか物足りなさとそれでいてまた食べたくなる何とも言えない味わい。この柚子もちを食べたいがために通い続けているのです。
昨年はお昼過ぎに到着したために売り切れ。今年はそのリベンジでした。3個入りで300円。
なお、町のホームページによるとダイヤモンド富士は12月16日頃から見えるそうです。元旦はあまりもの人出なのでお正月前にでも行ってみようかなと考えています。
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