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1970/11/25・・・・・・ なんな日か憶えていますか・・・・ 1970年、私は高校二年生、新潟県の村上という城下町の県立高校生でした。 11月下旬の新潟県、日本海側の気候は冬と言っていい、その日は、みぞれこそ降っていないが曇り空の寒い日でした。 午後一番の、現国の時間、現国担当のM先生が血相を変えて飛び込んできた、 三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷総幹部を占拠し、アジ演説をぶっているhttp://jp.youtube.com/v/tzz1-ppIjOg一瞬、騒がしかった教室が震撼とた。 当時は、教室毎にテレビがあるというような時代ではなく、M先生の情報だけが・・・ 「潮騒」の三島が、立て籠もっている?!なんで?? たしかこの年の夏、三島が東大の安田講堂で全学連の学生と「殴り込み対話」をしている。 70年安保の、学生運動がピークに達した年だ。 この年; 02/19 成田空港第一次強制測量.反対派実力闘争. 03/14 日本万国博覧会,大阪千里で開催(〜9.13). 03/31 赤軍派学生9人,日航機よど号ハイジャック.4月亡命. 06/22 政府,日米安保条約の自動延長を声明. 06/23 全国で安保反対統一行動.77万人参加. 07/18 東京杉並の高校生,光化学スモッグで倒れる. 08/02 東京銀座などで歩行者天国実施. 08/09 静岡県田子の浦でヘドロ追放の抗議集会. 11/25 三島由紀夫と楯の会会員4人,東京の自衛隊東部方面総監部に乱入,三島ら2人割腹自殺.11/29 初の公害メーデー.82万人参加.12/15 北海道三井砂川鉱でガス爆発,死者・不明19人. 12/20 沖縄コザ市で大規模な反米騒動. こんな事が起こっていた。 高校生も、大学生に影響され、学園祭があれたり、70年安保共闘と称して、都会にはロックアウトする高校もみられた。 そんな時代である。高校生も、政治に敏感であったし、教師も熱血タイプの人が多かった。 授業中に、三島自決!のニュースが伝わる。「これ以降は、授業を休講する。みんな家に帰って、三島事件をテレビで観てよし」とM先生が宣言する。そんな時代だった・・・・ 11/25が「憂国忌」と呼ばれるようになったのは、三島自決後10年くらいたってからだと記憶している。
「憂色を滲ませ部屋に掛け来たる国語教師の説きし憂国」 阿奉『三島・楯の会 檄 全文』「三島 演説 全文」 この後、総監室にて自決・・・ |
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こんにちわ。11月25日が「憂国忌」というのは知りませんでした。今何故三島なのでしょうか?その言葉の響きからは、彼の精神を継承しようとの決意が感じられます。三島は自分自身の美学に殉じた、いわばナルシストという評価しか出来ません。彼には、大義に生き抜いて欲しかったと思います。しかし当時中学生だった私は、この事件から大きな影響を受けたのは事実です。
2006/11/23(木) 午後 9:16 [ zen*92*1* ]
福岡の憂国忌は筥崎宮で行われています。
2006/11/23(木) 午後 10:22 [ WASABI ]
おはようございます。その頃の私はノンポリの学生で、そのとき私はバイト中でした。誰かがその事件を話しているのを耳にして、全身が震えたことをよく覚えています。学生運動たけなわの時で勧誘の手から逃れるにも大変な時代。三島文学にも以前から傾倒していて、ことあるごとに青い文学論を戦わせていました。しかし、いつかみんな忘れてしまいました。憂国忌もみんな忘れていました。
2006/11/24(金) 午前 9:34
吉野山でも三島由紀夫「憂国忌」の鎮魂式典を毎年・・執り納めていますています
2006/11/24(金) 午後 0:55
衝撃的でした。その頃世田谷に住んでいました。三島には森田というわかものをみちずれにして欲しくなかった。
2006/11/24(金) 午後 6:29
ぜんさん、三島のナルシズムは彼の文学の原点でもあります。三島の「檄」にもあるように、自衛隊に体験入隊し、流行作家であったがために、自衛隊幹部から厚遇され、いつしかその自衛隊の擁護者にまで変身していった三島のある種の純粋さがこの事件を惹起させたのでしょう。三島自決後の政府・自衛隊の冷ややかな態度を観るに付け、三島は政治家ではなく芸術家だったのだなと思うわけです。
2006/11/24(金) 午後 7:34
わさびさん、そういえばこの「憂国忌」の看板、福岡の集いなんですね、今年もあるんでしょうね。
2006/11/24(金) 午後 7:36
Tanzawaさん、そうでしたか・・・私よりずっと先輩ですね。 川端康成がノーベル文学賞を取り、次は三島だと言われていたあの頃。 彼の中には、先を越されたと言う、焦りに似たものもあったのかも知れません。古来、大文学者は自ら命を絶つと言う文化が日本には会ったのでしょうか・・・
2006/11/24(金) 午後 7:41
soshinさん、はじめまして、コメントありがとうございました。三島が神格化されて行くのには若干の抵抗がありますが、三島は三島ですね。
2006/11/24(金) 午後 7:43
PARK先輩、当時、「楯の会」のパホーマンスは、色々な芸能雑誌でも紹介され、一種能狂言回しの様に世間では受け取られていたように感じます。日本刀を持って総監室に自由に出入りできた事に、当時の自衛隊幹部の脇の甘さを感ぜずにはいられません。
2006/11/24(金) 午後 7:48
その時私は都内の、とある喫茶店にいました。二ユースを聞いて客の一人が、バカモン、と叫びました。それ以来その一言が私の心にありました。もしその時、良くやった。と叫んでいたら、ああ良くやったんだと思っていたかも知れません、私の頭は単純ですから。古来、日本人の切腹は、立派なものとされ、三島にとって美学だったのでしようか。
2006/11/24(金) 午後 11:55 [ sat*90*16 ]
デジカメ007さん ひとそれぞれに、強烈な印象を残した事件でしたが、今の40歳より若い人達にとっては「伝説」の事件「歴史上」の出来事に風化しつつあります。
2006/11/25(土) 午後 7:48
70年のこの年は入学の年でもあり思想から行動に移った年でもありました。極左は三島を賛美し、私はそれを見てイデオロギー的行動に幻滅しました。「憂国」を叫び死ななければいけないと思う『私的』な何かがあったんだろうと思ってましたから。
2006/11/26(日) 午前 8:59
1970年といえば、私がまだ3歳のときです。三島由紀夫の割腹自殺は、成人した後、何かのTV番組の白黒映像で知りました。後の、浅間山荘事件で、鉄ボールが建物を壊している映像は、何故か、幼かった私の目に焼きついています。その後の、三菱重工ビル爆破のニュース・・不安で一杯になったことも覚えています。なるほど、憂うべき時代であったのですね。。
2006/11/26(日) 午後 9:11
こうの寅男先輩、そうですね、右翼的行為が、赤軍派や中核などの学生達に支持されるという不思議な時代でしたね。あの頃は、ベトナム戦争の遠征気分であめりかでもカルチェラタンでも過激な学生運動が跳梁跋扈していました。
2006/11/27(月) 午前 7:22
みっかおやじサンは3歳だったんですね・・・それでも、強烈な印象で残っているんですね。安田講堂、赤軍派妙義山事件、浅間山荘事件、三菱重工・ハザマ組ビル爆破事件、成田闘争、佐世保エンタープライズ闘争などが続きました。
2006/11/27(月) 午前 7:33
伝統技術で世界最強の日本刀のナノテクノロジーを抽出し先端技術を駆使して日立金属がS-MAGICという金型用鋼を開発した。これは韓国製鉄が出来ない優秀なハイテン(高張力鋼板)を切り裂いたり、曲げたりする金型に応用され自動車などが製造されている。この新素材は方法論としては世界最多の成分種添加による超多元系合金設計によって独自性能が盛り込まれた。こんなことが韓国では出来ないのは切れ味抜群の日本刀のものづくりには美しさと強さの源となっている日本のオリジナル技術がいっぱい詰まっているから。
2008/4/20(日) 午前 8:52 [ 東北大樹工業 ]