著者の 品川 嘉也(しながわ・よしや)先生(故人)は、京都大学医学部助教授・同文学部助教授を経て、日本医科大学教授,医学博士 と言う教養人。 趣味の俳句は四十五年,俳誌「雲雀」主宰。 主な著書に「脳とコンピュータ」(中公新書) 「バイオコンピュータ」(共立出版) 「意識と脳」(紀伊国屋) 「右脳俳句」(講談社文庫) 「気功の科学」(カッパサイエンス)等名数。先生は、京大理学部から医学部に転科し、医学部医局員の時代から、「京都コンピュータ学院」というところで、講師をしたいらっしゃたらしい。 「宇宙と俳句」 は、そのサイトへの寄稿文である。 品川先生の俳句観を垣間見るに値し、一読の値在りです。以下、抜粋させていただきます。叩かれて昼の蚊を吐く木魚かな話は変わるが,中国古来の養生法である気功の脳波を,私たちの研究室でとってみた。静功といって静かに立って僅かに手足を動かしているとき,脳波のパターンはめまぐるしく動いている。(中略) 宇宙と呑みこむ俳句「自分の中に宇宙がある」私は人間の意識とは,自分が宇宙の中にいることを意識するものであると考えている。哲学の言葉で論はほとんど反射型の文脈の中で語られている。つまり,自分で自分自身を意識するという考えと,何かに反射されて自分を意識するという考えの二つの立場に分かれる。 私の考えを分かりやすくいうと,まず自分の頭の中には宇宙が映っている。頭の中に映っている宇宙の中には,さらに自分が見えているはずである。その自分の頭の中にはまた宇宙が映って,その中にまた自分があるという反射的な関係が宇宙と自分の中に成り立っている。これが私の意識論である。それで宇宙の成り立ちから意識までが一貫して説明できるのではないかと考えている。 私たちが研究している気功の状態は何を作りだすのか。気功を行っている時の意識の状態は,自分と宇宙・自然との一体感である。瞑想やヨーガや座禅でも同じことがいえる。 日常的に自分が宇宙の中にいるという状態と,座禅などによる宇宙との一体感との違いは何に起因するのであろうか。自分の中に宇宙が,その宇宙の中に自分があるという意識は,最後には一点に集中する。一点に集中するのは安心な意識状態で,日常的にはそういう意識状態なのであろう。 では気功を行っているときの脳波はどうなっているのか。β波が右脳と左脳とに分かれて出てきて,右だけに行ったり左だけに行ったり,左右が分かれて活動している。しかも,その人の顔を見ても,話を聞いても,平静意識で,意識曚朧とか,意識がおかしくなっていることはない。この脳波は何を意味するのか。 脳は左右二つあり,それは別々に動くが,お互いに響き合っている。それによって両方にそれぞれ宇宙が映っていて,その二つの宇宙の中に二つの自己がある。両方の脳の中にそういう状態が現れてくると考えられる。つまり,焦点は一点に収束するのではなく,何処までも二つの対応関係が続くのである。「宇宙意識」に導く俳句俳句は二つの脳がそれぞれに宇宙を反映しているという意識論によく適合しているのである。右脳で景色を見て,左脳にある言語中枢を使って言葉を探す。ところが,景色を見ているというより,生理的学には見ているのであるが,景色を見ているのか景色に見られているのか,実のところよく分からない。自分と対象が一体になる状態があって,それが言葉になるのである。 滝の水三次元半の空を飛ぶ 良 夜自分が滝の水になったような右脳の景色と,それを何とか称賛の言葉にまとめようという左脳との響き合いが,自然との一体感を作ってくれるのであろう。 自然や宇宙との一体感を作り出す状態になることは,日常生活では難しい。気功は身体の動きに集中し,それを意識することで二つの脳の響き合う場所を作り出しているのえあろう。俳句も気功もともに,「宇宙意識」に導くものである。 |
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「バルトの楽園」(Baruto no Gakuen)家内と、シニア割引で観てきました話題の映画「バルトの楽園」(「がくえん」・「らくえん」掛詞ですね〜) 観てきました。お薦めします。学生さん!ドイツ語の勉強にもなります。収容所副官を演ずる 國村準 のドイツ語が特に優秀です。「バルトの楽園」は、第一次世界大戦中の徳島県鳴門市の板東俘虜収容所を舞台に、 軍人でありながら、生きる自由と平等の信念を貫き通した所長・松江豊寿(まつえとよひさ)の指導によって、ドイツ人捕虜たちが収容所員や地元民と交流を深め、 ベートーベン作曲の「交響曲第九番 歓喜の歌」を日本で初めて演奏したという奇跡的な実話をベースに描く感動大作です。主人公の松江豊寿は会津出身で、戦時中においても武士道を貫いた人です。 江戸末期の戊辰戦争において会津藩は、新政府軍に敗れます。 戦後においても会津の人々は、青森県の斗南藩への移住を命じられ、苛酷な環境の中、たくさんの人が飢えと寒さで病死しました。 明治に入ってからも数々の不遇を受けた会津ですが、こうした環境は、逆に多くの人物を輩出しました。陸軍少将の山川浩、東京帝国大学総長の山川健次郎、福島県初の陸軍大将となった柴五朗・・・。皆人格者としても知られています。「会津市HP」より抜粋] |

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