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長男夫婦の結婚披露宴の翌日は1月末に亡くなった母の納骨のため郷里村上に移動です。
一月末に、「粉雪や 父待つ空へ 母逝きぬ」 と言う追悼日記を書きました。
四九日法要はちょうど東日本大震災から2週間目にあたり、国内も騒然としていたし、何より計画停電、ガソリン不足、交通混乱などがあり母には申し訳ないが急遽納骨法要を延期いたしました。
お祝い事の直後に弔い事を行うのには多少ためらいもありましたが、山口から出てくる姉夫婦の便も考え、超遅ればせではありましたが、母の納骨を結婚披露宴の翌日にセットしました。
朝8時半に浦和を発ち、午後1時には菩提寺の村上市善澤寺に到着しました。高速道路1000円の恩恵にもギリギリ間に合いラッキーでした。
母が遺した切り絵です・・・
御 礼
梅雨の合間の好天が嬉しいこの頃ですが、皆様にはお健やかにお過ごしのこととお慶び申し上げます。
さて、当初は去る三月二六日を予定しておりました母 孝子(あつこ)の四九日納骨法要は、あの東日本大震災直後の交通混乱により延期せざるを得ず、先週六月一二日に郷里村上にて執り行わせて戴きました。
お忙しい中私達親族のほか、生前母がご厚誼戴きました皆様を含め、総勢一六名の方々にご会葬いただくこととなり遺族といたしまして心より御礼申し上げます。
母が山口在住の姉の元で他界いたしました一月二三日は小雪が舞う寒い日でした。
告別式が行われた同二六日も曇り空の中出棺の折粉雪が舞い降りて参りました。斎場で煙となって空に昇った時も雪が舞っておりました。
粉雪や父待つ空に母逝(ゆ)けり
告別の辞の際に詠んだ拙句です。
母の戒名「梅雪一春大姉」は姉眞理が母の人となりを山口市の曹洞宗の名刹、任平寺のご住職にお伝えし付けていただいたものです。
ここにも「雪」が出て参ります。また「梅」は本間家の家紋の「梅鉢」にも縁がありますし、生前華道を趣味とした母の好きだった花でもありました。
父 正が他界したのが昭和五四年三月五日。享年五八歳。初春のちょうど梅の季節でありました。
父の戒名が「智徳院義峰正純居士」。戒名でもなかなかお似合いの夫婦であります。母は享年八三歳でありましたが、若くして逝った父が驚かないように遺影は五〇代のものを姉が選びました。
天国で父と二人で春を謳歌してもらえたらとも思います。
郷里村上での納骨で少し驚いたのは、遺骨を骨壺のままお墓に納めるのではなく、会葬者が白木の箸で一つずつ墓に散骨していく習わしでした。
父の父母、つまり私の祖父母の代まで続いていた土葬の名残なのでしょうか。
最後の微粉になった遺骨を納めるのは私の役目でした。掃き降ろすと、また粉雪が舞っているように見えました。
粉雪や父待つ大地(つち)に戻りけり
四九日からは大幅に遅れましたが、ご厚誼いただいた皆様のお手をお借りして一四〇日目にして、父の遺骨と同化いたしました。
以上、ご報告申し上げます。
結びに、お通夜、告別式、そして納骨法要をとおしてご厚志賜りました皆様の益々のご健勝をお祈り申しあげ御礼の言葉といたします。
平成二三年六月一八日
長男 本間 正彰
長女 池田 眞理
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2011年06月28日
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