『構造工学の薦め』 〜「秋迎え 向日葵色を 還しけり」

識らないこと以外は何でも識っている 『薄学』 阿奉さんが語る自然界構造形態と人工の構造形態の類似性。還暦2歳!ブログ再開!

CAEオヤジの俳句論

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CAEオヤジ、高張敬基さんは60年安保世代の熱血オヤジ

その張さん(はりさん)が、俳句と、技術と、人生について蘊蓄を垂れる。

          http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/73/22/cafe_ps_design01/folder/962654/img_962654_14768461_0?20051022215451.jpg

ありがたく、ありがたく、お聞き下さい。

        現在の播さん
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http://yamato.kure-city.jp/

http://www.onomichi.ne.jp/~yamato/pano/360.html
http://www.kcn.ne.jp/~nabeck/toko.htm

海軍造船魂(毅然として 誇りをもって)
今日は戦艦大和の話しから始めます。つい最近、戦艦大和誕生という本を勧められました。
以前から読みたいと思っていた本でもあり、一気に読んだのですが、そこには大変懐かしい
大先輩諸兄がたくさん出ておられました。

そのなかで一番懐かしい方に木下共武技術小佐と渡辺英一技術大尉がいらっしゃいます。
ここで一言はっきり申し上げておきますが戦艦大和だから戦争賛美であると誤解されては
困ると言うことです。

技術とは本来人間の善なる行為なのです。それを如何使うかは、その時代の風潮です。
この今の時代の風潮にいささかの懸念を禁じ得ないのでこのシリーズをかいている訳です。
ご理解いただきたい!!

昔のことになりますが、ぼくがまだ二十歳代の頃、佐世保重工(旧海軍工廠)という造船会社に
いました。
木下さんが常務で渡辺さんが顧問でした。そして渡辺さんのもとでLNG船の開発に参加していた
ことがあります。

LNG 船とは超低温(−172 ℃)の液化天然ガスを運ぶ船で技術的にも非常に高いレベルが要求
されます。ぼくはその当時ようやっと実用化し始めた電算機を使ったFEM解析の担当でした。
この時、接触/大変形解析という多重非線型問題をやりました。
日本でも初めての解析でした。いくらやっても解が収斂しないで散々苦労しました。
この解析だけで3000万円使い、使い切っても答えが出なったときは本気でビルから飛び降りようと
おもいました。

この時、木下さんも渡辺さんも毅然としていてそれでいて思いやりのある大変暖かい方でした。
結果的にはアメリカまで出かけて解析をやりとうしました。
そして計算はプロトタイプ試験結果とよく一致しました。
最後までやりとうさせてくれた木下さん、渡辺さんには今でも心から感謝しています。
(先日、渡辺さんから10数年ブリで電話を頂きました。

電話の前で直立不動で2 時間お話を聴きました。大感激でした!!!!)
この佐世保時代、ヤッサンと言う、かっての潜水艦の設計技師の家に下宿していました。
ヤッサンはいつも炊き立ての飯にウイスキーをかけて食っていました。
 高張、お前もやれ!と勧められたのですが、とても食えたものではありませんが、断りきれずに
食いだすと不思議と食えるものです。

そんななかで聴いた話しに、潜水艦は耐圧試験のとき設計深度の2 倍以上は沈めるのが普通だそうで、
円筒の圧壊強度ぎりぎりになるそうです。

 下手すれば一瞬に崩壊します。崩壊強度近くなると、凄い音がするそうです。
しかし設計した以上は最後まで耐圧試験に立ち会わなければなりません。
造った以上は命がけで確かめる、これが造船の誇りだ、とおっしゃっていました。

ヤッサンが炊き立ての飯にウイスキーをかけて食う気持ちがなんとなく分るような気がしました。
この物造りに誇りを持つという気概が戦後も日本の造船業界には多く残っていていました。
それが世界一にしたのだ、と思っています。
<続く>

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若いころ座禅をしに禅寺に良く行ったものです。
若い頃ですからそれなりに悩みはあるものでそれに打ち勝つ為に自分を鍛える、
なんて考えて行ったものです。

女のこと、金のこと、仕事のつまずき、人間関係のゴタゴタ、無目的日々に対する苛立ち、
今の諸君とマッタク同じでした。

座禅とは座ることも含めてその前後の作法がきめこまかに決められています。
まず座ることから、飯を食うこと、風呂に入ること、顔を洗うこと、寝ること、糞をすること、
息をすること、すべてです。

すこしでも違えばどやしつけられます。つまり徹底的に自分をきめられた型に嵌め込むわけです。
初めはおっそろしく不合理なはなしだと思いました。
この型に嵌め込まれることによって自分が心身ともに凝縮されて行きます。
反発が出てきます。
初めに肉体的苦痛が来ます、それから精神的苦痛がきます。
妄想に近い想念が沸き散らかします。

この過程が大事です、(ここで逃げ出すヤツがけっこういます、フンタイへ後戻り!)
そして反省が出てきます。

鍛えるというよりいままでの自分を変える、ということに気がつきます。
いままでの自堕落で、怠惰で、無責任で、自己中心だったいままでの自分の生きざま
(もしかすると今のお主そのものではないか?)を変える、これを型を破るといいます。
これを自力でやるわけです。

本当は我々自身が自分で作った型(考え方、やり方、倫理、道徳、習慣、)に
日々嵌め込まれている場合が大半です。

先ず自覚していないから、誰も教えてくれなかったから、これをやぶるのは至難のワザです。
このため、すでにある型(禅寺の作法)に自分をはめこんでかたを破る必要があるわけです。
このように考えると、座禅とは実にすばらしい方法だとおもいます。
(いろんな禅寺でやってるから行ってみたらどうだ!フンタイ)

前回“フンタイ”という言葉を宿題にしましたが、糞袋(要するに糞をかかえて生きている袋です)
と書きます。禅の言葉で、よく禅道場の入り口の看板に書いてあります。

ただ食って糞をしているだけで、なあ〜んも反省しない人間のことを言います。
人間としてこの世に生を受けてフンタイのままでいいはずはないでしょ。
(分る?)自分の今までの型って何だろう、一度は考えてみよう、
そして思い切ってフンタイから脱しようではないか、諸君!!

もう一つ禅寺の坊主から聴いた言葉があります。
“この人だけにはアイすまぬ!”と言うような人をもたぬ人間は信用するな! と。

ぼくなどは本当にあいすまぬひとばかりです。お主、あいすまぬと思うひと何人いる!
だいぶ偉そうなことをたくさん言ったので 今日はここまで
注.あいすまぬ とは 申し訳ない! ということなり!!  高張敬基

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俳句と短歌と小説(発想の多様な展開と物造り)

今回は少し気分を変えて違った分野で考えてみましょう。
真、善、美/知、情、意/聞、思、修 と昔から良く言います。
これだけ聞いただけで俺には関係無いと思う諸君もいるかと思いますが、マア聴けフンタイ!
(この意味は次回詳しく述べます!どんな字があてはまるか、とりあえず考えておくといいでしょう)。
マッそうは言わずひとの言うことは聴けデス。なにがキッカケで人生変わるかも知れないぞ。ということ。

我々は技術屋だから、技術的観点からのみ考えていればいい仕事が出来ると思ったら大間違い!
我々の造っている物そのものは技術の塊のように思えるかも知れないが、物は使われてこそ
その本来の使命を達成するわけで、そこには多様な人たちが介在しているわけである。

 ジイサンもいれば、バアサンもいる、若いネエチャンもいれば、お主みたいな中途半端もいる。
(このぐらいのことは分るな!)そういう人達が自分の設計した、自分が造った機械や、プラントを
どう使ってくれるか、を考えるのが、技術屋の発想の原点である。

そういう普通の人達は普通に上に述べた九つの言葉を素直に受け入れているわけです。
真実で(ウソのない)、善いこと(人に優しい)、美しいものを、人はだれでも求めています。

それには知性を磨き、情けでつつみ、意志を持ってやりとおす、そして人の話しを良く聞き、
 深く思い反省し、身に修める、ということ。(まだ分るな!)

もう一つ言うと、人間を中心とした広く深いものの見方/洞察力(包容力と言ってもいい)
 がないといい物は造れないということ。(まだ大丈夫か!)

人生は 真、善、美/知、情、意/聞、思、修 これで行こう!
さて人は真、善、美 にめぐりあうと人は歌を詠みたくなる、人にその感動を伝えたくなる。
そこで俳句、短歌、小説(特に短編小説)ということになる。

  ここから先は多少余談になるが、まずは読むべし!(重要な余談かもしれない!!ぞ )

俳句は575 、17 文字、短歌は57577 、31 文字、
  これで言い足らなきゃダラダラかき出して小説ということになる。

  前も言ったようにダラダラ書くとウソがはいる。だから小説も短編がいい。
 我輩も17 文字すんでいるときは調子がいい、でもどうしてもアト77 欲しくなるときがよくある、
 捨て切れない思いが下77にでる。ウラミ、ツラミ、業が出る、喜怒哀楽がでる。

  それはそれでいい(人間だもの!!/相田みつおの世界だね、コリャ)
 問題はもっと何か言わないとすまない自分がいるということ。
 そんな自分を観ることができる自分を確立すること、これが大事だ。
 (この辺になると、お主ホトンドわかんねえのじゃないか、でも、マッ、イイカ、
 ここまで読んできたと言う事実は先ず褒めておく!!)


さて、ここで我輩の俳句的自伝短編小説を披露しよう。(学生時代の思い出である。)
柿若葉
「柿若葉 我が青春の 丘の上」 敬基

ぼくの遠い思いでのなかに一本の柿の木がある。
六月の初旬で、港から吹く風のなかで柿若葉が陽のなかで輝いている。
その柿の木の下でM女とぼくは丘の上から港を出ていく船をいつまでも眺めていた。
その晩、ぼくは長崎にいくため横浜を発った。ぼくは大きな船を造ってみたかった。
その為には長崎に行かなければならないと思っていた。
あれからもう35年近くなる。

先日、久しぶりに親友のI に会った。I とI の女房そしてM女とぼくはあの頃活動グループの
  一員だった。I がリーダーだった。

その頃のぼくは、貧乏学生だった。アルバイトに明け暮れる毎日で、食うのが精一杯だった。
  そんな生活のなかでも、いつも四人で活動していた。

“M女が亡くなったそうだな”
“そーか”
“なんだ、お前、知らなかったのか”
“うん”
“あの頃、おまえらいつも俳句の話をしていたな。 うちの女房に言はせればMちゃんと
   お前は一緒になるものだとばかり思っていたそうだ“
“そーか”
           ・ ・ ・ ・ ・
“彼女の卒論、俺が手伝っていたんだ”
“蕪村か”
“そーだ”
“そう言えば、家の女房が言ってたが、以前彼女の句が雑誌に載っていたそうだ、
こんな句だったそうだ“

 「忘れまじ 港の汽笛 柿若葉」 M女

今もぼくの記憶の片隅で丘の上の柿若葉は陽に輝いている。

ドウダ、マイッタか!! 諸君、“男は志を立てねばならない”
人生そう汚いことばかりではない、哀しくも美しいことは山ほどある。
  君にもあるはずだ、思い出してみよう。そこで貴兄も俳句の一つも作ってみようではないか。

柿若葉とは初夏の季語です。透きとうるような新鮮な緑です。
  陽に映えると哀しくなるほど鮮やかに輝きます。今日はこれまで。

  「柿若葉 我が青春の 丘の上」 敬基 〜 「忘れまじ 港の汽笛 柿若葉」 M女

画像は、http://blogs.yahoo.co.jp/takosen2005/7656732.html からお借りしました。 阿奉

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俳句、武士道そして技術屋魂/敬と恥

技術とは、公開されて多くの人からの建設的批判によってブラッシュアップされていくものです。
そのためには技術屋たるものは毅然としていなければなりません。
間違いは間違いでそれを認める勇気を持っていなければなりません。

自分の考えで、やったことにミスがあればそれを恥かしいと思う、いさぎよく反省して、それを次の仕事の糧/バネとする。指摘してくれた人に感謝する気持ち(敬)を持つ。
そういう精神的タフネスがいります。諸君、いいですか!!、言われる方だけが辛いのでは、ありません、言う方がもっと辛いのです。
この馬鹿、と思います、思っても放り出すわけにはいかないのです、これを糧にこの馬鹿(諸君のことです)を一人前に育てなければならないのです、オヤジは、先輩は、上司は。
もしな〜んも言われないで、両方 、アッソ、だったら両方馬鹿だね!! チレ、両方とも居ても無駄だ、チレ! です。

技術とは大きくみれば、自然が相手(神様と言ってもいいかも知れません)の仕事ですから、
壊れる時は壊れます、大事故になるときは大事故になります。手の打ちようのない事態になります、

神様は我々の言い訳(家庭の不和、昨夜の夜遊び、日頃の不勉強、怠惰、無気力)は聞いてくれません。ただ、日頃、誠意を尽くしていれば、道は必ず開けます。神様はそれほど人は悪くありません。ぼくはこの歳までこのような、ただ立ちすくむしかない事態を何度かやりました。ナンセ責任感は強いのですが、その分気も小さいもんで立ってなんか居られません。腰が抜けそうになります。、

でも我が内なる神がいつでも必ず言います “ハリ、そんなことでどうする、立て!!”と。
ぼくはこの時のことを今でも自分の心の勲章(誇り)にしています。諸君、神様は我々の中に生まれたときからいるのです。神様を育てるのは我われ自身なのです。わかる?今わかんなくても先に進む勇気だけは持とう!

衆智を集めると良く言います。最近の言葉で言うと、コンカレント・エンジニアリングですが、
衆智を集める、諸兄に知恵をだしてもらうには先ず自分の考え、意見を端的に堂々と背筋を伸ばして説明しなければいけません。

そして建設的批判に耐えるのです。昔、良く先輩から言われたものです。“お前の話はクドクドしい。
女のグチだ。言い訳が先にたつ。

見苦しい、もっと端的に言え!背筋を伸ばせ!!、馬鹿、下を見るな”、と。

TRY &ERROR &TRY 、これが技術屋魂です。物造りに関わる全てのひとの精神です。
魂です。失敗したら、間違っていたな、と思ったらもう一度やってみる、考えてみる。
以前、安岡先生の“孟子/敬と恥” を読んだことがあります。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9979365730
実にいい本です、毅然とする本です。皆さんも是非読んでください。

昔からぼくの好きな言葉に“男はタフでなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない!” (元東京電力会長の平岩外士さんの座右の銘だそうです、平岩さんは安岡先生に親炙されていたそうです)。

今の時代、武士道なんて言うといろいろ誤解、偏見が先に立ちますが、トンでもない話で、武士道の本質はこの言葉にあるとぼくは思っています。

恥を知る、卑怯な振る舞いはしない、恥ずかしいと思ったら人一倍努力して恩返しする、世の為、人の為、誠意を持って尽くす。

タフであるとは精神的タフネスのことです。

優しさとは、言葉の上の優しさではありません、行動としての優しさです。

前回、芭蕉の言葉で、舌頭に千転せよ!
といいました。何度もこの言葉を口に出して言ってみてください。
常に今の自分を省り観てください。
反省のないところに進歩はありません。まだまだ言いたいことは山ほどありますが今日はこれまで。

『「高く心に悟りて 俗に帰るべし」 芭蕉』 僕の好きな言葉です。 高張敬基

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     『 蝉は夏に生まれて、夏に死んでいくのですから、春も秋も知りません。
  もちろん、今が夏だということも知らずに、命のかぎり鳴いて、やがて死んでいきます。

          人間はそれを見て、哀れな虫であると思っています。
      しかし、そういう人間も、神経をすりへらしながら毎日働いて一生を終えていく、
         夏だけ生きている蝉と、どれほどの違いがあるのでしょうか。

        「人間である、あなたは何のため、この世に生れてきたのですか」
  こう尋ねられると、とたんに返事に困ります。

  そういう尋ねが聞こえてくるか否かということは、
  その人が浅く生きているのか、深く生きていこうとしているのか、
  その姿勢にかかっていると思います。 』


 今日は諸兄と、そしてぼくにとってもどうにも否定しようのない事実として
今自分が生きていると言うことについて考えてみたい。古来多くの人がこのことについて考えてきた。
我輩も諸君と一緒に考えることとしよう!!。

さて、今自分が生きている、と言うことは間違いなく我々に両親がいると言うことである。
と言うことは両親にも両親がいたと言うことである。この連鎖は限りなく続くことである。
否定しえない事実である。もし何代か前の両親が結婚しなかったか、子供を産まなかったか、
いわんや殺されたりしていたら今の君は存在しない、これも事実である。

 そしてこの話しは君の後に連綿と続く将来においても成立つわけである。
(分るな!!このぐらいのことは) 今の君がいるからこそ、これから何100年後にお主と同様な
糞袋的若者が人生を悩むワケだ。

 つまり君はこの悠久なる過去と未来の接点(まさに今!)に立っているわけでである。

さてここで、もう一つすごい事実がある。お主はオヤジとおふくろがナニをしたから
生まれたわけだが、ここから先はよく聴け!、おふくろが出す卵子は月一度一個だけである。
それにひきかえオヤジの出す精子はのべつまくなし億の単位で飛び散るワケだ。

 運良く子宮の中で出あった卵子と精子はどうなるか!
一つの卵子対して無数の精子が群がるわけだが、卵子の表面には硬いタンパク質の皮がある。
これをこの精子君達がよってたかって少しずつ食いちぎっていくわけである。
そして穴が開いた瞬間中に入れるのは原則として一個だけである、それがいまのお主である。

 これまた否定しようのない事実だ。残りの数億の精子は光をみないまま、只闇に消えてゆく
だけである。これをお釈迦様は無明と言った。恐ろしい世界だ。
お主、この無明に落ちなかった幸せを思え、自分がはいりこむ為に一緒に穴を開けてくれた
無数の兄弟のことを思え!!そして悠久なる過去と未来の接点に、今、自分が立っていることを思え!!

 そうすりゃ、今自分が生きていることがマサに奇跡的存在あることが分るはずだ。
そしてこの奇跡的 “今” を最善をつくして生き抜くけ。
このことを道元禅師は“無常迅速生死事大”と言っておられる。 

 諸君、ここのところがわかるか、わかんないか、1 Bit が勝負だ。
しかし、まあ、よくみるとわかんないヤツが山ほどいる。それはそれでいい、止めはしない。
それもそいつの人生。

 でも お主はわかるな!! そうすりゃ今のそんな自堕落な生活続けられるはずがない!!ドーダ!?

てなわけで、諸兄の生存の重さと出生の秘密を解き明かしたわけだが、我輩がこの事実に思いが
いたるキッカケをつくってくれたのもあのMチャンである。これまた学生時代のことである。

   「ネ!タカハリ君、 今、ガブリエル・マルセルと言うフランスの哲学者が来ているの、
     一緒に聴きにいかない!」

    「マルセル、聞いたことないな? と言いつつ我輩は有頂天だった、
                         Mちゃんが誘ってくれるとは!!!

「今フランスではサルトルとならんで 有名な哲学者で唯神論的弁証法と言うのを提唱してるの、
                 人間存在のなかにはアプリオリに神が存在するんだって 」

「神!? だって、サルトルの言う実存的唯物論的弁証法、が唯一の歴史的真理じゃないのか?」

なんて我輩とりあえずの体裁はとりつくろったものの、心の中はハチャメチャ大騒ぎで

  「行く、!イク、!いく!!!!!」 そしてこれがすべての始まりであった。

                              今日は これまで 張さん


 入間市に広瀬神社と言うのがある。昔、武蔵の国一の宮だったそうで、ここに樹齢800年と言う
おおけやきがある。
冬はすっからかんに葉を落として毅然としてそびえ立つ、夏は天を覆うばかりの緑陰をつくり
蝉シグレに溢れる。ぼくはよくこのけやきに会いにいく。

蝉時雨を聴きながらよく思います。鎌倉時代にも、江戸時代にも俺みたいなヤツがこの木の下にきて
何やかやくだらないことを一生懸命考えていたんだろうな、と。
できればソイツらとぜひ会ってみたいな、と。

「この緑陰 我が輩の夏 蝉時雨」 敬基

ヒグラシの蝉時雨(せみしぐれ)を実際に聴きたい方は、こちらをどうぞ 阿奉
http://www.nat-museum.sanda.hyogo.jp/wave/docs/higurasi.html
http://homepage2.nifty.com/saisho/Zikade.html

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