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上:高校2年の時の関西修学旅行 '''下:高校1年の「運動会」(大看板は「追い越し禁止」) 「村小」→「村中」→「村高」 小中高一貫教育??YATTOKO先生とよく言い合いあいます。「俺たちは、『小中高一貫教育』だったよな〜」7と2のつく日に「市」(いち)がたつ通称「市場通り」に北から順に、小学校、中学校、高等学校が並んでいました。 「お城山」から望む「村高」コの字型の木造2階建て校舎 この「新潟県立村上高等学校」(通称「村高」)は、体験歴史の古い学校で、その沿革は、旧村上藩の子弟を教育する「藩校」でありました。「村上高等学校」の沿革にこうあります・・・
本校は、維新後まもない明治12年に旧幕時代の藩校・藩学の伝統を受けついで発足した公立村上中学校を起源としている。公立とはいいながらこの学校の運営費の大半は三面川の鮭産育養所の収益金で賄われた。[ 三面川の鮭産育養所]の収益金、で学んだ明治の先輩たちは 「酒の子」と呼ばれて、村上人の誇りでした。 公立村上中学校は、政府の1県 1中学への方針転換もあってその後幾多の変遷を重ね、明治19年に私立村上本町校、同21年村上私学校と校名を変更、この間、地元有志による辛酸労苦の運動があり、明治33年(1900年)4月1日に県立学校(新発田中学校村上分校)が正式に発足した。従って、現在は創立107年、もうすぐ創立110周年を迎えます。 藩校からだと創立118年、もうすぐ創立120年なのです。 同年5月6日に県立学校としての開校式を挙行したことによってこの日を創立記念日と定め、本年で106周年と数えている。なお、明治35年4月1日に新発田本校から独立して新潟県立村上中学校、昭和23年学制改革により男女共学の新潟県立村上高等学校となって今日に至っている。 これまた「関西旅行」の記念写真(「京都御所」?) ★これが「二条城」だって、めーちゃんが教えてくれました ?H2> 村上高等学校校歌 藤原 紫朗 作詞 楠美恩三郎 作曲 一.豊栄昇る朝日子の 光はいよよ輝きて
真理を求めたゆみなき 我らが使命果しなむ 二.若き我らが活動の 舞台は今や開かれむ 安逸の夢をむさぼりて 栄華に酔わむ時ならず 三.平原百里ここにつき 連峰巍然天を摩し 北渺茫の海遠く シベリア嵐の吹くところ 四.三面川はとこしへに 清き流れの音高く 海府の浦は千仞の 崖に千歳の松青し 五.あヽ清冽のこの天地 浮華柔弱の濁りなく あヽ雄壮のこの山河 堅忍不抜のさとしあり 「藩校」の時代そして「旧制村上中学」の時代は、男子のみの学校でしたから、約7:3の男女比率だったと思います。私もテニス部でした。「秋しぐれていくままに光」
すみません、また一句です。合掌。
http://ksan.cocolog-nifty.com/inochinohuukou/images/0128.jpgともこさんから一句頂戴いたしました。ありがとう! |
私の城下町・村上
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私、阿奉さんは1952年(昭和27年)新潟県の県北の城下町『村上』(むらかみ)で産まれ、1971年(昭和46年)高校卒業とともに故郷を離れ、以来、東京・浦和に住んでおります。
馬齢を重ねて今年は55歳になりますが、住んでいた家も7年ほど前売り払い、「故郷」と言っても帰る場所は無く、父の墓が在るだけになってしまった今、少年時代を過ごした、私の城下町「村上」に、そこはかとない郷愁を覚えるのであります。

村上のシンボル「お城山(臥牛山)」から、私の卒業した頃の「村上高校」を望む
この書庫には、「私の城下町『村上」にまつわる記事をご紹介しようと思っています。
現在、村上では若手の商店主が中心になって「むらかみ町屋再生プロジェクト」が進行中です。
『むらかみ町屋再生プロジェクト』 『同 相互リンクHP紹介』
♪ 舞鶴われらに翼あり 平和の虹を掛懸けましや〜〜 ♪写真は中学2年生の時の修学旅行、阿奉さんは最後列に居ます。中学入学から、少しづつスポーツに目覚めました。軟式テニス部(今の「ソフトテニス」)に入り、中学3年の時は、下越地区で団体優勝しました。男女総合優勝でした。みんなオジサン・オバサンになってるんだな〜・・・ テニスコートの後ろに見えるのが、村上小学校です。 当時の「村中」(村上中学校)の名物行事は、秋の運動会でした。中学にはグランドがなく、徒歩で10分ほどの市営グランド(公式の全集2周グランド)まで、出かけて、各学年、クラス毎に、皆で造った高さ3m幅5m位の看板に思い思いの絵を描いて応援するのです。クラス対抗です。テニス部の行進です。(2年生の時) これは、3年生の時のリレー、俊足で下越地方で一番をとった阿奉さん 後期の生徒会で生徒会長でもありました。 阿奉さんの隣は、「書記長」だったYATTOKO先生 |
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新潟県村上市立村上小学校 S40年の卒業写真 昭和30年代の北国、新潟県村上は、毎年殆ど「根雪」になり、卒業式の頃は未だ雪が残っており、表日本の卒業の頃のシンボル桜は咲いておりません。これは今でもそうでしょう。(今年は暖冬だったからどうかな・・・・・)その小学校の卒業式には、用務員のオジサンが、用務員室の大釜の側に、桜の枝を切って、たぶん二月の末頃から、用務員室の湯気の熱気の環境の中で、丁度卒業式に間に合うように、丹精して育ててくれた満開の桜の花が添えられるのが常でした。http://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_gold/hibiyakadan/item-image/general/th807.jpg村上小学校は 明治6年(1873)創立の、創立134年という、超伝統校で・・・・ 沿革にこうあります・・・・ 明治 6年(1873) 村上校・大町校・上片町校が、相前後して開校される。 明治20年(1887) 村上校は尋常科村上小学校(本町学校)、大町校は上片町校を合併し 旧校舎地に尋常科村上町小学校(町学校)と改称される。 以来60数年間、二校は当地の師弟教育に努める。 昭和16年(1941) 国民学校令により、村上本町国民学校・村上町国民学校と改称される。 昭和22年(1947) 村上本町校・村上町校の両校が統合し、新制度による村上町立村上小学校 となる。 昭和29年(1954) 市制施行により村上市立村上小学校と校名を改称する。 昭和39年(1964) 創立90周年記念式典を挙行し、校旗・校章・校歌が樹立される。 http://www.iwafune.ne.jp/~maizuru/other/ayumi/2003-54.jpg その頃の、村上小学校
明治初期にできた「伝統ある教育目標」です。
人のお世話にならぬよう人のお世話をするようそして むくいをもとめぬよう |






