情報技術基礎・電気実習2
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私は工業高校で「情報技術」を教えていますが、専門は建築学、それも構造工学を専門としています。「建築構造」と聞けば皆さんは数年前の「姉歯事件」を思い出すかもしれません。 建築物は自然界の様々な力(建物の自重、その建物に据え付けられる機械や建具、そこで生活する人々達の体重、荷物などの加重、地震力、建物に吹き付ける風加重、雪加重、等々)に耐えて、そこで活動する人々や機械類を安全に守る強度を持っていなければなりません。 その建築物の強度を設計するのが「建築構造設計」です。私はその専門家として、1979年〜2005年までプラントの土建設計担当のエンジニアとして仕事をしてきました。 私がコンピュータと出会ったのは大学2年の時、1973年です。当時は「電子計算機」と言っていました。大型汎用機を使って、マトリックス法(有限要素法:FEM)という、当時の最先端技術を学ぶために故半谷裕彦先生(東京大学生産技術研究所名誉教授)に師事しました。 大学院2年の時には、万博のお祭り広場の解体工事に参加する機会を得ました。
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大学に入った1972年の秋に、「答え一発 カシオミニ」というキャッチフレーズで、一世を風靡した、カシオ計算機の「カシオミニ」が発売された。¥12,800位だったと思う。当時の大学の年間授業料が28万円であったと思う、その頃の¥12,800である。答え一発!カシオ・ミニLSIの恩恵を受け、前出の「電子ソロバン」や「てのひらこんぴゅうたぁ」といった ミニサイズ電卓が次々と開発された1970年代初頭。市場への影響は大きなものだったが、 メーカー各社は依然として手軽に買える価格を実現できずにいた。 競争の焦点が技術から価格へと移行していったのは、ごく自然な流れであろう。 そんな中でマーケットに一大旋風を巻き起こしたのが、1972(昭和47)年の『カシオミニ』誕生 である。サイズは、その頃主流であった電卓の4分の1以下。さらに価格は3分の1以下の1万2800円 まで下げ、ライバルのメーカー陣に衝撃を与えた。 『カシオミニ』は爆発的にヒットし、発売後10ヶ月で100万台、累計で1000万台を販売。 電卓の歴史においては、多くのメーカーが市場から撤退するほどの一大事として記憶されている。「カシオ計算機のHP」から引用 http://www.dentaku-museum.com/calc/calculator/casiomini/mini/mini-3.jpg `内部は、こうなっていた・・今から観ると単純''' その翌年か翌々年、「関数電卓」「シャープの『ピタゴラス』が発売された、確か3万円弱の値段だった。これがあれば、計算尺も、ソロバンも、吉田の「数表」もいらない。一所懸命バイトして、買った。思えば、この1970年代に、「電卓」のLSIが集積度を高め、「液晶」「プリント基盤」といった周辺技術は急激に発達し、われわれ理科系の学生は、格段に勉強が楽になったのである。この頃の、大学での定期試験には『電卓持ち込み可』とか「電卓持ち込み不可」とい条件がつくことになり、特に、高学年になると「プログラミング機能付きの『関数電卓』の持ち込みの可、不可は厳密であった。この頃の、学生の答案に『先生!電卓の電池が切れたので答えを書けません』といったのがあった、とは後年、先生方から聞いた有名な逸話である。 |






