『構造工学の薦め』 〜「秋迎え 向日葵色を 還しけり」

識らないこと以外は何でも識っている 『薄学』 阿奉さんが語る自然界構造形態と人工の構造形態の類似性。還暦2歳!ブログ再開!

阿奉燦青春グラフィティ

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’60年代後半〜’70年代。高度成長期と呼ばれた時代。

http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/a7/6e/srfch485/folder/555223/img_555223_24846048_0?20060207095017.jpg

「団塊の世代」を身近な先輩に控え、「戦争を知らない子供達」世代として。Beatlesに音楽の楽しさを教えられ、ベンチャーズや加山雄三にエレキギターのかっこよさを教えられ、PPMやサイモン&ガーファンクルをまねてフォークギターを弾いたあの時代


ベトナム戦争に反発し、「70年安保」の大学ロックアウト、「タテカン」を横目に、「深夜放送」を聞きながら、夜通し議論したあの頃・・

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70年代の懐メロ


先週の土曜日、8/12(土) NHKの「想い出のメロディー」ご覧になりましたか?


   司会の秋吉久美子・・・ 可憐でちょっと小生意気な少女でしたが・・・年相応に美しい?ですね
       http://jp.youtube.com/v/zf5r3Tq4IBo
   太田裕美・・・・・・ 9月の雨(September Rain)昔のママでしたね。
   加山雄三と星由里子・・ あいかわらず若大将はカッコ良いですね・・・・・
   由美かおり・金井克子・奈美悦子・・・・・由美かおさん 素敵ですね(年上です)
   宇宙戦艦ヤマト!・・・・ 郵送で良いですね
   ベッティ&クリス・・・・ クリスさんは出演出来ませんでしたが昔のママですね
   大信田礼子・・・・・・ 「同棲時代」流行りましたね

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今日3月5日は、亡父の命日です。

昭和54年の今日の、午前二時頃、半年間の闘病の末、息を引き取りました。58歳でした。

 当時、父は私の郷里、新潟県の最北端の城下町、村上市の中学校の校長でした。
 父は体躯の良い、頑丈な人でした、少なくとも私が子供の頃はそう見えました。

 父の発症を知ったのは、その前の年の昭和53年の夏、博士課程への
 進学を心に秘め修士論文の纏に没頭していた大学の研究室に掛かって来た、
 母のただならないせっぱ詰まった電話でした。
 「お父ちゃんが急に入院することになった、急いで帰ってきなさい」
 とるものもとりあえず、入院先の県立S病院に着いたのは夜の九時を回っていた。

  病院の玄関で母が待っていた。
 「あなたたちのお父ちゃんを・・こんな状態になるまで気付かずにごめんなさい・・」

 直腸ガンの末期だった.。春先から下血があったようだが、「痔主」であった父の
 「仕事が忙しいので、病院にはいかない」という言葉を真に受けていた結果だと言う。

 緊急手術を施したが、手が付けられない程転移していたとのことで、取り敢えずの
 処置をして閉じたと言う。半年の寿命宣告を担当医から母と一緒に受けた。
 父は、いったん回復の兆しを見せ、秋口に学校に復帰した。父には、本当の事は伏せておいた。

 翌年、昭和54年の正月は、父母私の水入らずの正月だった。
 父の体がだんだん小さくなって行くのが悲しかった。延命の治療はして貰わなかったので
 みるみる父は年老いていった。
 二月の初旬、修士論文を書き終え、父に見せるために戻った。修士論文の表紙を
 毛筆で父に書いて貰った。「未定境界領域を持つ弾性接触問題の解析と実験」
 そして父は、再入院した。
 修士論文審査を無事終え、二月の末、帰省した。ホンの数週間しか経って居ないのに
 父は病床で、眠っていた。八十歳位に見えた。

 母は、父の病状を私と姉以外には誰にも話していなかった。
 父は、勤務先の中学校の卒業式の事を気にしていた。
 か細い声で、私に父は「卒業式式辞」を書き取るように言った。
 私は、それを必死に書き取った。三月二日だった。
 そしてその原稿を、お見舞いに見えた教頭先生に託した。
 雛祭りの三月三日、伯父を家に呼んで、父の本当の病状を話した。
 母は、看病で病院に付きっきりだった.。

 三月四日、いよいよ危篤状態と担当医に言われ、父の長兄、次兄、姉二人を病院に連れて行った。
 父はかすかに微笑んだ。

 そして、三月五日、母と私と、長兄次兄に見守られて、他界した。不思議と涙は出なかった。

最後の式辞・・・当時の書き写しがここにある。


『式辞』

 春の陽ざしをを感ずる今日このごろであります。今、ここに、市長さん始め来賓各位ならびに御父兄多数のご臨席をえて、村上市立第一中学校第九回の卒業授与式を厳粛に行うことのできますことに誠に喜びにたえません。ご臨席の各位に厚く御礼申し上げます。

 卒業生の諸君、いよいよ、卒業の日がまいりました。二百九十六名卒業生の諸君とご両親に心からお祝い申し上げたいと思います。諸君は今、中学校生活三カ年をふりかえり、巣立つもの誰もが味わう回顧、展望、期待、不安そして喜びと哀愁、さまざまな想いが、その胸中を駆けめぐっていると思います。

 卒業生諸君、諸君が今、手にした卒業証書について考えてみたいと思います。証書には、諸君出生の歴史が記されていまあります。氏名、生年月日がそれであります。本文には中学三カ年の勉学の足跡の証明があります。校長名と証書番号とは諸君が第一中学校の同窓であり、歴史を負う一員となった証でもあります。

また諸君が、この証書を手にするために、諸君の勉学を支えてくださった市当局、地域住民、父母、学校の職員、そして共に学んだ友人の限りない尽力の賜物でもあります。

さて諸君、諸君は今不況の中、自ら選んだ職場へ、そして将来自らの道を開くべく、進学を志し、受験の日を目前に控えております。厳しく、そして新しいスタートにたっております。

 諸君、この晴れの門出にあたって、私は「誠実に生きよう」と呼びかけて、餞としたいと思います。誠実に生きるとは、いったいどのように生きることでしょうか。私は次のように考えております。

一 誠実に生きることは、自分の力の限りを尽くして生きることであります。

一 誠実とは、どこまでも信用を尊ぶことであります。

一 誠実に生きるとは、良心の声に耳を傾け、その声に従い行動することであります。

一 そして誠実とは、勇気をもって、信念を貫くことであります。

 個人のもつ能力には、それぞれの個人差があります。これは、先天的なものであると言われております。でも、その能力を十分に発揮するか、否かは、全力を尽くすか否かに、かかっています。このことは、あまりにも。明々白々なことであります。

 人間が社会生活を営む根底にあるものは、人間相互に信用しあうことであります。今日の社会に見受けられる醜さや、歪みは、人間の心に宿る不信感のなせるものであると、私は考えております。

また、これらの醜さや歪みは、誰もが持つ良心の声に耳をかさず、それらの責めを全て他人に転嫁して、自ら省みないところにあるように、私は思います。静かに考えて見たいと思います。

 流行や、社会のムードに押し流されて、自己を失った、自主性のない生活を送っていないでしょうか。自らを反省してみたいと思います。自らの判断で、その判断に従って正しく行動する。真の意味での自主性を、身に付けてほしいと思います。

 諸君は、若くて、逞しい。若人の生命は、未来にある。明るく、正しく、美しく、そして、たくましく常に前進する誇り高き若人になるように努めてほしいと思います。

 ステージに目を転じて下さい。これらは、諸君の努力と、汗と涙の結晶でもあります。諸君が綴った歴史であり、第一中学校の歴史でもあります。若い命と情熱を燃やした各部の練習と大会。「技と気力で勝利をつかめ」をスローガンとして、生徒の手によって、立派に成し遂げた大運動会。

「閑かさの中に真の美を」をテーマにして開催された文化祭。これらについては、舞鶴十七号に「生徒の活動に拍手を」に記しておきました。このような数々の事例は、諸君の残した足跡であり、後輩への何物にも代え難い贈り物でもあります。

村上第一中学校の歴史に、このような輝かしい光を添えて、この学び舎を去る卒業生諸君、ありがとう。そして、さようなら。ご健康で、前途に幸多かれと祈ります。

 このような生徒の活動をいろいろな面から、支えて下さった各方面の方々に厚く御礼申し上げたいと存じます。

 私は病床にあるため、晴れの卒業式に出席できないことをお詫び申し上げ、式辞とします。

昭和54年3月14日        村上市立村上第一中学校 校長 本間 正


読み返してみると、これは私にとっての餞の言葉のように想える。

 知らず知らずに、父の言いつけを守って、ここまで生きてきた。私は今年54歳なる。

   一、 誠実に生きることは、自分の力の限りを尽くして生きることであります。
   一、 誠実とは、どこまでも信用を尊ぶことであります。
   一、 誠実に生きるとは、良心の声に耳を傾け、その声に従い行動することであります。
   一、 そして誠実とは、勇気をもって、信念を貫くことであります。

父の」学校卒業式は、3月14日に行われた。その日、私と山口に嫁いでいた姉がその卒業式に参列した。父兄席の後ろの方で、式を見ていた。

式の終わりに、「翼を下さい」を全員合唱した。

        http://jp.youtube.com/v/svfl8fuzYDw
      夏井さんの心のこもったお言葉を戴いて、父もさぞ喜んでいるでしょう。今日の記念に赤い鳥の「翼を下さい」の映像を追加いたしました。合掌。2008/5/8
               ♪→「翼を下さい]

越後村上藩の山城は「舞鶴城」と呼ばれている。

越後村上「舞鶴城」


私事の、長文をお読みいただきありがとうございました。合掌

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阿奉さんのスキー歴

    子供の頃は、たいてい根雪になった。
    市内の真ん中にある、通称「お城山」(臥牛山)の山道、「七曲がり」が悪童どもの
    スキー場になった。
    身長を遙かに超える山スキーに、ゴム長を革のバッケンで留めるもので滑った。
          http://jp.youtube.com/v/wrcOG-q_OW8
          「なごり雪」 南こうせつ
    始めて、革のスキー靴を叔父に貰い、本当のスキーを買ったのが中学2年の時
    革のスキー靴(今では無いだろう)を、「カンダーハ」と呼ばれる留め金具で
    固定するもので、踵が上がらないのに手こずった。
    その格好で、「お城山」やそれより急な神社の石階段に積もった雪の上を滑った。
    まるでジャンプ台の様だった。
♪「小さな日記」原田晴子 作詞 落合和徳 作曲 フォーセインツ唄 高校生の頃の悲しい雪山の歌デス

    始めて行った本物のスキー場は山形県米沢の「天元台スキー場」
    雪国新潟でも、北のはずれの街だったので、米坂線で米沢の方が近かった。
    雪質の良さと、広大なゲレンデに圧倒された。
♪「虹と雪のバラード」阿邨文一郎 作詞 村井邦彦 作曲 札幌オリンピックのテーマ曲

    大学に入って、建築の構造系の研究室に入った時、先輩に福島「猪苗代」出身の
    HFサンがいた。大学の山荘が八方尾根にあり、その山小屋が、建築学科の先輩達が
    実習で建てた山小屋であった。
    そんな関係で、後期試験が終わると、その先輩と、院生仲間数人で、その山小屋に
    長期滞在した。殆ど「居候」状態で、その山荘から、スキー所内のパトロール用の
    スノーモービルでスキー場に「出勤」し、パトロールの腕章を借りル事ができれば
    リフトも殆どロハて乗れた。
♪「真冬の帰り道」水島哲 作詞 喜多嶋修作 作曲 これも冬の懐メロ

    大学主催の「オーストリアン・スキー教室」に入り、我流のガッツスキーを、
    少し改善したが、やはりガッツスキーだった。
    天気のいい日には、リフトの終点から、黒菱、第三ケルンまでスキーを担いで登り
    下まで一気に滑り降りる「大滑降」を愉しんだ。
♪「雪が降る日に」(1972)作詞/伊勢正三 作曲/南こうせつ 歌/かぐや姫

    このころ行った他のスキー場は、「栂池」「乗鞍」「天神平」「苗場」「かぐら・みつまた」
    「日光湯本」「赤城」等々
  
    社会人になってからは、雪の便りを聞くと、会社を理由を付けてサボって
    「天神平」「軽井沢プリンス」「苗場プリンス」「車山」などに行った。
    このころ買ったHONDAの初代CIVICが懐かしい。
    このころは、国鉄が良くストライキをやっていて、朝の7時までにストライキ解除になれば
    会社は休みとなった。そんな機会を逃さずにスキーにはせ参じたが、
    ある時、見越しのスト断行が途中で解除となり、やりかけの仕事もあり、泣く泣く
    Uターンで会社に戻された事もあった。
    北海道に始めてスキーに行ったのが、会社にスキー部を創って初代部長になった頃、
    気の合った仲間四人で、「富良野」「手稲」「札幌オリンピア」などで、本物の
    アスピリンスノーを愉しんだ。

30になるまで、冬と言えば、スキー三昧だった。

♪「旅人よ」(昭和40年)岩谷時子作詞 弾厚作作曲 加山雄三唄 なぜか冬になるとカラオケで歌いたくなる唄

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感動!!映画「ALLWAYS 三丁目の夕日」

昨日、観たかった『ALWAYS 三丁目の夕日』ついに観ました。

映画公式サイト

そう、あの頃はそうだった・・・不覚にも、涙が出てきしまいました。

日本中、そんなに裕福ではなかったけれど、活き活きと生きていた時代でした。テレビを近所の人と一緒に観、電化製品を買う事に大喜びし・・年に一度のクリスマスケーキが楽しみだった、あの頃・・

   私、阿奉さんが産まれたのは、昭和27年7月、妻が産まれたのが昭和32年12月。
   私は、新潟県の経県北の城下町、村上で・・・
   妻は、東京都練馬区・・・
   このドラマの時代、昭和33年当時、私は6歳、妻は1歳・・・
   でも、世の中はこんな風だった・・・
   私が始めて東京に遊びに来たのが、小学校3年生位だから・・昭和36年?
   上野駅はこの映画の様だった・・・
   東京タワーに登ったっけ・・・(東京タワーはその後中学3年の修学旅行で登った以降
   登っていない・・)
  
   映画の舞台の「鈴木モータース」はその後どんな会社になったのだろう・・
   頑固者だけど人情家で腕のいい鈴木社長は・・お母さんは・・私とほぼ同年代の一平君は・・
   青森からの集団就職の六子チャンは・・
   作家志望の茶川竜之介サンは・・・その恋人で踊り子に戻った ひろみサンは・・・
   古行淳之介少年は・・・・
   戦争で奥さんとお嬢さんを亡くした一人モノ医師ののアクマ先生は・・・

おーい!みんな、元気に頑張ってる〜?あの頃が懐かしいね〜!

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