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山川異域 風月同天
中国は日本文化・精神の先生なんです。
しかし、それを学ぶために、先人がいかに、
心から、中国を尊敬し真剣だったかお話しましょう、
首記、文は、西暦729年遣唐使を出すとき長屋王が
留学生に託した国書に書かれていた言葉で、結果
鑑真和上の心を揺さぶり先生が来日することに
なった、日本にとっては、忘れてはいけない言葉なのです。
御存じのように鑑真和上は、唐招提寺の開祖としてしか
我々には馴染みがないですが、実は、当時の日本は
まさに、新興国で精神も文化もなにも無い時代でした。
それで、歴代の王は、唐国に教えを乞うために再三
贈り物をしたり、美辞麗句で、おだてたりしましたが、
唐国は島国の日本など相手にしてくれませんでした。
それで、長屋王は、死ぬ前年、国書を送り、
袈裟1000枚を送り、その、袈裟に前記言葉を刺しゅう
して唐国の高僧、艦真に頼んだのです。
言葉の意味は
環境が変っても、仏の縁で結ばれた両国は同じなのです。
程度の意味ですが、ここに、こころから、へりくだり、臣下のように振る舞い
、なんとか、我が国を支援して、貰えぬかとお願いしています。
醜いほどのありさまですが、
後進国が、先進国に教えを乞うすがたは、真剣で、悲愴感すら
感じます。当時の日本の心が見られます。
それでも、誰も日本など見向きもせず、しょうがないので、
鑑真さんが、危険を冒して、渡ってきたのです。
ですから、この言葉は、唐招提寺の鑑真さんが、後で、
来日するキッカケとなったと語ったことなのだそうです。
僕が言いたいのは、日中関係は、むかしから、簡単では無かった
と言うことです。しかし、関係を結ばなければ、発展しないという
ことを、理解する人がいて、知恵があったということです。
さらに、そのためには、心から相手を敬い教えを乞う姿勢が
あったということです。
事は仏教ですが、昔は仏教が政治だったのです。
さらにそこからいろいろな、知恵が生まれ、文化が花咲いたのです。
ですから、中国は日本の先生なのです。
先生は、尊敬しなければなりません。
戦前の軍国主義の悪い教えが、いまだ、日本にあるのが、情け無くなります。
戦前生まれの、ジジイが、日本をダメにしようとしているのです。
先生は永遠に先生であり、変りません。、
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今の中国に僧はいるのでしょうか?
2012/9/23(日) 午前 6:14 [ njw*k7*1 ]
政治、社会は異なっても、人が死ぬ限り僧はおります。
2012/9/23(日) 午前 6:37
チベットの僧侶を殺しまくってますよね
2013/2/22(金) 午後 11:31 [ のどぐろちゃん ]