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尊敬される年配者になるために。 今日ほど世相から、感じる時はありません。ただ漫然と・ダラダラと・なんとなく・・・etc 年齢を重ねている人々が多いということです。 昔は「馬齢を重ねる」と言って恥ずかしいことでした。 今日では、「夢をあきらめた人生の午後の人々」といいます。 ボクは長生きしそれなりに社会に貢献した人、いまだ活躍している人、チャレンジしている人 は、心から、敬意を持って尊敬するものです。 なにも、目立つ事、立派な事をしてください、とはいいません。 しかし、基準があります。 それは・・・・・■尊敬される年配者・・・ということです。 いくつになっても「尊敬される」よう心がける人ということです。 この心がけがあれば、間違った方向には行かないでしょう。 許せないのは、最初から諦めて何の努力もせずただ大きなもの(たとえば国・福祉) 会社・子や孫にすがつて生きようとするナサケナイ姿です。 これらは、最後のセーフテーネットなのです。憲法に保障された、最低限度なのです。 それを多いの、少ないのなどと言い出すしまつは許せないのです。 カラダが動かないのですか・?目がみえないのですか?食べ物がないのですか? それなら、仕方ないが、五体満足で60歳ぐらいで定年になりすることもなく ブラブラしている、仕方ないから、孫にかこつけて子にセビル。 こんな人をキミは尊敬できますか? こんなのは、人のクズです。 今日家庭内トラブルでよく殺人がおこります。尊属殺人といいます。 これらは、普段から、尊敬などされてないでしよう・・・・ こういうのを考えたことありますか?「お母さん人殺していいですか?」 子供に言われたときキミはなんと答えます? それだけ、尊敬できる人が少なくなっていると言うことです。 殺人のたとえは良くないが、十分ありうることなのです。残念ながら・・・・ お互い尊敬してれば、こんな事はおこらないのです。 前置きが長くなりましたが、言いたいのは、先に行って尊敬されるよう若い時から、努力する。 ということです。 現代は、核家族時代で少人数世帯です。したがって、親族でも他人みたいなものなのです。 けして良いことではありませんが、社会構造なのです。 夫婦二人気楽といえばそれまでですが、そこで努力するものとしないものでは、将来が、 変わってくるのです。 高齢社会とは、生き方を試されているようなものなのです。 昔のように短くはないのです。長い人生の午後なのです。 大事に生きれば100歳も十分可能なのです。 その時に、無為無策・失意のどん底・おまけに孫に殺された・・・では、なんの人生ですか。 そんなことにならないように、若いうちから、「尊敬される年配者」を目指すべきです。 それは、お金もあるでしょうがそれだけではありません。 また、ゆっくりかきますが、「生きがい」も含めて、チャレンジしなければいけません。 今日の言葉として「長寿もまた努力の賜物」をおくります。 最後まで読んでくれてありがとうございました。
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