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不来方城と盛岡城はどうやら異なるものらしい。
下記は「Wikipedia」からの引用である。
伝承によれば、かつてこの地には「羅刹」と呼ばれる鬼がいて、人里を荒らしまわっていた。このことに困っていた里人たちが、三ツ石(盛岡市に現存する「三ツ石神社」)の神に祈願したところ、鬼は神によって捕らえられた。この時、鬼が二度とこの地に来ない証として、岩に手形を残した。これが「岩手郡」、のちに岩手へと連なる地名の由来である。また、「二度と来ない方向」の意味で、一帯に「不来方」の名が付されたと伝えられている。
また「さぁさぁ踊れ」と人々が囃し、奉納した踊りが、「さんさ踊り」だとされ、現在でも盛岡の夏の風物詩として受け継がれている。
さらに、三ツ石神社のある盛岡市名須川町はかつて「三ツ割村(みつわりむら)」の一部であり、「三ツ石」の伝承が地名成立に影響を与えてきたことが知られる。
「不来方」から「森ヶ岡」へ
不来方の改名は、三戸城下から進出した時の南部藩主がこの名を「心悪しき文字」と忌み嫌ったためと伝えられる。後に「森ヶ岡」次いで「盛岡」が城下町の名として用いられるまで、当地は「不来方」の名で呼ばれたと伝えられる。これは「永福寺」所在地の裏山が「森ヶ岡」と呼ばれたことに関わると見られる。
「森ヶ岡」から「盛岡」へ
永福寺の山号は、現在「宝珠盛岡山」である。「盛岡」は、江戸時代後期の元禄期、当時の南部藩主・南部重信公と、盛岡城の鬼門を鎮護する真言密教寺院、永福寺・第四十二世清珊法印との連歌によって生まれたと伝えられる。
幾春も 華の惠の露やこれ 宝の珠の 盛る岡山
城下町として「盛岡」の名が定着、後に藩名そのものも「南部」から「盛岡」へ改められる。 しかし、町名として「不来方」が残ることは無かった。 さて、ではこの「不来方」という名前は盛岡市内のどこかに残ってはいないのであろうか?
ググっていると・・・
「県立不来方高校」があることはわかった。1988年4月1日開校の比較的新しい高校のようである。
多分、詳細に調べればもっと出てくると思われる。
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