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 このDC-3は米国のみならず、当時のソ連および日本国内でもライセンス生産がされている。
 この完全国産化されたDC-3が旧海軍で採用された「零式輸送機」である。
 
 現代にかかわらず軍事行動にとって「輸送」が一番の肝であることは言うまでもない。いわゆる「兵站」である。
 一般的に兵站を軽視していたとされている戦前戦中の日本軍ではあるが全く無視していたわけでない。
 もちろん、米国では輸送機に対する評価は絶大で、連合軍欧州総司令官であり、のちにアメリカ合衆国大統領となったドワイト・D・アイゼンハワーは、第二次世界大戦の連合軍勝利に著しく寄与したのは「ダコタ(C-47)とジープとバズーカ砲である」とコメントしている。
 
 日本では中島飛行機が1935年(昭和10年)からDC-2をライセンス生産し、日本航空輸送などで用いられ優秀機として高い評価を得ていた。ゆえに後継型DC-3にへの注目も早かった。
 日本海軍は三井物産にダグラス社からDC-3の製造ライセンスを取得させ、実際の生産は1937年(昭和12年)に設立された昭和飛行機工業に委ねることとした。
 昭和飛行機では、当初少数の機体をノックダウン方式で生産、その後完全に国産化した。
 完全国産化にあたっては、アメリカ本国のDC-3がアメリカ流にヤード・ポンド法のインチ単位の設計図で作られていたため、既に工業界がメートル法に移行していた日本では設計図のメートル法換算を行う必要があった。
 このため、アメリカ本国製のオリジナルDC-3と、昭和飛行機で国産化されたDC-3とでは、厳密には随所の部品の寸法が異なっている。
 エンジンは三菱の「金星」に変更され、日本海軍から零式輸送機(L2D2)として1940年(昭和15年)に制式採用された。この零式輸送機は、エンジン換装によりカタログデータ上ではC-47を一部上回っていた。
 この零式輸送機について「DC-3のデッドコピー」という説も流布しているが、実際には上記の通り正式なライセンス生産に出自を発している。
 太平洋戦争中期からは中島飛行機も一時生産を行った。昭和飛行機と中島飛行機によって、1945年(昭和20年)までに合計486機が製造された。416機との説もある。

 因みに、昭和飛行機はこの零式輸送機のみを製造した会社である。

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