全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全45ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]

REBORBN!

イメージ 1
すっかり更新してませんでした。
諸般の事情で当ブログの名称変更を決めました。
こちらを別館としてましたが、今後「本館」扱いにします。
 
それに伴い、名称も標記のとおりにいたします。
 

イメージ 1

 自衛隊の護衛艦「さざなみ」(4650トン)と「さみだれ」(4550トン)各々現地へ向かわれました。この海域は事実上「戦場」です。

 明目は「海上警備行動」ではありますが、「戦場へ出陣」といったほうが的確な表現と思います。

 今回の任務は民間船の護衛であり、確かに日本からは遠く離れてはいますが重要な補給ルートであることは十分理解できます。

 また、海上自衛隊の基本的任務のなかに「シーレーン」の防衛というものもあり、また「海軍」としての基本的な任務でもある「補給部隊の護衛」に重なる任務でもあります。

  この件では、さまざまな意見はあると思います。最初に心から。派遣されれる皆様が無事帰還されることを願います。

祝50周年

イメージ 1

イメージ 2

 上記写真は、言わすと知れず「スバル360」である。


 強制空冷2サイクル2気筒自然吸気356ccエンジンをRRレイアウトで搭載
 全長 2995mm・全幅 1300mm・全高 1335mm・車両重量 385kg軽量コンパクトながら4名乗車が可能な、国産初の大衆車である。

 1958年から1970年までのべ12年間に渡り、約39万2,000台が生産された。

 スバルブランドは「富士重工」の車両ブランドである。そのためこの「360」の赤経にあたり、航空機技術を応用した超軽量構造を採用し、また限られたスペースで必要な居住性を確保するための斬新なアイデアが、数多く導入された。その結果、量産型の軽自動車としては、史上初めて大人4人の乗車を可能とすると共に、当時の水準を超える走行性能を実現した。

 比較的廉価で、なおかつ十分な実用性を備えていたことから、1960年代の日本において一般大衆に広く歓迎され、モータリゼーション推進の一翼を担った。

 ゆえに日本最初の「国民車(大衆車)」と評されると同時に「マイカー」という言葉を誕生・定着させた車であり、日本の自動車史のみならず戦後日本の歴史を語る上で欠かす事のできない「名車」である。

 範となったフォルクスワーゲン・タイプ1のあだ名となっていた「かぶと虫」との対比から、また、そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれた。


 この写真は、新長野スバル本社内ショールームに50周年記念として展示されている車両である。

イメージ 1

以下の記事は、NIKKEI NET(http://www.nikkei.co.jp/)よりです。

『ロシア軍機が領空侵犯・33年ぶり、伊豆諸島上空3分間』

 9日午前7時半すぎ、伊豆諸島南部の上空で、ロシア機1機が領空を侵犯した。航空自衛隊はF15戦闘機など計24機を緊急発進させ、警告したところ、約3分後に退去した。

 防衛省によると、ロシア機による領空侵犯は北海道周辺が多く、伊豆諸島まで南下するコースをたどったケースは旧ソ連時代の1975年9月以来という。

 同省によると、領空を侵犯したのはロシア軍の爆撃機Tu―95。午前7時半から同33分まで父島と八丈島の間の海域にある嬬婦岩(そうふがん)の上空を通過した。 (13:30)

 
 24機のスクランブル!しかし、ずいぶんなめられた様な行動です。少し前に、某国の原潜が領海侵犯をし、撃沈されてもなんら国際法上問題は無い状態であったにもかかわらず何もしなかったこともありました。

 せっかく「省」に格上したのだから、毅然とした行動を求めたいです。

 しかも、現在G7が東京で行われております。

 このフォール卿は、戦後、外交官として活躍した。

 定年退職後、1996(平成8)年に自伝『マイ・ラッキー・ライフ』を上梓し、その巻頭に「元帝国海軍中佐工藤俊作に捧げる」と記した。
 平成15(2003)年10月、フォール卿は日本の土を踏んだ。

 84歳を迎える自身の「人生の締めくくり」として、すでに他界していた工藤艦長の墓参を行い、遺族に感謝の意を表したいと願ったのである。しかし、あいにく墓も遺族も所在が分からず、フォール卿の願いは叶えられなかった。

 フォール卿から依頼を受けて、恵隆之介氏は3ヶ月後に、遺族を見つけ出した。工藤俊作の甥・七郎兵衛氏は「叔父はこんな立派なことをされたのか、生前一切軍務のことは口外しなかった」と落涙した。

 サイレント・ネービーの伝統を忠実に守って、工藤中佐は己を語らず、黙々と軍人としての職務を忠実に果たして、静かにこの世を去っていったのである。

全45ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事