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上記の記事がYahooニュースに本日アップされている。

この中で「『水中文化遺産保護条約』では、沈没艦を保護すべき文化遺産と定義しており、遺物の引き上げや売買を禁じています。」と書かれており、少々興味があり調べてみた。

以下はWikipediaからの引用である。

水中文化遺産保護条約

水中文化遺産の保護に関する条約(水中文化遺産保護条約 すいちゅうぶんかいさんほごじょうやく、Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage)は、2001年の国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)総会で採択された、沈没船や海底遺跡などの水中文化遺産の保護を目的とした条約である。批准国の数が所定の数に達し、2009年1月より発効された。


日本は、いまだ批准はしてない。


戦艦「陸奥」 海底に横たわる船影捉える

 さて、世の中「武蔵」発見に沸いている中で、戦艦「陸奥」の現在をとらえた動画もアップされてきた。
 別段「武蔵」に対抗するものではないであろうが・・・

 戦後の日本人にとっては、大和・武蔵は旧日本海軍を象徴する戦艦であるが、当時の国民にとっては、長門・陸奥が代表する戦艦である。

 長門型戦艦の2番艦で、1番艦の「長門」と共に、日本の力の象徴として戦前の国民に長く愛された。「陸奥」と「長門」は交互に連合艦隊旗艦の任にあったため、知名度は高く、戦前の学校の教科書に描かれたり、男子がイメージする軍艦といえば、当時の連合艦隊旗艦である「長門」や「陸奥」であった。『陸奥と長門は日本のほこり』といういろはがるたも作られたそうだ。

 海軍兵学校でも「陸奥、長門の四〇センチ砲が太平洋を睨んでいればアメリカは攻めてこない」と語り継がれた程である。
 現実は、その後の歴史が示してはいたが・・・・

 1943年(昭和18年)6月8日、原因不明の爆発事故を起こし柱島沖で沈没。戦後に浮揚作業が行われ、1970年(昭和45年)には、艦体の一部や菊の御紋章、主砲身や主砲塔などが回収され、日本各地で「陸奥」の装備が展示された。大戦末期にアメリカ軍の攻撃で沈没し、終戦後に浮揚され解体処分された他の日本軍艦と異なり、艦体の一部が2011年現在も沈没場所に残っている。

軍艦 陸奥は陸奥湾に入泊した際には内神社は岩木山神社の御分神を祀っていたため、多くの乗組員も岩木山神社に参拝したそうである。

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