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江戸城と言えば言わずと知れた徳川幕府の中枢である。当然城砦としての機能と同時に現代風に言えば行政機関としての機能も併せ持つ。
今回、さまざまなサイトでも紹介されているが、江戸城は築城当時「最終決戦」に備えた城であったことを証明するものであった。
歴史的には軍事的な機能は果たすことなくその役目を終え現在は皇居として首都東京の中心に存在している。
以下は、2/8日経より引用である。
縦27.6センチ、横40センチの江戸始図は、江戸城の石垣や堀、出入り口など城郭の平面構造を詳細に描写。本丸の堀に面した石垣の上には大天守と2つの小天守が多聞櫓(やぐら)と呼ばれる長い櫓で連結されている。巨大な要塞として機能するさまが見て取れ、大天守と3つの小天守が連結する姫路城に類似した構造だったことが判明した。
本丸の出入り口には、枡形(ますがた)と呼ばれる侵入した敵を攻撃するための方形の空間が5つ、連続して設けられていた。攻め込んで来る敵の勢いを止め、多方向からの攻撃が可能で、熊本城のようなつくりと分かった。松江歴史館は「江戸城は、姫路城と熊本城の優れた部分を合わせた最強の城だった」と分析している。
江戸城の天守は2代秀忠と3代家光が建て替えたが、57年の明暦の大火で焼失した後は再建されなかった。家康の江戸城を描いた絵図もあるが本丸の詳細は不明だった。
江戸始図は17日から3月15日まで松江歴史館で公開される。 |
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2017年02月10日
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