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本ブログで10年以上前2006年4月に取り上げた「マルタ島に眠る日本海軍将兵の碑 」を投稿させて、いただいた。
ちょうど、所謂9.11アメリカ同時多発テロ事件発端とするその報復としての対アフガニスタンのターリバーン政権に対する「不朽の自由作戦」そしてその後行われた「対イラク戦争」の事実上後方支援のため行われた「海自インド洋派遣」が国内で物議をかもしている頃の投稿であった。
第一次大戦当時、地中海マルタ島を拠点として日英同盟のもと独・対が行っていた潜水艦による通商破壊工作を防止し、地中海航路防衛任務を遂行した。ただその中で祖国から遠い地で命を落としたものの多くおり、慰霊碑が建立されている。
わたくしもいつかは、訪問してみたい場所である。
![]() マルタ共和国旧英国海軍墓地 (現英連邦墓地) にある第二特務艦隊戦没者の墓
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主砲斉射!!
したか、いやできたかどうかは不明ですが・・・
また、戦艦武蔵の記事が出ておりました。
では、実際斉射できたのでしょうか?
この点は、naomoe3さんか詳しく解説されておられますので、ご参照ください。
<(_ _)>
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ペリリューの戦いは、大戦末期、1944年(昭和19年)9月15日から1944年11月25日にかけペリリュー島(現在のパラオ共和国)で行われた日本軍守備隊(守備隊長:中川州男陸軍大佐)とアメリカ軍(第1海兵師団長:ウィリアム・リュパータス海兵少将、第81歩兵師団長:ポール・ミュラー陸軍少将)の陸上戦闘をいう。
おりしも戦後70年の節目を迎えるに当たり、陛下がこの地を慰霊を目的に行幸されており、脚光を浴びているエリアでもある。
ペリリュー島(Peleliu Island)は、パラオの島の一つであり、パラオ諸島の主要な島のひとつで、パラオの主要諸島の南西部に位置する。
参考であるが、パラオの位置関係は下記のようである。
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1945年4月7日、14時23分北緯30度43分 東経128度04分
総員退去命令が出て間もない14時20分、「大和」は転覆を開始。14時23分、完全に転覆すると大爆発を起こした。この爆発は弾薬庫の誘爆または、機関室の水蒸気爆発によるものと考えられている。 戦艦「大和」の沈没によって連合艦隊は完全に洋上行動能力を失い、その後艦隊として出撃することはなかった。
まさに、この日を持って、帝国海軍「最後の日」ともいえる。
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上記の記事がYahooニュースに本日アップされている。
この中で「『水中文化遺産保護条約』では、沈没艦を保護すべき文化遺産と定義しており、遺物の引き上げや売買を禁じています。」と書かれており、少々興味があり調べてみた。
以下はWikipediaからの引用である。
水中文化遺産保護条約
水中文化遺産の保護に関する条約(水中文化遺産保護条約 すいちゅうぶんかいさんほごじょうやく、Convention on the Protection of the Underwater Cultural Heritage)は、2001年の国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)総会で採択された、沈没船や海底遺跡などの水中文化遺産の保護を目的とした条約である。批准国の数が所定の数に達し、2009年1月より発効された。 日本は、いまだ批准はしてない。
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