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 戦術とは、戦闘における戦闘力の使用に関する規範であり、戦略とは、戦争目的を達成するための戦闘の使用に関する規範である。

 さらに、クラウゼヴィッツは戦争を2種類にわけ論じている。敵の撃滅を目的とする戦争(絶対戦争)と単に敵国土の一部を侵略しようとする戦争(現実戦争)である。

 ただし、この絶対戦争と現実戦争という2種類の戦争についての見解が混在したままの状態で記述されており、難解さを増している。これは、未完のままで彼が世を去ったためといわれている。

 因みに、「攻撃に対する防御の優位性」を述べており「攻撃は最大の防御」といわれるゆえんである。しかし、核兵器の出現で、攻撃側の破壊力を防御することができなくなっており、「核兵器からお互いを防御しないことで平和を保とう」というクラウゼヴィッツの時代には考えられない安全保障のあり方を生み出すこととなる。
 さらに「テロとの戦い」など、伝統的な戦争とは全く違ったタイプの戦争が生まれるており、NGO・宗教・テロリストなど、非国家主体が国際社会において重要なアクターとなることはクラウゼヴィッツの想像だにしないものであった。

 今後全く人間自身は戦わない、マシンのみによる戦争なども将来生まれることも創造されており、クラウゼヴィッツの理論「戦争論」は現代に応用できるのか?という問題も生じております。

「戦争とは他の手段をもってする政策の継続である」と最初に述べ、次に彼は「戦争の目的/目標/手段の関係」を論じております。

 目的とは、戦争によって達成しようとする戦争目的、すなわち政治的目的のことであり、目標とは、戦争において達成しようとする戦争目標 、すなわち軍事(作戦)目標のことである。(第8編第2章)
戦争は相手に我が意志を強要するために行う力の行使である。

 クラウゼヴィッツは、戦争の最終目標はあくまで政治的な目的の達成であって、一個一個の作戦が成功かどうかは、政治的な目的に貢献したかどうかで判断するべきだと考えました。

 例として、太平洋戦争の始まりとなった日本軍のパールハーバー攻撃は、被害の規模の大きさを考えると軍事的には成功した作戦だったが、対米最終通告の遅れで「奇襲」になってしまった結果、全米国民を対日参戦に結集させるはめとなり、政治的に大失敗だった、と言える。

 また、第一次湾岸戦争でも多国籍軍は軍事的には圧倒的な成功をおさめたが、サダム・フセインの失脚が政治的目的だったとすれば、大失敗だった、と言えます。

 さらに「敵に自己の意志を強要する」という戦争目的のかわりに、「敵の抵抗力を無力化する」という軍事目標を戦争目的とみなすことの危険性についても注意を促しております。

 「戦争とは他の手段をもってする政策の継続である。」と述べております。

 「政治的交渉の方針は戦争におけるあらゆる事象を支配し、結びつけ、戦争間から講和にいたるまで一貫して維持される」
 最もクラウゼヴィッツの戦争論で有名な格言といえます。
 軍事に対するシビリアン・コントロールの根源だと考えら、ナポレオンのように政治と軍事の指導者が同一人物の場合問題はないが、そうでなければ、将軍を内閣の一員に加えることによって、政治指導者は軍事的問題へ関与すべきだ、と考えました。彼はこの思想を基礎に、さらに戦争の目的/目標/手段の関係について論じています。

 上記の格言は第1編第1章にすでに出てきます。ある意味最初から「孫子」とは一線を画することを表明していることがわかります。
 政治の延長としての「戦争」がクラウゼヴィッツであり、「国家の大事」であり戦争を「下策」としている「孫子」とはっきりと分かれると思える。

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 クラウゼヴィッツ(Carl Phillip Gottfried von Clausewitz:1780−1831)

 「孫子」の次にテーマは「戦争論」と考えておりました。実はその後に「参謀」について進もうと思いキーボードをたたいております。

 プロイセン王国のマクデブルク近郊にて生まれ、なんと13歳でラインラントにて戦闘に参加している。ベルリンの士官研修所では、シャルンホルストのもとで軍事学を学ぶ。
 プロイセン軍人としてナポレオン戦争に参戦し、1806年には仏軍の捕虜となったが、2年後に捕虜交換により釈放されている。その後、プロイセン皇太子の軍事教官、軍事省官房長を歴任。1812年のナポレオンの露遠征時には、露軍に参加している。1815年のワーテルローの戦いでは、プロイセン軍の軍団参謀を務めた。

 1818年、少将まで昇進し、伯爵夫人マリー・フォン・ブリュール (Marie von Bruhl) と結婚。
 1830年まで士官学校の校長を務め、1831年に死去。翌1832年、彼の軍事理論は『戦争論』として、夫人の手により刊行された。

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 「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の地なり」
 戦争は国家の大事であって、国民の生死、国家の存亡がかかっている。そして戦争をするならば、その前段階の準備が大切であると説く。
 まさしく、61年前わが国は軍民あわせて300万以上の人命を落とし、全面降伏に至った。幸にも先人たちの努力により国家が滅亡することはなく、逆に奇跡の復興を遂げた。
 その恩恵を私たちは得ているともいえる。

 一応「孫子の兵法最終章」として書いております。

 以下は、海軍大臣山本権兵衛の話である。

 「国防という問題も、決して軍人の専有物であると思ってはならない。
  戦争するには、平たく言ってまず金が要る。それから何万の同胞を死なせる決意が要る。
  軍人、政治家、実業人、学者から町の職人から百姓までが心を一つにしてはじめて本当に国が護れる のだし、国を興すことが出来るのだ。
  兵はもともと凶器である。用い方を誤れば己の上にも必ず災禍ををもたらす。
  孫子にもある通り、戦わずして相手を屈服させるのが上の上たる策で、将来海軍の中堅たるべき、  自己の功名心を忠義の美名でよそおってみだりに戦を好むようなことがあってはならない。
  戦うときには非常の勇気をもって事にあたらねばならぬが、戦わずして勝つ海軍、存在すること自体 が強力な意味を持っている艦隊、それが『フリート・イン・ビーイング』の思想だ」


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