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参謀部もひとつの組織である。
参謀会議を開く前、作戦・情報などの主任参謀は参謀会議が開催される前に各々の部署の意見をまとめておく必要も出てくる。結果、参謀本部事態が巨大組織に膨張して行くこととなる。
さらに指揮官の決済の後、命令は指揮下の部隊に伝達られる。この命令の起案・文書化も参謀たちの職務である。さらにこの命令を伝達することも参謀の仕事である。
電話一本で済ませることが出来ない自体が多々発生するのが、現実である。命令書のみでは充分指揮官の意図が伝わらないこともあり、文章と供に参謀が足で直接伝える形とならざろう得ない。
伝達することは大変難しい、理論的には現場の指揮官たちも理解できると思う。しかし、相手は人間である。ともすれば、「囮」を命じられる部隊もあれば、撤退時「殿(シンガリ)」を命じられることもある。当然ここで生まれる様々な摩擦を回避するテクニックが必要とされる。命令の伝達とともに、調整役も兼ねているのである。
ちなみに旧陸軍大学校でも「参謀は足で働け」と教育したそうです。さらに米国統合軍のマニュアルにも「調整でもっとも望ましいのは足で行うことである」と書かれているそうです。
一件参謀というと「作戦」を起案し、命令を伝える点ばかり強調されているが、本当に優秀な参謀は司令官と現場を調整して歩いた人間とも言えるのではなだろうか?
例として、米国陸軍におけるベデル・スミスがあげられる。彼はアイゼンハワーの参謀であった。何かと問題の多いパットンに対して様々な形で調整役を行っている。
太平洋戦争時点で海軍のミニッツと陸軍のマッカーサーが各々、台湾攻撃・フィリピン奪回を主張するも、統合作戦本部議長であった、ウイリアム・D・レリヒにより調整されフィリピンを奪回することを優先した。実際参謀本部は台湾作戦を指示していたのであるが、レリヒは参謀サイドが折れる形でフィリピンへ全軍を差し向けたことになる。
大日本帝国大本営では陸海軍が日夜火花を散らし、事実上「海軍大本営」と「陸軍大本営」が並立していた日本とは対照的てきである。
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