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 参謀本部の原型を作ったのは誰か?それは「ナポレオン」である。

 前回、軍隊が様々な組織・部署を抱えながら肥大化して言った事に触れた。時期的には17〜18世紀の欧州で顕著であった。実際この100年の期間で仏軍は100倍の規模にも発展することとなる。

 そしてこの仏軍は師団制度・補給部隊を生み出すこととなる。
 当然であるが、様々な部署とともにスタッフが必要とされた。ナポレオンはこれらのスタッフを効率よく纏め上げることに成功した。そして、当時西最強の軍隊を動かすことが出来たのであった。
 その中で彼専用の「参謀本部」を作ることとなる。

 ナポレオンは仏軍最高司令官である。彼の参謀は国軍全体の参謀ということにもなった。ここに「参謀本部」が生まれれることとなる。もちろん総参謀長に当たるポストも創設している。

 ただし軍事の天才には現代の参謀本部が持つ機能は必要も無かったことも書き加えておくし、さらにナポレオン自信「助言」は大嫌いであったようである。

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 プロイセンから近代参謀精度は始まったとされておるが、なぜ必要であったのか?
 それはナポレオンの存在からであろう。

 ナポレオン(写真上)は天才である。天才はめったに現れないから天才であって、当然であるが同様の才能を持つ将軍がその敵側にも存在することはまれである。
 天才に対抗するのに「チーム」でという考え方である。そして、ライン(司令官)・スッタフ(参謀)を各軍・軍団・各師団レベルにおくことである一定の独断を認めつつ、訓令という形で統一性を持たせることでより柔軟な行動と成果を得ることに成功する。
 結果として、他の国でも同様の組織を採用するようになり現代に至る。

 ある意味にこのチームを考えた人間「シャルンホルスト(写真下)」も天才かもしれない。

 軍隊はまず封建的な軍隊から始まる、そして傭兵制を経て徴兵制という近代軍制完成する。18世紀から19世紀においてはこの形が固まりつつあった時期でもある。
 当然であるが常備軍であるため様々な部署が必要である。軍隊であるから当然であるが、兵士が必要である。しかし、兵士を維持するためには当然養わなければならず、給与・食料を支給する必要もある。また、様々な物資を備蓄する必要である。

 企業で言えば、総務部門や人事部門にあたる部署が後方支援部隊として重要になる。また、情報・輸送・医療関係の部署も抱える必要にもなり組織は肥大化することとなる。さらに、欧米では従軍牧師も存在する。

 これらの巨大な組織を効率よく運用ことは至難の業である。そこで一人の天才に頼ることなく、うまく運用する方法のひとつとして「参謀本部」が生まれてくる。

 しかし、当初の「参謀」の業務は作戦立案ではなく、あくまでも指揮官の「補佐・管理部門」であった。ある意味、事務職であったのである。

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 近代的な参謀制度は、プロイセン(ドイツ)の参謀本部からはじまったとされている。
 参謀としては、シュリーフェン、シャルンホルスト、グナイゼナウ、モルトケ、ルーデンドルフなどが有名である。

 基本的にプロイセンのシステムでは、指揮官と共同責任の下に作戦指揮に当たっていた。わが国の旧陸軍はこのプロイセン方式の参謀制度をとっており、結果として強大な権力が階級はたいしたこともないのに参謀に集まる結果とも言える。
 この結果、独断専行型の参謀が生まれることなり、代表として関東軍の「石原莞爾」ノモンハン事件の「辻政信」などが活躍?することとなる。

写真上「石原莞爾」:下「辻政信」

参謀とは 1

 孫子・クラウゼヴィッツは実は「参謀」へ続くための、前段でした。

 まず「参謀」の基本的定義から入りたいと思います。

 軍事作戦・用兵を企画し高級指揮官を補佐する役職である。古くは軍師、指南役ともいった。一般的には軍事の分野の表現ではあるものの、企業経営者に助言する知恵袋のような存在を指すこともある。

 ただし現代の軍隊では、「総参謀長」といえば、制服組みのトップを指すことも多い。ある意味その国軍の象徴ともいえる人物でもある。

 因みに「参謀」に近い言葉で「幕僚」という言葉もある。

 幕僚とは、指揮官を補佐する高等武官又はそれに準ずる者をいう。参謀に近い意味で用いられることが多い。しかしながら、必ずしも参謀又はそれに相当する者のみを指すわけではない。英語にいうstaffとほぼ同義である。幕とは司令官の陣地をさし(幕府の幕と同義)、「司令官の側に侍る者」の意である。

 ただし、自衛隊では、狭義の参謀に近い意味で幕僚の用語が用いられている。わが国の警察組織でも「幕僚」を臨時ではあるものの、部隊行動をする警察部隊では、軍隊に準じて幕僚という担当を設置することもある。

 日本に初めて伝えられた時期については諸説ある。

 既に幕末の頃に江戸城の御蔵書のなかに含まれていたという説、蘭語訳されたものを西周が持ち帰ったという説、長崎の出島を通じて入手した説などがあるようである。

 しかし、本質的にそれが、戦争哲学を学ぶ書であるというものが理解され、軍人達の間でその存在が理解されるようになったのは、森林太郎(森鴎外)によってである。森が留学中に留学仲間と輪読していたことからもあわせてみても、戦争論の紹介者としての森の地位は揺るがないであろう。

 その後、多くの翻訳が出されており、馬込健之助(淡徳三郎)、篠田秀雄、清水多吉、日本クラウゼヴィッツ学会訳などが出版されたが、現在、邦訳で入手可能なものでは、清水多吉訳、日本クラウゼヴィッツ学会訳版が、最も原本に忠実なものとなっている。


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